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お金を払って聴くべき音楽とは 汐澤安彦/足立シティオーケストラのチャイコフスキー

ギャラクシティ西新井文化ホールで、足立シティオーケストラ第71回定期演奏会を聴いた。

メンデルスゾーン:序曲「フィンガルの洞窟」
リスト(ミュラー編):ハンガリー狂詩曲第2番
チャイコフスキー:交響曲第4番

【アンコール】
チャイコフスキー:組曲「くるみ割り人形」から「花のワルツ」

指揮:汐澤安彦

御年85歳の長老、汐澤安彦が聴きたくて出かけた。足立区に行ったのは初めて、かも?😅

汐澤さんの名前を知ったのは去年のパシフィック・フィルの定期。
そのときもメインはチャイ4だった。

未知の音楽家は多いが、一度でも実演に接したことがあるのは大きなアドバンテージだと考えるようになり(外山雄三と飯守泰次郎は最晩年に1回聴けた)、最近は積極的に未知の人を聴くようにしている。

汐澤安彦は吹奏楽関係者にとっては神様的な存在らしい。
最近はプロのオーケストラを振る機会が極端に少ない。

アマオケでは、常任指揮者を務める足立シティオーケストラ以外に、上智大学管弦楽団でも常任指揮者として長年指揮しているようだ(去年末はショスタコーヴィチの5番を振った)。

さて、西新井文化ホールの音響は結構よかった。
NHKホールみたいに背面が壁になっている多目的ホールで、2階席もある。902席。

今まで行ったことのあるホールで、音響が致命的だったのは神奈川県民ホール😅

川瀬賢太郎の神奈川フィル常任指揮者退任コンサートでマーラーの「巨人」を聴いたのだが、2階席最前列だったにもかかわらず、音が全然届いてこない😂

客席が扇型に広がっていて、音がすぐに拡散・霧消してしまうのだ😭

さて、今日のコンサートの感想は難しい。アマオケだからもともと過剰な期待はしていないが、それでも行くからには超えてほしい期待値がある。

「行ってよかった」とは思うが、「またこのコンビを聴きたい!」とまでは思わなかった。

その理由は……

一番は音程の甘さにある。アンサンブルが揃ったときですら綺麗なハーモニーに感じなかった。
チェリビダッケではないけど、チューニングに時間をかけて、まずは基本の音程確認をしたらいいのではないだろうか。

汐澤さんは腰は曲がっていたが、「フィンガルの洞窟」は立ったまま指揮していた。

93歳で亡くなるまで椅子を使わずに指揮した朝比奈隆みたいな健脚なのかと思いきや(指揮台の椅子が見えなかった)、リストとチャイコフスキーでは所々座っていた。

舞台に出入りする際の汐澤さんのニコニコ顔は双眼鏡なしでも2階席から見えた。好々爺といった印象。

「フィンガルの洞窟」はロマン派の香りがしてよかった。

こういう音楽の風情は大事。エッシェンバッハ/N響のマーラー5番は精度こそ完璧に近かったが、何を表現したいのかがさっぱりわからなかった。
家でCD聴くのと変わらないと思った話はすでに何度も書いた。

足立シティオーケストラからはそういった意味での無機質さは感じなかったが、主題以外の経過句において単調さを感じずにはいられなかった。

もっともこれはオーケストラ・ダスビダーニャやフィルハーモニック・ソサィエティ・東京でも感じた不満である。

演劇で喩えてみる。私は台詞を聞いている人の芝居を見るのが好きだ。視点が固定される映像作品と違って、演劇ならではの楽しみ方だと思う。

アマオケの音楽って、台詞を言ってる人の演技はいいのに、聞いてる人の演技ができてないというか。そういう物足りなさがある。

美は細部に宿る、と思う。アマオケだと降り番が増えるからハイドンを取り上げるのは難しいのだろうが、ハイドンを魅力的に演奏できるようになれば他の音楽の表現力も格段に上がるのではないだろうか。

ハイドンは演奏自体は難しくないが、ただ弾いてるだけになりやすい音楽。
楽譜から意味のある音楽を生み出す練習にうってつけの作曲家だと思う。

「ハンガリー狂詩曲第2番」はハープも活躍し(ハープはプロの髙野麗音さん)、トロンボーン出身の汐澤さんらしく金管のダイナミズムが魅力的だった。

チャイコフスキーは第1楽章と第2楽章が長く感じた。
音程は甘いし、経過句の表現力は乏しいからしょうがない。
フィルハーモニック・ソサィエティ・東京のモーツァルト39番と同じで、長い曲になると飽きてしまう。

