シケンカンベイビー
昔、体外受精により生まれた赤ん坊を試験管ベビーと呼んだ時代があったらしい。
当時は酷く批判的な用語として使われていたようだけど、今の時代を生きる僕たちにしてみればなんてことない言葉だった。
だって、それは本物の試験管ベビーではないから。
体外受精をして生まれた赤ん坊は、ヒトから産まれている。
母親の胎内で大きくなり、そして産まれる。
母親から産み落とされる、と言った方が正しいかもしれない。
なあ、話聞いてるか、おーい
あ…ごめん、聞いてなかった
頼むよ、人類史上最強の頭脳を持つとか言われてるんだろ
人の話くらいちゃんと聞こうぜ
彼は僕に対して気兼ねなく話しかけてくる。
他のヒトたちは僕には雑談なんかで絶対に話しかけない。
他のヒトたちにとって僕は、気軽に話しかけることのできる存在ではないらしい。
ごめん、なんだっけ
まー特に何もないんだけどさ
何もないの?
や、すこーしだけある
なに?
次に生まれる試験管ベイビーのことさ
ピクリと右の眉が動く。
次は誰の遺伝子を使ったのかな
……やっぱ気になる?
気になるよなあー
彼のこの感じだと、知ってはいるけれど話すのをじらしている。
僕の反応を見て面白がっているのだ。
彼にはそういうところがある。
……知ってるのに話すつもりがないのなら自分の部屋に帰りなよ
やー、部屋に帰ってもさー
ピアノしかないんだもんつまんないー
だもん、じゃないよ……まったく
……君と同じ遺伝子だって
え?
次に生まれてくる子
君と同じ遺伝子だけど、性別を変えてみたんだってさ
男女で同違いが出てくるのかの実験、か……
あのヒトたちがやりそうなことだ、と心の中でため息を吐く。
……どう思う?
何が?
自分と同じ遺伝子を持つ女性が生まれてくること
彼の問いに答えるためにわざわざ手を止めて目を合わせる。
どうとも思わない
きっと生まれてくる子だって同じさ
自分と同じ遺伝子を持ってるって、ただそれだけのことだよ
君だってそうだろう?
同じ遺伝子を持つ女性が生まれたって、どうとも思わないんじゃないかい?
いや、俺は気になるね!
だって同じ遺伝子を持ってる女性だぜ?
凄く気になるね、俺とは違う音を作り出すのかなって
……音楽家の君はそう考えるのか
小さく笑って、中断していた作業に戻る。
君も早く部屋に戻りなよ
あのヒトたちそろそろ巡回して来る時間だろ?
うわ、本当だ……じゃあまたな!
はいはい、またね
バタバタと大げさな音をたてて彼は帰っていった。
手を動かしながら頭の隅で考える。
大昔に呼ばれていた試験管ベビー、というものを。
蒼の庭で過ごしている僕たちからその言葉について一言物申すと、笑わせるな、これに尽きる。
僕たちはシャーレの中で誕生し、巨大な試験管の中で育った。
蒼の庭にいる子供たちは、みんな試験管から産まれた。
僕たちこそが本物の試験管ベビー、いや試験管ベイビーだ。
才能のあるヒトの遺伝子をそのままに、ある意味でクローンと呼ばれる存在を創りだす。
試験管ベイビーを創りだす。
ヒトという存在はどこまで手を伸ばしていくつもりなのか。
その先に何があるというのか。
それを試験管ベイビーを使って探し出そうというのか。
それは、僕を含めて誰にもわからなかった。
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