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猫を追いかけて(2)

2024年、元日早朝に家のインターフォンのベルが鳴った。静かな朝の住宅街、もしかしてという胸騒ぎに階段を駆け降りる。
玄関を開けると知らないご婦人が車を停めて立っていた。
「あの、探されていた猫は見つかりましたか?」
あの子の情報⁉︎ひょっとして保護して連れてきてくださったのだろうか。
「いいえ、まだ...」車の方に思わず視線が走る。ご婦人の方も興奮気味にスマホをなぞり、画像を探っている。
「今朝うちの庭にね、似ている子がいて写真を撮ったんです!」
スマホを覗き込むとそこには似ている毛色の子が写っていた。
「大きな猫でしたよ。近寄ったらサッと逃げてしまったんだけど」
少し自宅から距離があるけれどチラシをポストに入れたお宅のかただ。こんなお正月に知らせに来てくださるなんて、なんとありがたいことか。あの子とは顔が違うような気がしたが、1ヶ月以上も外で厳しい生活をしていたら顔つきも変わると獣医の先生も仰っていたし...。

けれど結果的にはその猫も違っていたのだと今となってみればわかる。実際にその猫を見たわけではないけれど、すでにその時あの子は『大きな猫』ではなく、歩く力すらも失っていたのだから。

目撃の情報が入ればちょっと考えにくいような遠い場所でもそこに駆けつけて、違う猫だと判明しては再び失望のどん底を味わう。あの子がいなくなってから1ヶ月半もの間、この繰り返しだった。ひたすら歩き探し、ポスターを貼り、家々のポストにチラシを入れて回る日々。道ゆく人を捕まえては「こんな猫を見かけませんでしたか?」と写真を見せて誰彼構わずに問いかける。
大半の人が「いいえ...見なかったです。早く見つかるといいですね」と気の毒そうに私を見る。中には何かの勧誘と勘違いされるのか写真すら見ずに手をふって「いやいや、そういうのわたしは興味ないんでねぇ」という人も少なからずいて、「あんたの興味なんて聞いてないんだよ」と心の中で毒づくほどには私の精神は心労ですり減り荒んでいた。

仕事が終わるやいなや職場を飛び出して帰宅する。帰宅するやいなや猫のフードをもって家を飛び出す。どこまでも何度でも毎日同じ街並みを彷徨い歩く。あの子の名前を呼びながら。
何百回、何千回名前を呼べばあの子に会えるのだろう。やがて日は沈み、昨日と同じように夕闇の中に一つ、また一つと星が輝き始めると、会えなかった今日が終わっていく・・・

いつのまにかクリスマスのイルミネーションが家々の庭先にも煌めくようになった。その光を頼りに庭先に目を凝らす。風の冷たさも何も感じない。
ふと、江國香織さんの『デューク』を思い出していた。愛する犬を失ってびょおびょおと泣きながら歩く女の前に現れるどこか懐かしい目をした青年。
「今までずっと、僕は楽しかったよ」
「僕もとても、愛していたよ」
ハイライトの青年の台詞が頭をよぎっていた。いや、思い出しちゃだめだ、あの子は死んでなんかいないんだから。惨めなクリスマスイブの奇跡を祈りながら、誰かの家の窓に愛おしいシルエットが映らないかと立ち止まって見上げてはただひたすらつめたい夜を歩いた。

長らく本も読んでいないのに、空が茜色に染まる夕暮れ時にはいつも村山早紀さんの『コンビニたそがれ堂』を思い浮かべていた。大事な探しものがある人は必ずここで見つけられるという不思議な魔法のコンビニ。どこかに本当にないのだろうかと俯きながら本気で思いを巡らした。

「いつまで歩き回ってるの?もういい加減諦めなさい」毎晩捜索の道ですれ違う年配のおじ様が見かねたように話しかけてきた。「あんたは『ノラや』という本を読んだことがあるかい?どこかでいい人に可愛がられていると思えばいいじゃないか」
申し訳ないが内田百閒氏の『ノラや』は読んだことがないし、見つけるまで私は諦めるつもりもないです。と心の中で返事をし、会釈して通り過ぎた。

こんな生活がいつまで続くのだろうと、やるせない涙が込み上げてきて真夜中の暗い道をしゃくり上げながら家路に着く。

そして年明け、そんな捜索の日々は突然終わりを告げた。

「近くでチラシにそっくりな猫ちゃんが倒れていますよ。酷く怪我をしてるみたい。こっちです、早く!」
ご近所のかたの呼びかけに、私は動揺と不安に押しつぶされそうになりながら毛布を掴んでついていった。歩道に倒れた小さな痩せた猫。怪我をしている足の赤い血が目に飛び込んできて恐ろしさに思わず目を逸らす。こわごわと近づくと、それは紛れもなくあの子だった....

なんて変わり果ててしまったのだろう。ふわふわと柔らかだった大きな体はまるで子猫のように小さくなり、背骨が皮を突き破るかのように浮き出ている。名前を呼ぶと微かに頭をあげて弱々しく鳴いた。冷たい体からは一刻を争う状況であることが明らかだった。休日の中ようやくあいている動物病院を見つけ駆け込んだ。

壊死している怪我の肉を取り、包帯を巻いていく。体温が下がっていくのでお湯を入れたペットボトルやカイロで体を包む。
捜索の時は猫缶やカリカリの音をさせながら歩いていたが、もうとてもそんなごはんを食べられる状態ではなかったのだ。何度も探した場所だったのになぜ見つけられなかったのか、そしてなぜ動けない状態の子があんな人目につく歩道に倒れていたのかはあの子しか知らない。

発見からひと月以上が経過した今でもまだ治療は続いているけれど、ようやく自分でごはんを食べ水を飲むまでに回復してきた。弱って食べたがらない子の口を強制的に開けて食べさせるのはとても難しいことだったし、お互いの精神的負担も大きい。でも同じように過ぎていく日々の中で、物事は少しずつ変わっていくのだ。

こんな体になるまで必死で生きていてくれたんだね。頑張ってまた一緒に生きていこうねと背中をそっと撫でる。ごつごつと指に当たる骨の感触はとても切ないけれど、温かいこのぬくもりに胸がいっぱいになる。この子の温もりは私の心を強くする。

12月に書いた『猫を追いかけて(1)』の時の辛い思いは忘れられないし、今現在同じ思いをしている多くの飼い主さんの気持ちを思うと胸が締めつけられる。
どうか、どうか早く見つかりますように。飼い主さんの待つ暖かいおうちに元気に戻れますように。

捜索から介護までの記録は猫を探す方に少しでも役立つようこれから詳細を書いていこうと思う。そして私に「『ノラや』を読んだか?」と問うたおじ様の事情を、捜索の中で偶然知ることとなったことも。

あの子と過ごす何でもないような日々の暮らしが、少しずつ日常に大好きな音楽と本を取り戻してきている。

最後に、温かい励ましのメッセージをくださった皆様、一緒に探してくださった方々、厚意でポスターを貼らせてくださったお店や学校の方々へ心より感謝申し上げます。

♬君がくれた言葉は 今じゃ魔法の力を持ち
 低く飛ぶ心を 軽くする
虚ろなようで ほらまだ幸せのタネは芽生えてる
もうしばらく 手を離さないで
           Spitz『大好物』



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