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ボロボロな気持ちと、小さな命と向き合った日

こんばんは。
お久しぶりの投稿です。

ここしばらくメンタルにきてしまい、ゆっくり自分と向き合っていました。

「自分を労りたい」と思い、私がやっていたのはストレッチや瞑想。
なんとか気持ちを保てて…なんとか…笑

本日、無事に昇級実技試験終了しました。
結果は、ボロボロ…惨敗。
でも、いい経験にはなったからヨシとしておきます。

そして、少し辛いこともありました。

土曜日の夜。
父が部屋に来て、下に降りると、部屋の中に猫の子どもたちの母猫である「芽生(メイ)」がいました。

芽生は、こどもたちを立派に育てたお母さん。
でも、我が家には居着くことはなく野良生活をして、ご飯だけ食べてはどこかに帰っていっていました。

「帰る場所があるなら、うちで保護するのは…。」と、時折元気のない芽生を見ながら、悩んでいたところ。

「今年は保護する!」と決意して、やりたいことリストにも書いて。

そう思っていた矢先。
芽生は、動くことができなくなってしまい我が家でうずくまっていたそうです。

夜遅くまで空いていそうな病院にも連絡をして。
体温を温めて。「生きろ」と励まして。

日曜日は私は仕事で、父に休日診療の病院に連れて行ってもらいました。

帰って結果を聞くと、「もう助からない。」とのこと。
病は、だいぶ進行していたようでした。

芽生は、ゆるやかに「死」に向かっている。
私にできることは、なんなのか。

約4年間。
人を怖がり、触られなかった。
温もりを知らなかった芽生。

夜の数時間。
膝に乗せて、暖かくして、一緒にテレビを見ながら話しかけて、たくさん撫でて。数時間ではありましたが、家族としての時間を過ごせました。

そして、私が昇級試験を受ける今日の深夜3時。
虹の橋を渡っていきました。

ここ数年、「生」と「死」に向き合うことが多くて、少々参っています。
これは、何を意味しているんだろう。

ゆるやかに「死」に向かっている命に対して、周りはどんなことができるのか。

仕事から帰りながら、いろいろ考えて。
私は、「ゆるやかに「死」を受けいれること」なのかな、と思いました。

その一瞬一瞬の過ごし方が大事になるのなら、いつも通りの温もりを感じられる「日常」を一緒に過ごすことなのかな、と思って。

本当に、一瞬だったけど。
私のエゴだったかもしれないけれど。
やりたいことリストも、こんな形で叶ってしまい、後悔も、落ち込みもしたけれど。

でも、ありがとう。
みんなを産んでくれて、育ててくれてありがとう。
うちに、来てくれてありがとう。

もうこれ以上、誰かが旅立つことがないことを願います。

少しぼんやりとしながら、夕方友人と電話で話して少し落ち着きました。
少しずつ、少しずつ。
自分を労りながら、癒しながら。

私の「これからの暮らし」を考えたいと思います。

皆さまも、体調にはお気をつけて。
それでは、また。

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