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指揮棒は魔法の杖 園田隆一郎の「ドイツ・レクイエム」

横浜みなとみらいホールで、日本フィル横浜定期を聴いてきた(こっちは“本物”の感想記事です😅)。

聴いたふりして書いたニセ記事がこちら😂

気を取り直して😅💦

ブラームス:ドイツ・レクイエム op.45

指揮:園田隆一郎
ソプラノ:砂川涼子
バリトン:平野和
合唱:日本フィルハーモニー協会合唱団

日本フィルハーモニー協会合唱団の高齢ぶりを見て、日本の高齢化を実感しました😅💦

日本は合唱がアマチュア文化で、常設のプロの合唱団は少ない。
オーケストラ公演はアマチュア合唱団に支えられているわけだが、合唱団の存続はどこでも問題なのかもしれない(東響コーラスはもう少し若かった印象だが……)。

ソリストの出番は少なく、オケよりも合唱の比重が大きい音楽。
「ピアノ付きの交響曲」とも言うべきピアノ協奏曲第2番を書いたブラームスらしい(形式より内容重視なのだ)。

聖書の歌詞は読んでもよくわからないので対訳は見ずに聴いたが、レクイエムっぽさはあまりない。荘厳な合唱付き管弦楽曲という感じか。

今回不満に感じたのは園田隆一郎の指揮。アマチュア合唱団相手だったせいもあるのか、あまりにも素朴な振り方というか、わかりやすすぎる振り方。

最近はわかりにくい振り方をする指揮者が減った。
それはテクニックの向上にもよるだろうが、いいことばかりではない。

本来、利き手が右の指揮者なら、右手(または指揮棒)で拍子を、左手で表情やニュアンスを指示するものだと思っているが、最近は左手も右手に連動して拍子を取っているだけの指揮者が増えた。私はラジオ体操風の指揮と呼んでいる。

これだと指揮者はただテンポの指示しかしていないことになる。
テンポはオケが自然な音楽の流れに乗ればことさら指示する必要がなくなる場合もあるので、そうするとただ音に合わせて踊っているだけに見えることすらある。

指揮者の技量は左手の表現の幅にあるのではないだろうか。事実世界的な指揮者はみな両手がバラバラに動き、間違ってもラジオ体操には見えない。

私は指揮棒というのは魔法の杖だと思っている。
オーケストラ初心者はどこを見て聴いたらわからないと聞くが、指揮者を見て聴くのが一番わかりやすい。音楽の中心であり、美しさが生まれ出る泉だからである。

だからこそ、指揮者の棒さばきは多少複雑であってほしい。
ジョナサン・ノットもひらひらと指揮棒が蝶のように舞う。クライバーの指揮に通じる豊かなニュアンスを感じる。

棒の振り方があまりにもシンプルだと、そうした紛れは起こりにくいのではないか。
以前アマオケの団員の人に「アンサンブルをわざと揃えない指揮の仕方もあるんですよ」と話したら驚いていた。アンサンブルを合わせるのが第一の目的と思っていたようだ。

フルトヴェングラーや山田一雄の棒はぶるぶる震えるが、そうした「わかりづらい」指揮から数々の名演が生まれてきた。
誰もがきっちり縦の線を合わせればいいわけではない。

園田さん、さすがにこのスタイルで「運命」は振らないと思うが、もし振ったら何の面白みもない演奏になるのではないか。きっちりした生真面目なだけの音楽になりそうだ。

牧歌的な音楽が合いそうなので、十八番のロッシーニの序曲、アランフェス協奏曲、ドボ8なんかのプログラムだと魅力が活きそうだ。

マタチッチみたいにひたすら手刀を繰り返して大聖堂のようなベト7を作り上げる例外もあるが、あれは巨匠の芸。
指揮者は芸術家であるから、詩人のような美辞麗句でオーケストラや聴衆を惹きつけてほしい。
実務的な指示ばかり繰り返すのはよく言えば職人だが、交通整理に見えなくもない。

園田さんが「おんがく交差点」に出演してヴァイオリニストの大谷康子さんとピアノで共演したとき、大谷さんが「縦の線より横の線を大事にされる方。指揮もピアノも交通整理じゃない」といったことを話していた。
日本人指揮者の中では異色のオペラ畑の存在だと思うので、私も彼の「横の線」を楽しみにしていた。
今回の演奏会で声楽作品に対する強さは感じられたが、ノットがひらひらした指揮棒で見せてくれる光景とはやや違っていた。

ドボ8以外にも、例えばグレートや田園なども園田さんに合いそうだ。
歌心の先にある美しい世界を魔法の杖でいつか見せてくれるだろうか。

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