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猫を追いかけて(1)

あの日から私の生活は一変した。我が家の大切な家族だった猫が突然姿を消したのだ。何の手掛かりもないまま、昼夜の区別なくひたすら捜索する日々。あの子を再びこの胸に抱きしめることを信じて、そして今、またこれから同じ思いをするかもしれない猫飼いさんへの共有として捜索の日々を記録しようと思う。

あの日の午後、私は買い物に出かけた。いつものように玄関で見送ってくれた2匹の猫達に「すぐ帰ってくるからね。美味しいものを買って帰るよ」と頭を撫でて。

2時間後に帰宅した時、しばらく旧実家に戻っていた両親が新築したこの家に帰ってきていた。色々な荷物を部屋へ運ぶ手伝いや夕食の支度の慌ただしさにかまけて、その日に限って猫達に声をかけていなかった。いつも出迎えてくれるのに静かなのでまた2匹でぐっすり寝室で眠っているのだろうと思い込んでいたのだ。今こうして状況を書きながら、なんて自分は迂闊だったのだろうと苦々しい思いに苛まれる。

夕食の支度も終えて、猫達の食事に名前を呼んでも現れない。起こしに行ったところ、弟分の子がベッドですやすや眠っていた。たいてい一緒にくっついているのに...と思いながらも部屋のあちこちを見て回る。いつもいそうな所に姿がない。いやな予感がした。買い物から帰宅して両親の部屋に入った時、私の留守中に荷物を入れた庭側のガラス戸が少し空いていたことを思い出したのだ。

(もう、猫さんが外に出るから気をつけてっていつも言ってるのに)と思いつつ閉めたあの時。なぜすぐに猫達がいるか確認しなかったんだろう。その時は部屋の内ドアが閉まっていたことで(良かった...)と安心したのだ。

出て行った子はもう猫としてはかなり高齢だ。十数年前に保健所にいた子猫を引き取った。以前にもnoteに書いたけれど、母親や兄妹と離され檻の中で一点を見つめて立ちすくんでいたこの子を幸せにしよう、そう誓って長い間一緒に暮らしてきたのに、こんな不注意で寒空の中を彷徨わせている。どこをどう探せばよいのか途方にくれ、胸が張り裂けそうになる。

完全室内飼いの子はそう遠くには行かないはずだから近くを探してという獣医さんのアドバイスのもと、近所の植え込み、室外機の下、家と家の間の狭い路地を懐中電灯で照らす。名前を普段通りの声でそっと呼びながら。

しかし反応はなかった。目のかかるところにはどこにも姿が見えない。隠れた猫を探すのは至難の業なのだ。家の前にご飯を置いて出てくるのをひたすら待つ。

翌日朝イチで警察に遺失届を出し、保健所(動物愛護センター)に電話をかける。保護された子はいないか、またはこれから保護されるかもしれないうちの子の特徴を伝えるために。「殺されることがありますか?」声の震えを抑えきれない。
「今は捕まえても殺すことはないです。センターで保護しますから。安心してください」
いくぶんホッとする。すぐにポスターを作り、人の集まりそうな近辺のスーパー、公民館、郵便局、学校、複数の動物病院などに貼ってくれるようお願いにまわった。関係のない機関が多いのにも関わらず快く引き受けてくださり、「心配ですね、早く見つかるといいね」という温かい対応にどれだけ心慰められ感謝の思いに手を合わせたことだろう。

たくさん人の住む住宅街、すぐに見つかるだろうと最初は思っていた。毎日仕事以外の時間は近所を隅から隅まで歩き回る。今日こそは見つかるという根拠のない自信と手がかりなく帰宅する落胆...こうして日々は刻々と過ぎていった.....

