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何もない


彼は何もない暗闇をじっと見つめていた。

いつもいつも同じ時間に同じ分数だけ見つめて、さっと別のところに行ってしまう。

私も彼が去った後、彼の見ていた暗闇に目をやるのだけれど、やっぱりそこには何もない。

何も見えない。

いつだったか、彼に何かあるのかと尋ねたことがある。

でも彼は何もないよと言うだけで、さっさと話を終わらせてしまうのだった。

何もないと彼は言ったけれど、何もないところをいつも同じ時間、同じ分数見続けているのはどう考えたっておかしい。

普通ではないことくらい、彼だってわかっているはずなのだ。

それなのにどうして彼は、あんなにわかりやすい嘘を私に言ったのだろう。

何もない。

何もないわけがない。

私は意を決して彼の来る少し前の時間にあの場所へ行ってみることにした。

彼の見つめ続けている、あの場所。

その先に何があるのかを確かめるにはそれしかない。

何もないならそれでいいのだから、さっさと行って確かめよう。

しかし、足取りは重かった。

少しだけだと思っていたが、どうやら私はかなり不安を感じているらしい。

おそるおそるその細い道の先に進む。

まだ夕方で陽が射しているのに、この道だけはとても暗い。

先に目を凝らしても光は見えない。

なんだかとても奇妙だ。

それでもそのまま進むけれど、こうも暗いと出口があるのか不安になる。

幸いなことに下には障害となる物は落ちていないようで、何も足には当たらない。

歩きやすいことだけが良いこと、とはなんとも言えない。

そんなことをグダグダと考えながら進んでいるけれど、やっぱりまだ出口が見えない。

ここにこんなに長い道はなかったと思うのだけれど、と首をかしげる。

やっぱりおかしい……

足を止めて、来た道を戻ろうと考え直す。

回れ右をして、今進んできた道を戻る。

どれだけ進んだかはわからないが、やっぱり光は見えない。

どうしてこんなよくわからない道を進もうとしたのだろうと後悔して涙が出そうになった時、どこかからぬっと手が伸びてきて私の腕を掴んだ。

反射的に後ずさってその手を振り払おうとしたけれど、その手が引き寄せる力の方が強くそれは叶わなかった。

転びそうになりながら手前によろけると、雑踏と夕日が目の前に現れた。


何もないって言っただろう


上から落ち着いている彼の声が降ってくる。

驚いて口を開けっぱなしにしている私の腕から彼は手を離さずに歩き出す。


あそこには何もない

だからもう行っちゃだめだ


私は何も言えなかったけれど、短く一回だけ頷いてみせた。






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