#8 努力ができない

最近、世の流れもあってか周囲に資産運用をしている人が多い。彼らは僕に資産運用の重要さや僕が抱くネガティブな感情を解消するような根拠を提示してくる。

別に彼らの価値観を否定する気もないし、確かに終身雇用の先行きも怪しく、預貯金の利子なんて無いに等しい今の時代において重要さは十分に理解しているつもりだ。

だが、イマイチ興味が持てない。
と言うのも結局リスクありきで、自分の資産を失う可能性がある事に変わりはないので、そうなると資産運用の構造というか仕組みをしっかり勉強してからでないと迂闊に手を出す訳にはいかない。しかし、その労力や時間を掛けてまでやりたいかというとそうではない。

もちろん人間誰しもお金が増えたら嬉しいし、あるに越したはない。ただ、お金を増やす事に僕はあまり魅力を感じない。神経を擦り減らして、株の動き?を毎日気にするのは本当に楽しいのだろうか?少なくとも自分はそこに楽しさを見出せない。

僕は子どもの頃からスポーツが嫌いだった。
もちろん上手い人の方が魅力的だし、楽しいんだろうなとは思う。でも毎日努力を重ねてしんどい思いをしてまで上手くなりたいと思えなかった。だからヘタクソのままだったが、努力の先にあるものに魅力を感じなかった。

勉強もゲームも、努力の果てに掴めるだろう物に魅力を感じられずにいた。だからやらなかった。
努力しなければ上達しないというのはよく分かる。でも努力したからと言って必ずしも成果が約束されてはいない。そんなある種ギャンブルみたいなものに時間や労力を掛けたくない。

子どもの頃から物事を冷めた見方しか出来なかった。子どもらしく純粋に、一生懸命に頑張れ他方がきっと良かったんだろう。

僕は自分が嫌いで、自分が大好きなのだ。

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