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私の宇野功芳

宇野功芳の思い出。

亡くなって6年近く経ってもクラシックファンに絶大な人気を誇る宇野功芳。
ただ、ファンの中には「〜といえよう」や「メータのブルックナーは聴く方が悪い」というネタにのみ終始して、実際の宇野さんの本は読んだことがないという人も多いのではないか。

私はバリバリの宇野チルドレンだった。

私が最初に行ったクラシックコンサートは「功芳のラストリサイタル」、宇野さんと新星日本交響楽団によるオール・ベートーヴェンプロだった。

当時、私はクラシックに興味を持ち始めたころ。
CDショップでカラヤン指揮ベルリン・フィルのベートーヴェンを買い集めたり、『レコード芸術』を毎月買ったりしていた。

『レコ芸』をパラパラめくって、すぐ目に飛び込んできたのが宇野さんの文章。

『レコ芸』の評論家陣なんて、褒めてるのか貶してるのかわからない。
それ以前に、何が言いたいのかすらわからない。

宇野さんの文章は快刀乱麻、わかりやすいわかりやすい。
宇野さんの選評を読むのが毎月の楽しみだった。

『ぴあ』も毎週買っていたので、たまたま「功芳のラストリサイタル」との見出しを見つけ、1997年7月9日サントリーホールに足を運んだ。

クラシック好きのスポーツライター玉木正之氏とのプレトークがあり、序曲「コリオラン」、前橋汀子とのヴァイオリン協奏曲、メインは交響曲第7番だった。

「功芳のラストリサイタル」

CDにもなっている。
買って聴いたが、生演奏ほどの衝撃はなかった。

交響曲第7番を聴いたのはそのときが初めてだった。
今はあの第4楽章で血湧き肉踊ることはなくなったが、当時は熱狂した。

宇野さんは最後に怒涛のアッチェレランドをして、指揮棒を客席に放り投げてしまった。

そのとき私は宇野功芳の魔術に酔わされたのだと思う。

当時、市川猿之助(現・猿翁)の早変わりや宙乗りといったケレン味のある歌舞伎にもよく行っていた。
宇野さんが指揮棒を放り投げたのもまさにそれに連なるパフォーマンスと言えるだろう。

四角四面のクラシック論壇に対して喧嘩を売るようなパフォーマンス。
吉田秀和にはこんな芸当はできない。
なぜなら「命をかけた遊び」は宇野さんの専売特許だから。

宇野功芳が吉田秀和に言及している文章は読んだことがない。
吉田秀和は何かのライナーノートで「シューリヒトやクナッパーツブッシュのブルックナーに関しては宇野さんの方が詳しいので……」と書いていた記憶がある。
生涯交流はなかったのかもしれない。

水と油のような二人だが、NHKの「SWITCH」のような番組で対談が実現していたらどんなに面白かっただろう。
文楽と志ん生、トスカニーニとフルトヴェングラーのようなライバル関係と言ったら持ち上げすぎだろうか。

宇野さんは「オーケストラより合唱音楽の方が上。合唱はデリケートで難しい」と常々言っていた。
宇野さんが主宰していた女声コーラスのアンサンブル・フィオレッティや定期的に指導していた跡見学園女子大の合唱のコンサートも聴いた。

私が行ったコンサートではないが…

川口リリアホールでのフィオレッティのコンサートではモーツァルトの「魔笛」メドレーがあり、宇野さんも高く評価していた音楽評論家の福島章恭氏がパパゲーノの笛を吹くという凝った演出もあった(福島氏も合唱指揮者である)。

宇野さんの合唱指揮はオーケストラ指揮のような強烈な個性がなく、いたってシンプルだったと思う。
オーケストラの指揮は彼にとって、ワルターやフルトヴェングラーに憧れたかつてのクラシック少年がやる「指揮者ごっこ」だった。
宇野功芳は永遠のクラシック少年だったのだ。

