行動を選ぶ
あの日、業施設は珍しくいつもより人が多かった。
僕と彼女は、はぐれないように手を繋いで店から店へと歩いていた。
来るまでも来てからも歩きっぱなしだったから、大きな吹き抜け広場のベンチで休憩することにして腰を下ろす。
不意に彼女が一人の子供に目を止めて、僕の左耳に口を寄せる。
あの子、迷子かな
え
ほら、あの女の子、一人でいる
今日はこの先にある西の広場で子供向けのイベントがあるから家族連れの人達が多いでしょ
それなのにあの子、親と一緒じゃないなんて不自然よ
彼女に言われるまで気が付かなかったが、商業施設の壁にはイベントPRポスターがそこかしこに貼られていた。
うーん、待ってるだけじゃないのかな
待つにしてもどちらかの親は子供と一緒に居るのが普通よ
だって、子供なのよ
子供、の部分を強めに発音する。
子供の連れ去り事件がこの数十年右肩上がりなのは、あなただって知っているでしょ
確かにそうだけど
僕が渋っていると、彼女がベンチから立ち上がって女の子のもとへ向かおうとした。
すかさず彼女の手首を掴まえて、近づかないように止める。
ちょっと、手、放してよ
待ってよ、もしかしたらネオテニーかもしれないだろ
不用意に近づくのは危険だよ
ほんの数秒だけれど、彼女の動きが完全に止まった。
それから彼女のまばたきの回数が増える。
ネオテニーって、そんな、世界的にみてもまだ十万人もいないじゃない
先程の口調とは打って変わり、明らかにそれは狼狽を含んでいた。
でもネオテニーは近年、それこそ右肩上がりで増え続けているだろう
この国では既に千人近くいるんじゃないかって報告もある
そう考えると、あの女の子がそうじゃないって言えるかい
彼女を掴んでいる手から、彼女の体温が上がっていくのを感じる。
一度だけ深く息を吐き出すと、彼女は僕の目を見て結論を口にした。
それでも、あたしは放っておくことは出来ないわ
ネオテニーだったらそれはそれ
迷子だったら商業施設のスタッフに預ければいいし、迷子じゃないなら親が現れるまで一緒に待っていたらいいじゃない
それにもし、声をかけなかったとしてね
後からメディアとかであの女の子が連れ去られたって知ったら、あたしきっと一生後悔するわ
あたしはあの時、声をかけておけばよかったとか思いたくないのよ
彼女は行動して後悔するよりも行動しないで後悔する方が、より恐ろしいようだった。
だから、あの女の子がネオテニーであったとしても声をかけることを選んだ。
彼女の意見を尊重して僕は手を放す。
そして僕もベンチから腰を上げて、迷子らしき女の子に声をかけるのに同行する。
もし女の子がネオテニーだったとしても彼女の言うように、それはそれ。
そもそも僕たち人類は、まだネオテニーについてちゃんと理解していない。
だから怖がったり、面倒だと思って関わらなかったり、存在しないものとしてしまう。
あの子がネオテニーなら、ネオテニーのことを知るいい機会じゃないか。
あの日。
彼女が後悔しない選択をして声をかけようという時に、僕はそんなことを考えていた。
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