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晦渋さの中に面白味 古典四重奏団のショスタコーヴィチ その1

ルーテル市ヶ谷ホールで、古典四重奏団のショスタコーヴィチを聴いてきた。

田崎さんのレクチャー
弦楽四重奏曲第2番イ長調作品68 
弦楽四重奏曲第3番へ長調作品73

古典四重奏団
川原千真 (第1ヴァイオリン)
花崎淳生 (第2ヴァイオリン)
三輪真樹 (ヴィオラ)
田崎瑞博 (チェロ)

読書感想文などの紋切り型で「いろいろ考えさせられました」というのがあるが、今夜のコンサートはまさにそれだった。

といっても私は作曲の歴史的背景には疎いので、音楽とは必ずしも関係のないことだったりする。

いろいろ考えたことを2つに要約すると「古典四重奏団すげー」と「ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲の良さがわかるようになって嬉しー」である。

私は弦楽四重奏を生で聴くのはたったの2回目である。前回も古典四重奏団で、所沢の松明堂音楽ホールでのハイドンの弦楽四重奏曲連続演奏会だった。

1986年に結成され、以来メンバーを変えることなく活動を続けている古典四重奏団に興味を持ったのは「全曲暗譜で演奏する」という世界的に見ても稀なカルテットだからである。

暗譜というと名人芸の披露のようだが、古典四重奏団の演奏を聴けば全然異なるとわかる。
譜面台がないからかえってショスタコーヴィチの書いた音符が空間を飛び交うように見えるのだった(川原さんが各楽章が終わるたびにしきりにチューニングしてたが、それが普通なのだろうか)。

弦楽四重奏団のコンサートは他にも買ったことがある。
アルバン・ベルクQのさよならコンサートとモザイクQのコンサートである。どちらも体調が悪くて行けなかったのだが、弦楽四重奏のコンサートはそもそも買ったことが少ない。

なぜかというと、音楽の色合いが乏しく感じていたからである。渋すぎるというのか。

弦楽四重奏はクラシック音楽の玄人趣味の最高峰と言われる。
私はリート(歌曲)も加えていいと思うが、弦楽四重奏が晦渋な世界なのは大方のクラシックファンなら思うことではないだろうか。

今回、古典四重奏団がショスタコーヴィチのチクルスを開始すると知って、これは全公演行かねばなるまい!と思った。
聴きなじみのない名曲を名手の演奏で聴くのはスリリングでたまらない。

弦楽四重奏曲の大作家というと、私の中ではハイドン、ベートーヴェン、バルトーク、ショスタコーヴィチが思い浮かぶ(あんまりわからずに言ってるだけだが)。
ハイドンは無理だろうが、他の3人の弦楽四重奏曲は全曲生で聴いてみたい。

ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲は名盤の誉高いボロディンQの全集で持っているが、昔にざっと聴いただけなので今回初めて聴くに等しかった。
そして、案の定(というより予想以上に)晦渋と言うしかない世界観で、その難解さは私を魅了した。

クラシックを聴き始めのころなら絶対退屈していただろう。実際私の隣のおじさんは退屈さをこらえるようにしきりにもぞもぞしていた(特に第2番)。

私が最初に買ったCDはカラヤン/ベルリン・フィルの「運命/田園」で、以後ベートーヴェンの他の交響曲も同コンビで揃えていったが、「英雄」なんてどこがいいのかさっぱりわからなかった(フルトヴェングラー/ウィーン・フィルも聴いたが)。「運命」ですら全曲聴き通すには長く感じた。

それから27年近く、CDやコンサートでクラシックを聴いてきた。楽しめる曲は増えてきたが、ショスタコーヴィチを深く理解するには音楽史的な知識が不可欠だと思う。しかしいまだにそんな知識はなく、雰囲気で聴いている。

ただ、ショスタコーヴィチの音楽はそれでも感動できるからよくできているとつくづく思う。
好きな曲はヴァイオリン協奏曲第1番や交響曲第7番「レニングラード」。それらのわかりやすさに比べれば今夜の2曲ははるかに晦渋だが、それでも面白味や美しさを感じることはできた。

私は現代音楽もそこそこ好きで聴くので、それらに比べたらはるかに聴きやすい。そして繰り返し聴きたいと思える点でショスタコーヴィチは古典なのだなぁと思った。

この晦渋さは映画でいったらテオ・アンゲロプロスの「ユリシーズの瞳」だろうか?(もっと渋い映画はあるだろうがあまり知らないので😅)。

アンゲロプロスは長回しが特徴なので、初めて見るとあまりにも間延びした時間感覚に眠気を誘われる。

能も見慣れない人には晦渋な世界かもしれない。

しかし最初はとっつきにくさがあっても、何かを境に面白さがわかりだすことがあるのが芸術の不思議。

最近は説明的でわかりやすいもの(即効性のあるもの)が好まれる。そういうジャンクな作品ばかり消費してるのはもったいないと思う。

流行りをチェックしたいだけの人ならそれでいいだろうけど、芸術による深い感動を求めるのなら一歩踏み込む必要がある。

結局、感動の性質は芸術に何を期待するのかで変わってくるのだと思う。
小説も、物語を堪能させるエンタメ小説と文体や小説観で揺さぶってくる純文学がある。
「芸術に楽しませてもらいたい」と思う人もいれば、「芸術に自分の世界観を打ちのめされたい」と願う人もいる。私は後者である。

古典四重奏団を2回聴いて思ったのはこの人たちは信頼できるということ。

音楽と向き合う姿勢が献身的だ。まるで客席の最後列に座っている作曲家に聴かせるような演奏ぶりだった。

このカルテットならベートーヴェンやバルトークに限らず、ドビュッシーでもブラームスでも何でも安心して聴けそうだと思った。

なお、田崎さんのユーモアを交えたレクチャートークまで聴けるのはありがたい。
カルチャースクールで40年講師やってる人並みのトークスキルです🤣

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