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この逸材を放ってはおけない シーヨン・ソン/神奈川フィルの「新世界より」

横浜みなとみらいホールで、神奈川フィル定期を聴いた。

F.プライス:アメリカにおけるエチオピアの影 ※日本初演

コルンゴルト:ヴァイオリン協奏曲ニ長調Op.35
《ソリストのアンコール》
スコット・ウィラー:アイソレーション・ラグ 〜ギル・シャハムのために

ドヴォルザーク:交響曲第9番ホ短調Op.95「新世界より」

指揮:シーヨン・ソン
ヴァイオリン:辻彩奈

急遽購入したコンサート。

シーヨン・ソンを知ったのはたまたまサブスクで聴いたマーラーの5番。

といっても全曲聴いたのではなく、お気に入りの第5楽章だけいろんな指揮者で聴いてたのだが、シーヨン・ソンもオケの読み方も知らなかった(キョンギ・フィルという韓国のオケらしい)。

第5楽章を移動中にざっと聴いただけなのだが、表情づけが細かい。それでいて作為性はなく自然。
数えきれないほど聴いたこの楽章を新鮮に感じさせてくれた。

機会があったら実演に接したい!と思って調べたら、何と翌月の神奈川フィルに客演するではないか!🤣

慌てて取ったのは言うまでもない😅

さて、結果は……。

凄すぎた😭

クラシックはこういう博打みたいなところがある。

とはいえ、会場にいた人のどれだけがシーヨン・ソンの芸に酔ったのだろう。

私は今年のベスト3には入りそうな超名演だと感じたが、みなとみらいホールのお客さんはいつも淡々としていてブラボーも飛ばないし、どこまで感動してるのかよくわからない😅

会場の雑音がやや多かったように思いますね。
「新世界より」第4楽章になってようやくお客さんの集中力が増したと感じたので。

「新世界より」第2楽章の本来ならハッとするはずのゲネラルパウゼで、後ろのおっさんの鼻息が何度も響いてたのは興醒めもいいとこ😭

さて、冒頭のプライス(1887-1953)はアフリカ系アメリカ人の女性作曲家。
2009年に多くの楽譜が発見され、近年急速に評価が高まっているらしい。

聴きやすい曲だった。誰に似てるかなぁと思って、あえて言えばガーシュウィンかなって感じだから、やはりアメリカの音楽の雰囲気がある。

また聴きたいと思ったくらい、聴きやすい曲だった。

近年の現代音楽は再演されてオーケストラのレパートリーとなるものがほとんどないが、鼻歌を歌えるような主題の曲がいいのではないだろうか。

先日N響生放送でコダーイの「ハーリ・ヤーノシュ」を初めて聴いて(今更……😅)、そのシンプルすぎる主題に若干赤面しつつも「そうそう、こういう曲が残るんだよなぁ」と思ったのだった。

大河ドラマのオープニング曲のようなオーケストラ曲が増えるといいと思う。

「そんな手法はとっくにやり尽くした」と作曲家は言うかもしれないが、「オーケストラのレパートリーとなるような新曲」はほとんどの作曲家が書けていない。

ならば、そこに挑戦するのは“新しい試み”なのではないだろうか。

モーツァルトやベートーヴェンとは違った手法でスタンダードとなりうる曲を書く方が、再演されない今風の現代曲を書くよりはるかに困難なチャレンジだと思う。

さて、シーヨン・ソンの凄さはすぐに感じた。
ゆるやかな序奏が終わり、曲のテンポが切り替わる寸前、ソンが思いきりタクトを振り下ろしたがオケが鳴らない!  
コンマ0.5秒?くらい後にオケから深い響きが鳴る。

久々に見た。タメて出る音😅

フルヴェンか?って思っちゃうね😆

昔の指揮者の音の出し方はこんな感じだったのだろうが、最近は指揮棒と音楽がリンクしているケースも多く、それではダンスしているのと変わらない。
指揮が音楽をリードしているのが本来の姿なのだ。

ここでいっぺんにシーヨン・ソンに心を持っていかれてしまった。

どことなくヒコロヒー似で、時折長い前髪を掻き分けながら指揮するソン。

彼女を見ていて、「何でいままで女性指揮者いなかったの?」と思ってしまったくらい😅

映画音楽のように聴こえるシーンもあれば、当時のアメリカの栄華を感じさせたり、いろんな景色が見える。
行ったこともないグランドキャニオンの彼方に巨大な夕日が沈む光景が眼前に広がった(コルンゴルトの方だったかも……😅)。

さて、2曲目の辻彩奈も初聴き。

アルゲリッチとフランクのソナタで共演したり、最近すごく活躍している印象。前から聴きたかった。

辻さんのコルンゴルトも凄かった!

シェーンベルクの「浄夜」やR・シュトラウスの「メタモルフォーゼン」のような、爛熟した濃厚な歌い回し。

この人は自分の歌を持っている!

