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19歳の私も聴いたイーヴォ・ポゴレリッチのショパン

サントリーホールでイーヴォ・ポゴレリッチのリサイタルを聴いた。

ポロネーズ第7番 変イ長調 op.61 「幻想ポロネーズ」
ピアノ・ソナタ第3番 ロ短調 op.58
幻想曲 ヘ短調 op.49
子守歌 変ニ長調 op.57
舟歌 嬰へ長調 op.60

《アンコール》
前奏曲 嬰ハ短調 op.45
ノクターン ホ長調 op.62-2

私が初めてポゴレリッチを聴いたのは1999年12月4日、彩の国さいたま芸術劇場だった。

プログラムは

ポロネーズ第4番
ポロネーズ第5番
ソナタ第2番
3つのマズルカ作品59
ソナタ第3番

だった。

ポゴレリッチに興味を持ったのは、宇野功芳が彼のハイドンやスカルラッティを絶賛していたから。

私は彼のショパンやリストではなく、バロックと古典派から惹かれていった。

彩の国で聴いたソナタ第2番。

葬送行進曲の中間部、突如明るく光が差すくだりで、ホール中が天国のお花畑になったのを感じた。

今までたくさんピアノのコンサートを聴いてきたが、このときの衝撃と感動を超えるものはなかった。

ポゴレリッチは病から復帰後、風貌も演奏スタイルも様変わりしてしまった。
私は1、2回聴くにとどまり、しばらく彼の生演奏から遠ざかっていた。

今回も早くから買っていたわけではなかった。チケット代も高かったし(8000円)。

だが、今日行って本当によかった。

ポゴレリッチは今日も楽譜ありで譜めくりさん付き。
舞台に現れるなり持ってきた楽譜を床に投げ捨てたので何事かと思ったら2曲目の楽譜だった(譜めくりさんがあとで渡していた)。

以前から不思議に思っているのだが、譜めくりさんって専門の事務所があるのだろうか? 

譜めくりのプロって存在するのかな。それとも音楽関係の人がその都度やってるんだろうか。

今日は細身の女性だったが、ポゴレリッチの濃密なピアノ演奏の間近にいても背筋を伸ばして微動だにせず、長年連れ添ったパートナーのような親密感、一体感があって素晴らしかった。
ポゴレリッチが彼女にジョークを言っている素振りも見えた(聞こえなかったが)。

ステージの照明は2005年ほど暗くない。むしろ客電が少し明るいくらいに感じた。

最初の「幻想ポロネーズ」を聴いてたら、涙がボロボロ出てきた。

別に好きな曲でもない。
というかショパンとブルックナーはたくさん聴いてるわりにいまいち好きになれないところがある。

ソナタ第3番だけは例外だ。バロックや古典派など形式感のある曲が好きなので、ショパンにおいてもノクターンやマズルカよりソナタに惹かれるのだろう。

なぜ涙が出たかというと、昔の思い出がいろいろ蘇ってきたからだ。

ポゴレリッチの音は骨太。2005年のときはロシア音楽という理由もあるだろうが、とにかく重々しい印象しかなかった。

今日もそれなりに強く弾いてるのだろうが、それで重たくはならず、巨木のような厚みを感じた。

暖かさ。器の大きさ。

ショパンの楽譜には速さの指定もあるだろう。それはショパンの呼吸に従っている。

ポゴレリッチは自分の呼吸でショパンが書いた台本を喋る。

それはショパンを損ねてはいない。
ポゴレリッチがショパンの息遣いでセリフを言う方が不自然だ。

ポゴレリッチは「自分の言葉として」ショパンを奏でていた。

ポゴレリッチも病に伏せったが、1999年といえば私も病気になる前。

海外の長旅から帰ってきて「とりあえず大学に入ってゆっくり先のことを考えよう」と思っていた時期。

翌年から精神を病んでいく(通院を始めたのは2000年だが、症状は中学生くらいからあった)。

23年間のあいだ、いろんな出来事があった。

「夢やぶれて」というほど大きな夢を描いていたわけではなかったが、病気とともに生きてきた。

自殺念慮に苦しんでいた時期も長かった。
入院期間も長かったが、今年就職活動に挑戦できるくらいの体調にはなってきた。

音楽を聴きながら23年前の病気の苦労も何も知らない自分のことや、それからの23年間のことを思い返して、泣けて仕方なかった。

しかしそこはクラオタ歴25年の私。鼻をすすって音を立てるわけにはいかない。

マスクの下で鼻水垂れ流しでした😓

今日はソナタの曲間はもちろん、曲と曲の間も続けて演奏された。

幻想ポロネーズが終わってもポゴレリッチは座ったまま。
拍手を浴びても座り続け、やがてそのまま弾き始めた。
立ちたがらない本人の様子を見たので、私は拍手しなかった。

お目当てのソナタ第3番の第3楽章が圧巻だった。
最高級の肉や魚の一番美味しいところだけいただいてる感じ。
録音マイクはなし。会場にいる人だけのご褒美だった。

テンポはじっくりたっぷり。力強さも暖かさも輝かしさもある太い音。

全編ポゴレリッチの歌が溢れていて、「ゴッド・ファーザー」のような長編映画を見ているかのよう。

フルトヴェングラー指揮するベルリン・フィルが奏でるベートーヴェンを聴いているようでもあった。濃厚な味わいだった。

休憩後の後半、鼻呼吸しようとしたら鼻水が詰まっているのに気づいた。
前半に号泣したせいで鼻水が出ていたのだ。

鼻をすするわけにもいかず、しかも曲間の拍手もないから最後まで延々口呼吸…😂

苦しかった…😂

そのせいばかりではないだろうが、後半はわりと冷めた感じで聴いていた。
明日のスケジュールを思い出したりもして。
前半にドバーッと感情を表出しすぎた😓

ポゴレリッチの音色は1999年に聴いたときのままの輝かしさ。

楽譜を置いたり譜めくりさんを用意したりというスタイルこそ異様だが、出てくる音のなんと純粋なことか。

ポゴレリッチは完全に復活したんだ…

と、今さらながら思った。

より厚みとスケールを増して奏でられたショパン。

紛れもないポゴレリッチの音。

23年前、彩の国さいたま芸術劇場の客席で彼のショパンを聴いていた。

今日のポゴレリッチはおそらく1999年の彼を上回る。

私のベストは塗り替えられるだろうか。
確実にそうだ、とは思えない。

23年間、あまりにもいろんなことがありすぎた。
もちろんポゴレリッチにとっても同じ年月だったわけで。

彼に再会したことで、19歳の自分を音楽の中に見つけた。

その先の苦労も、その反対の喜びも何も知らない自分を。

若さとは何と未熟で、可能性に満ちているのだろう。

ポゴレリッチのピアノの眩しいほどの輝きは、19歳の私の紛れもない青春の輝きでもあったのだ。

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