赤ちゃんから学ぶ、愛と自我と無敵と視座の話(経営というソースに絡めて)

赤ちゃんから学ぶ「愛」と「自我」の関係

赤ちゃんとして生まれた瞬間のことを想像してみてください。あなたという赤ちゃんはこの世界をどのように捉えていましたか?

母親を見て「ママ」と識別した?看護師を見て「看護師さん」と認識した?ベッドを「ベッド」という無機物として、病院を「病院」という建築物として、車を「ブーブー」という動くものとして、果たして識別したでしょうか?

そんな風には見ていないはずで、もっと、世界と一つになっていたはずなのです。そう、ただそこには「愛だけが存在する一つの世界」のみが在り、「私」なんていう分離存在はそこには存在していなかったはず。

そこから徐々に言語とともに私とママがどうやら別の人間であること、私たち家族と隣のおばちゃんはなにやら別の場所の愛で成り立っていること、車は不思議なことに動くけど生き物ではないらしいこと、などを認知していきます。それと同時に、この世界が愛そのものであったことをいつしか忘れていき、「ママから貰う愛」や「子犬にそそぐ愛」といった個別具体的な愛(「条件付きの愛」とも言います)へと分離していきます。

そしてこの愛を分離させるものの正体が「自我」です。それは例えるならば、まだ間仕切り一つないマンションの一室に、自我という仕切りをつけて部屋を切り分けていくかのような作業です。この壮大な世界の中で自分を位置付けるために、「私」を世界から切り離していくのです。男と女、人間と動物、山と海、日本と外国、というように無数の自我の壁が形成されていく、それがある意味で大人になっていくこと、ともいえる訳ですね。

自我の壁の完成こそが大人になることであるのに、組織は自我を否定するという矛盾

さて、あらゆる「組織」を束ねる人たちは皆こう言ってきますよね。
「自己利益よりも組織全体の利益のために手を繋げ!」と。

コレ、良く考えると人間の成長過程や道徳観と大きく矛盾していませんか?だって、我々はずっと、自分と自分でないものの違いを教えられ、自我の壁を形成してきた訳です。弟ができれば「弟への愛」、いじめられてる子には「友達としての愛」、恋人ができれば「恋人への愛」、やがて子供が生まれたら「我が子への愛」、こうやって条件付きの愛で自信をもって世界と向き合ってきたんですよ。

それなのに、組織になった途端、その自我の壁を壊し、組織という謎の全体世界の利益を優先せよと言われても、そんなん教わってないけど!ってなりませんか?それは例えるならば、大学のサークルで彼女がずっとできない仲間がいて、彼が悩んでるせいでチームが優勝できないなら、自分の彼女を差し出してでもチームのために貢献せよってことじゃないですか。

今は社会主義でなく資本主義なので、自由競争、つまり自我をいかに複雑に切り分け、自分が愛すべき人だけに利益を分配し、自分(たち)が幸福になるかに重きを置いて教育されてます。

そして通常、仕事における自己利益とは自分の給料が最大化することです。対して、会社の目線からすると給料というのは人件費でありコストなので、究極的には給料ゼロで貢献してくれる人が一番ありがたい訳です。つまり経営と従業員は常に利益相反関係にありますし、身近な人を愛するという自由競争時代の自我形成の流れとも相反しています。だって家族を愛していたら家族のために給料たくさん貰いたいでしょう?

大人がリスキリングすべきは特定の専門スキルではない、愛を学び直す、正しくは「自我の壁を自在に壊していつでも赤ちゃんに戻れる」というスキルを身に着けること

とはいえその会社の業績が下がってしまったらやがて給料も減るという全体循環でみるならば、(割り切って転職を繰り返す選択をする人を除き)経営の目線に立てるようになることは社会人としては確実に重要なことです。しかし経営においては、これまでの教育とは逆行した愛の能力が必要となります。

そしてこれを世間では「視座」と呼んでいます。

それみんな言うけど「視座」ってなに??

反論もあるでしょうが敢えてこう言い切りましょう。答えは、「自我の壁を壊す能力」です。そしてその能力を最も持っているのは、他でもない、赤ちゃんです。

経営とは、凝り固まった自我の壁を壊し、もう一度、赤ちゃんになることです。自我がないのではないです。自我しかないのです。私=自我=組織=世界=愛、なのです。

「無敵」とは敵なんてはじめからいなかったことに気づくこと

私=自我=組織=世界=愛の状態は「無敵」です。全員を打ち負かすという意味でなく、字の通り、「敵がいない」状態です。マリオでいうならスターを取ったらクリボーを吹っ飛ばすのではなくクリボーともハグしちゃう感じです。

そう、敵なんてはじめからどこにもいないんですね。自我の壁が勝手に、男の対比存在としての女を敵とし、日本と海を隔てた中国という場所を敵とし、同僚ではない存在としての上司(や学校の先生)を敵とし、なんかわからないけど裏で牛耳っていると想起する経営陣(や首相や都知事)を敵とみなすのです。

そういえばワンピースの魚人島編でこういうボスがいましたよね(以下ネタバレ注意)。

「人間は魚人を不当に扱ってきた、いまこそ人間に復讐するのだ!」
「おまえは人間になにをされたっていうんだ?」
「、、、なにも。」

ところで私は岸田首相になにかされたんでしたっけ?中国になにかされたんでしたっけ?経営者に何かされたんでしたっけ?

私の敵はいったい誰が生み出し、どこにいるんでしたっけ??

来年も基本的にはこういう意味不明な話と、たまにはもう少しわかりやすい話もしていきますので、どうぞよろしくお願いいたします。

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