と感じた。

歌いたい心を持っている。

音楽家にとってそれは決して当たり前のことではない。
みんなが頭に思い描くイメージをなぞっているだけの人も少なくない。

辻さんの音楽は辻さんだけのもの。この人は継続的に聴いていきたい。

神奈川フィルはシーヨン・ソンの棒にピタリとつけていて、彼女が欲しい音がすべて鳴りきっていた。
オケの物理的な音量も大きかったが、それ以上に緊密で凝縮された響きの強度に圧倒された。

先日のサラステ/N響はオケの反応が鈍すぎて唖然としたが、今日の神奈川フィルは見事に正反対である。

両方聴いた人がいたら感想を聞きたいが、サラステ/N響とシーヨン・ソン/神奈川フィルの音楽は全然違うと思うのである。

「サラステの方が好み」というのは全然構わないが、歴然とした差があるものを同列に語るとすれば違和感がある。

私は断然シーヨン・ソンに軍配を上げる。

今日の圧巻はコルンゴルトであったろう。隣席の2人があからさまに退屈してプログラムを鳴らしたり身体を動かしたり腕時計を見たりしていたので気が散ってなかなか音楽に入り込めなかったのが残念。
第2楽章はほんとに深い世界だったと思う。

辻さんのアンコールはてっきり彼女が委嘱したものかと思ったら、ギル・シャハムに献呈されたものを本人に頼んで楽譜を送ってもらったらしい。

とても聴きやすい、また聴きたいチャーミングな曲だった。
プログラムにもとても合っていた。

さて、「新世界より」も凄かった。

私はドヴォルザークがやや苦手。そのわけは田舎臭さにある。

「新世界より」も長いこと苦手だった。最近第4楽章が「水戸黄門」の立ち回りみたいに聞こえるのが面白くて少し楽しめるようになったが、それでも通俗的な印象が否めなかった。

とはいえ、YouTubeでチェリビダッケの「新世界より」を見たら、通俗的と思っていたこの曲がまったくそう感じない。
ベートーヴェンやブルックナーのようでもある。

シーヨン・ソンの「新世界より」もそんな感じだった。

「エロイカですか?」と言いたくなるような激しい精神の昂揚とダイナミズム。全然通俗的ちゃうやん😂

第2楽章の鈴木さんのイングリッシュホルンは絶美!  安定感と鄙びた味わいが凄すぎた。
廃校になる母校の校舎の彼方に沈む夕日が見えました😅

ほぼアタッカで突入した第4楽章冒頭のトランペットがヘナっとしてしまったのが唯一の傷くらい。
私はこういうのは全然気にならないタイプ。気持ちが通ってない音楽の方が困る。

どこを取っても新鮮なフレージングに感じる。安易に流していると感じない。

シーヨン・ソン、やはり細かい表情づけが巧みなのか。
コンマスの大江馨さんが彼女ととても良いコミュニケーションを取っていた。

初めて聴くような新鮮な響き。楽団員の方も弾いてて楽しかったのではないか。

聴き飽きた音楽を弾き飽きた演奏者がルーティーンのように奏でる演奏会の何と多いことか。
今日の演奏会は最初から最後まで驚きに満ちていた。

「新世界より」のラスト、音が煙のようにたなびいて消え、やがて指揮者が静かにタクトを下ろすのを待ってワッと拍手が沸いた。

しかし、ブラボーはなし😭

私は声が通らないからブラボー言ったことないんです。
声が裏返りそうで恥ずかしい😂

スタオベなら何度もしましたが、Pブロックの前の方だったので目立つからやめました(後ろの人の視界の妨げだし)

何でこの演奏でブラボーがないのか!

何かしら特別な感動を表現したかった🥲

それにしても、みなとみらいホールのお客さんはあっさりしすぎ😅
客電ついたらすぐ拍手止んだもん😂

拍手止んでしばらくして拍手を始めた人が1人か2人いた。
おそらくソロ・カーテンコールにふさわしいコンサートだと感じた人ではなかったか。
私も同調すればよかった……🥲

普段は書かないアンケート用紙に

超名演
大感動
また呼んでください
何ならポストも

と書きました😅

神奈川フィルは特別客演指揮者として小泉和裕がいるけど、首席客演指揮者として招聘するのはどう?😅

ほんと、この逸材を日本のオケが捕まえてないのはもったいなさすぎる!

私の頭の中にはある考えが……😁

東響は音楽監督ジョナサン・ノットの任期が2026年で切れるはずなので(おそらく更新はなし)、シーヨン・ソンを首席指揮者で迎えてくれ!😭

彼女のマーラーもブルックナーもベートーヴェンもモーツァルトもハイドンもブラームスもシューマンも何でも聴きたーい!!😆

ビビビを感じて行ったコンサート。

私は自慢するぞ!

シーヨン・ソンをまだ聴いてないオタは早く聴くべし!😎

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