捜索プロの方のLINEアドバイス、チラシのポストインの範囲を広げ、地域猫に庭でご飯をあげているお宅にはトレイルカメラの設置の許可をもらい猫の出入りを監視する。

家の前の雑木林には入ってないだろうとプロには言われたが、やはり気になり全身の虫除け作業服を買って捜索する。虫はこの世で1番苦手だけれど今はそんなものどうでもよかった。1人で踏み込む険しく急な池までの雑木林。こんなところに入ったままでいるはずがないと直感的に感じながらあの子の名前を呼び歩き回る。返事はなかった。

あんなに食いしん坊の子が何日もご飯を食べずに彷徨っていると思うと胸が苦しくなる。と同時に飼い猫が外に出るリスクをそれほど深刻に受けとめていない家族の不注意さに日ごと怒りが湧くのが抑えきれない。責めても仕方がないのに、家族だっておそらく苦しいのにと頭で理解していても今の自分はずいぶん冷ややかで親不孝な言動を止めることができないでいる。きっといつか私はこの時間のことを後悔する日が来るとわかっていても。

毎朝毎晩、住宅街を歩き回る。家の周りにご飯を置き、仕掛けた監視カメラをチェックする。あの子がいなくなった日から私の生活は仕事が終わるとこの繰り返しだ。あの日から本など一冊も読んでいない。

猫は家の中では人間に合わせて夜もぐっすり眠っているが、外では深夜から早朝にかけて活動する。昼間に探しても猫の姿などほとんど皆無だ。
夜は深夜まで懐中電灯で人の車の下を照らしてまわる。朝は5時から少し離れた住宅街を名前を呼びながら歩く。夜空に煌めくオリオンをこんな悲しい気持ちで眺める日がくるなんて思わなかった。空から地上を見ているこの星ならあの子の居場所を知っているのだろうな。どうか会わせてくださいと呟きながら真っ暗な道をひたすら懐中電灯で照らす。怖いという気持ちがあとからじわじわと迫って来る。後ろに知らない人が近づいて来ると動悸がして慌てて路地に逃げ込む。一番怪しいのは自分だろうに。

何百枚もチラシをポストインして回ったのに目撃の情報は数件。その全てが全く違う猫だった。期待どおりにいかないもどかしさと切なさに心が押し潰されそうになる。
毎晩捜索後に家に帰るとポツンと待っているあの子の弟分の子。仕事から帰って遊んでやることもなく、ご飯とトイレの世話をしたあとはそのままあの子の好きだったご飯をポケットに詰めて飛び出し、夜に疲れ果てて戻るだけの飼い主。申し訳なさが募り、涙がこぼれる。

へたり込む私の膝に登って顔を見つめ「にゃあ」と小さなこえで話しかけて来るこの愛しい子が今の私の唯一の慰めだ。
「一緒にいてくれてありがとう。大好きだよ」と温かな背中を撫でる。なのに私は思ってしまうのだ。あの子の背中は絹のように滑らかだった。大きくて温かで顔を撫でると幸せそうに目を閉じてゴロゴロと喉を鳴らしていた...とあの子のことばかり。

それでもこの弟分の子は私を小さな手でキュッと抱きしめながら眠りにつく。時間が過ぎていく焦りと消耗でいっぱいいっぱいの自分の精神が崩壊しないでいられるのはこの子のおかげでしかない。

今、これを書いているのは車の中だ。今日目撃の連絡が入り、その家の庭に餌とトレイルカメラを置かせて頂いた。そして車の中で猫の出入りをもう3時間も見張っている。まるで刑事ドラマの張り込みのようだと苦い思いと共に、誰もいない部屋で私の帰りを待つ小さなこの子のことが気がかりでならない。

あの子がいて、2匹で仲良く戯れて、好きな本を読んで、料理をして、Twitterで温かな繋がりを持った人達と本の話をしたり日常の話をしたり...なんて幸せな日々だったのだろう。
もう一度あの日常を取り戻せるのだろうか。

あと1時間したら家で待つ子のところへ帰ろうと思う。明日はあの子に会えると信じて。捜索の日々の記録が喜びの感謝で終わることを祈りつつ。



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