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チャレンジとキャパは若さに比例してるの?

今も勿論、子供なんだけど、
ふと昔の写真とかその他もろもろ遡って
その当時の自分のこと見てみると
めっちゃ子供だなって思う時ない?

大学1年、2年の時って
本当に子供だったなってものすごく思う。
「何でもかんでもやりたいことやりまくった」
っていうのはよく言えばチャレンジャーだけど
周りの人に止められてもなおチャレンジして
それで周りに多大な迷惑をかけていたなと思う。

自分では120%だったんだけど
キャパオーバーしてるのに見て見ぬふりして
沢山迷惑をかけていた。
やってるつもりになってるだけの中途半端だったなと
今更思う…。

まあ思ったところでなんでもないし
それでもチャレンジしたあの時の自分がいるから
今の自分がいるのも事実。

人脈も、経験も、今の私の人柄も、
その私のがむしゃらさが、もたらしたもので
結果中途半端でも与えてくれたことは大きかったと思う。

今こそ思うけど、
じゃあもし今おなじ状況になったとしても
自分は全てにチャレンジできるのかな?
それとも取捨選択をして選んだものに時間を掛けるかな?

新入社員という立場はどちらの自分でいるべきだろう?
チャレンジし続けることは大切だけど
あまりがむしゃらになりすぎて中途半端になってもいいのは大学生までな気もする。
けどそんな保守的な自分でもありたくはない。

自分のキャパが小さいのがいけないのかな?
何でもかんでもうまくこなせるマルチタスクスーパーマンになれたらいいのにな。
マルチタスクマンではあるけど、全部のタスクが68点くらいなんだよな、全部を100点で出来ればいいのに。

まあ今何かやりたいことが沢山あって悩んでるわけではないんだけど、
ふと思い出素材たちをふりかえってみたら
昔の自分のがむしゃらさに驚かされたので呟いてみたってだけなんだけどさ。

ただ、やっぱりなんでそれを始めたいのか、
どうしてチャレンジするのかっていうビジョン、
きっかけみたいなものってふわっとしてても、
しっかり固まってても、
いずれほんとうにそれが自分の中のかたちになっているというか。

これは私の話だけど、ダンスサークルは、
脚本になって絶対に公演を作りたいっていう思いが強くて入ったから、
脚本に関してはかなり集中して全力投球できてたけど、
ダンスに対してのビジョン何も描いてなかったから中途半端になあなあになってしまったんだろうなって思う。

スタートのきっかけ、自分のビジョンの明確化って意外とちゃんと大切なんだなって今更ながら実感、痛感。

これから何をするにしてもそこだけは
常に明確化できるように文字に起こすなり、
自分に唱えるなりして行きたいなって、
そんなふうに思う日曜日の午後。

チャレンジのハードルとキャパの無さは若ければ若いほどある?
歳を重ねるごとにチャレンジのハードルは上がるけどキャパの大きさは増えていくのかな。

考えることも大切な人生の一コマだよね。、
社会人1年生、頑張ってます。

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