最後に彼の実演を聴いたのは、石橋メモリアルホールでのアンサンブルSakuraのコンサート。

トリは今回も交響曲第7番。ティンパニ暴れまくりの宇野節全開の爆演だった(晩年はさらに進化しただろう)。

その日のライブ音源

当時の私は有名人と握手するのにハマっていて、たまたまオーケストラの団長らしき人がいたので声をかけたら快く楽屋まで案内してくれた。

前に並んでいた若い男性二人が「新星日響のときよりよかったです!」と熱く話したら「アマチュアは情熱が違うからね」と宇野さんはニコニコされていた。

特に何か話したいことがあるわけではなかったので(会えるだけで満足だった)、次に出る新刊のことを聞いたりした。
握手も快くしてくださった。記憶がおぼろげだが、骨張ったカサカサした手だったかも。
握手はサインと違ってこういう記憶も残るから嬉しい。

宇野さんの晩年、私は離れてしまった。
嫌なことがあったわけではない。すでに自分の審美眼でCDやコンサートを選べるようになっていたし、水先案内人としての宇野さんの役割は終わっていた。

宇野さんの強烈な実演も聴きたいと思わなくなっていた。
晩年の大阪フィルとの録音もほとんど聴いていない。

とはいえ、CDは10枚くらい持っていた。
アクの強い演奏ばかりではない。新星日響との第九なんて、宇野功芳の「体臭」はほぼ感じない。先入観なしで聴いてみてほしい。

宇野功芳らしからぬクセのない第九

晩年は『私のフルトヴェングラー』という本で、珍妙な小説まで披露していた。

貴重な初小説が収録


「冥界からの便り」というベタなタイトルで、フルトヴェングラーの亡霊がカラヤン批判を展開するという宇野さんの妄想をそのまんま書いたものだった。
書店で立ち読みしてて思わず噴き出してしまった。

晩年は「何でも好き勝手に書いてください」的な立場だったのか、鉄道や寅さんや趣味的な雑文も多かった。

宇野さんの功績として、同じ宇野ファンの方が「アーティストをキャラ付けしてくれた」と言っていて、なるほどと思った。

宇野さんの本で一番好きかも

上記『名演奏のクラシック』ではさまざまなエピソードを披露している。
「マタチッチは不器用すぎて靴紐が結べない」「クナッパーツブッシュはリハーサル嫌いで楽団員を喜ばせた」「クレンペラーは寝タバコで全身大火傷」と、楽しいエピソードが満載だ。

クラシックのアーティストは膨大すぎて、最初のうちは名前が覚えづらい。
宇野さんはアーティストの芸風を寸評することで、それぞれのキャラ立ちに貢献してくれたのである。

とはいえ「ケンプはバックハウスに比べると生ぬるい」といったバイアスが稀に混入してくるリスクは否めない。
しかし今はHMVのレビューなど、さまざまな感想にアクセスできる。
宇野さんの行きすぎたダメ出しに過剰反応せず、適度に受け流すのも楽しみ方の一つだろう。

クナッパーツブッシュ流の「命をかけた遊び」に生涯を捧げた宇野功芳。
彼の評論には格式ばった雰囲気は一切なく、「○○はいいけど△△はダメだね」というアマチュアが言いそうな論調に終始していた。
野球ファンが王や長嶋を語るように、トスカニーニやフルトヴェングラーを語っていた。

宇野さんは今の没個性が過ぎたクラシック界をどんな気持ちで眺めているのだろう。
クナッパーツブッシュのエピゴーネンのようだった珍妙な演奏も、宇野さんならではの業界への起爆剤だったのかもしれない。

ワルターもクナッパーツブッシュもシューリヒトももういない。
宇野さんが絶賛した朝比奈隆ももういない。

「個性の時代は終わった」とある演奏家が言っていた。
巨匠の時代は過ぎた、と。

宇野さんの本を読んだことがない人は、何でもいいから一冊読んでみることをおすすめする。
きっと功少年が音楽雑誌とレコードを握りしめながら熱く語ってくれるだろう。

私は思い出す。強烈な個性の星々が満天に輝いていた大空を。

音楽評論家としての宇野さんも間違いなくその一人だった。

きっと今ごろクナッパーツブッシュや朝比奈隆と楽しくブルックナー談義をされていることだろう。

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