「書く」やりとり
私は本を読むことが好きです。
本の世界に入っていく楽しみももちろんですが、
一言、一文に触れただけでも
「この本を読むことができて本当によかった」と
しみじみ感じ入ることが結構あります。
最近で言えば、
「大人のトラウマを診ること~こころの病の背景にある痛みに気づく」
という本の序文で心をつかまれ、
先を読むことが楽しみになることがありました。
元をただせば、この表紙の挿絵に目が留まり、
「トラウマの本なのになぜ野菜?果物?の絵なのだろう」
と気になりました。
表紙をめくり、質感の違うページをさらに一枚めくって、本文へ。
少しずつ、感触を確かめながら、向き合っていく。
トラウマを抱えた人たちの診療やケアに通ずる要素を盛り込んでくださっているように感じました。
そして、序文にこう書かれていました。
なるほど、そういうことだったのですね。読ませていただきますと、こちらの気持ちも本の中に入っていきました。丁寧な本づくりを著者や編集者、挿絵画家の方々がなさっているのが伝わってきました。
さて書くことですが…。
書くこと。「書く」やりとり。
誰かに向けて書くこと。
今日は手紙について少し書いてみます。
手紙のやりとりを続けている方がいて、
その方からの手紙が届いたので、
新しい便せんを選びに行き、
便せんと雑誌を買って帰りました。
手紙を書いて、
一晩置いて、
ポストへ投函しました。
そして、買った雑誌を読もうとページをめくりました。
『モモ』の特集本だったので購入した雑誌ですが、
若松英輔さんが手紙について書いておられました。
若松さんが書いておられるように、
手紙を書くこととは、
単に言葉だけでなく、
相手を想い、
「秘められた熱」「おもい」を
受け止めあっているやりとりなのだろうなと感じました。
(参考引用文献:「モモと秘められた熱」 若松英輔 MOE3月号 白泉社 2021)
言葉を書き記し表現することができて、
でも言葉にできないものも生じていて。
そのやりとりを一緒に取り組む誰かがいることを
引き続き私は大事にしていきたいと思いました。
(20210214記載)
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