話は少し脱線するが、朝比奈隆が唯一遺したモーツァルト録音である新日本フィルとの39番を先日久しぶりに聴いてびっくりした。

まったく一本調子ではなく、フィルハーモニック・ソサィエティ・東京で長さを感じた第2楽章も、さまざまなニュアンスを感じさせながら進んでいくので聴いていてワクワクする。

第4楽章も、朝比奈の指揮では併録の「ライン」の終楽章のごときスケール感である。

大河の流れのようでもあり、「人間讃歌」とも言うべきおおらかで深い愛を感じる。

これは生でベートーヴェンの第九を聴いたときにも何度も感じたので、朝比奈芸術の真髄と言えそうだ。

「朝比奈の音楽は人間讃歌」と書いた評論家はいるのだろうか?
私にはそう感じられて仕方ないのだが……🤔

さて、アマオケに経過句の微細なニュアンスまで求めるのは酷なのかもしれない。
それだけプロは細かいところまで気を配っているということだ。

アマオケ行脚も来月のアイノラ交響楽団でいったん一区切り。
面白そうな公演があったら行くかもしれないが、「安いから行ってみる」ということはなさそう。

クラシック初心者の人こそ、プロオケを聴くべきだ。

だって、ご飯食べに行くのでもエステ行くのでも、プロのお店に行くんですよね?

なのに、芸術はアマチュアでしか鑑賞しないのだとしたらもったいない。

「知りたいが出るから」という理由でアマチュアの音楽や演劇しか体験しないのだとしたら、芸術の理解はいつまでも浅いままだろう。

全てにおいて「プロ>アマ」というのではない。アマチュアのよさもある。

ただ、アマオケなどアマチュア音楽のよさはプロの音楽家のレベルを知ってる方がむしろ味わえるのではないかと思うのだ。

アマチュアしか知らないでいると、プロに肉薄する表現やプロを凌駕する表現があってももちろん気付かない。アマの世界しか知らないのだから。

演奏会に話を戻すが、チャイ4は汐澤さんの十八番なのだそう。

たしかに、技術レベルは決して高くない足立シティオーケストラから「お金を払って生で聴くべき音楽」を引き出していた。

第4楽章の熱量もその一つ。コーダであからさまに豹変するような下品さはなく、ラストに向けて徐々に盛り上がっていく丁寧さを感じた(最後の打楽器は爆発しすぎだが😂)。

「お金を払って聴くべき音楽(芸術)」という点では、エッシェンバッハ/N響より汐澤/足立シティが勝る。

天邪鬼だからこんなことを言ってるのではなく、私にとって生で体験すべき芸術は「個性や表現欲の発露」が不可欠だ。
エッシェンバッハからはそれを感じなかった(大野和士もわりとそう)。

とはいえ、何かを表現するにあたって技術はないがしろにできない。
技術があって、初めて表現の幅が広がる。だからプロの演奏家は膨大な練習をするのである。

アマチュア音楽家は練習時間が限れているからそのハンデはどうしようもないが、だからと言ってすべてプロに劣るわけではない。

テクニックのハンデを補って余りある個性や表現欲の発露があると感動する。

矢崎彦太郎/新交響楽団の「スコットランド」なんか、プロを凌駕する内容の濃さでありながらテクニックの精度も高い、というなかなかお目にかかれない超名演だった。

今日の公演、行ってよかった、聴けてよかった、とは思ったが、このコンビは一回でいいかな……と思ってしまった。

アンコールの「花のワルツ」は緊張感が抜けてしまったのか、プロのハープ奏者の華麗なソロ以外はグチャグチャだったし😂

次回はプロオケや上智大オケで汐澤さんを聴いてみたい。

今日は楽団の創設メンバーとして35年間活動した86歳のヴァイオリン奏者の引退公演でもあったそう。
アマオケにはこんなドラマが潜んでいるのですね😳

汐澤さんのリハーサル動画があったらそのまま映画になりそう。
私は以前から指揮者のリハーサル映像は商品として売れると思ってます。
宇野功芳のリハーサル映像、残ってないのかしら😁

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