見出し画像

「スタディ」のマインドセット

建築の世界では、「スタディする」という言い回しをよくする。設計の検討段階で自分のアイデアやコンセプトを模型やパースのような形(ま、模型が多いかな)でアウトプットして善し悪しを分析し、検討することを指す。「スタディ模型」と言うと、その名の通りスタディのための模型で、だいたいがラフに作られており、クライアントへのプレゼンのために作られる精巧な模型とは区別されるし、「ボリュームスタディ」と言うと、建築の意匠以前の敷地に占める「ボリューム」だけを検討するプロセス(たいていはスタイロフォームとか粘土とかで作ったラフでマッシブな模型を作る)を意味する。

この「スタディする」という言い回しは、どういうわけか建築以外の世界(UXデザインやサービスデザインの分野)ではあまり聞かないが、実はすべてのデザイナーにとって、自明だけど重要なマインドセットだと感じる今日この頃である。

「スタディする」というアクティビティには、文字通り「学ぶ」という含意がある。単にアウトプットするだけではなく、アウトプットしたものを自ら観察、分析して別の観点や切り口を発見し、さらに別案を作ってみて再度分析するというトライ&エラーのプロセスを含んだアクティビティである。そういう意味において、「アイデアスケッチ」とか「プロトタイピング」とはちょっとニュアンスがちがう。まぁ平たく言うとやってることは一緒なんだが、これらは「アウトプットの形態」しか言い表してない。スタディにおいて重要なのはアウトプットそのものではなく、それを媒介にして自らが気づきを得るという発見的な姿勢である。言わば、リーン思考における「Build」「Measure」「Learn」を一言で言う便利な言葉とも言える。ただ、これもちょっとニュアンスがちがうのが、リーン思考における「Learn」はあくまで客観的な指標を決めた上で測定する「評価」に近いが、「スタディ」はあくまで自分自身の感性で観察し、発見する内省的なアクティビティ、という感覚がある(※あくまで個人の感想)。この内向きの内省性(って言葉があるかどうか知らんけど)こそがけっこう重要だと思う。スタディするためには、「自分が思いついたアイデアやコンセプトがいいのかどうか、アウトプットするまでは自分でもよくわからない」という基本スタンスが求められる。さらに、アウトプットしたものに対して、示唆的な発見をするためのフラットな観察力が重要である。この探索過程における発見の質と数が「解空間」の振れ幅を決め、設計の練度に端的にモノを言う。

だから、スタディは時系列的にはレビューとかプレゼンなど自分の案を言語化する以前の内省的な思考過程である。スタディは、あくまで一人で黙々と作ってしげしげと眺め、あーでもない、こうでもない、と小声でブツブツ言ってる、ぐらいがちょうどいい。ワークショップ的なワイガヤ系アクティビティの中でできなくもないが、それだとスタディの深度が浅くなる気がする。言葉ではなく「手で考える」プロセスである。

ちなみに、藤村龍至氏は、このような模型を使ったスタディのプロセスに対していくつかの明確なルールを付与した「超線形設計プロセス論」という方法論を体系化し、そのプロセスが「検索過程」「比較過程」の2つで構成されると言い表した。この概念も、建築に限らずすべてのデザインプロセスにあてはまる普遍性があると思う。
http://db.10plus1.jp/backnumber/article/articleid/782/

この「スタディする」という行為とマインドセットは、デザイナーなら誰しも無意識に身についていると思っていたのだが、最近の若手をみてると意外とそうでもない、ということに気づき始めたのでここに改めてその重要性を訴える次第である。

「スタディ」のマインドセットがそもそも身についてないか、マインドセットはあっても、レビューやプレゼンから逆算してスタディをこなすための手数と時間を組み込むプロセスの設計ができてないか、どちらかである。そういう場合には、まずはアウトプットする案を物理的に増やす(もしくは増やすための時間を確保する)ことから始めるしかない。

ただ、やはり言葉のちがいによる解釈も大きいので、最近はちょっと意識して、意図的に「これちょっとスタディしてみて」と言ったりしている(伝わっているかどうかは謎)。


Photo by Joanna Kosinska on Unsplash

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?