馬鹿の選択

相方の母親が脳卒中をやり、寝たきりになって急性期病院からリハビリ病院に転院した。しかしリハビリ専門病院もリハビリ期間は6か月だから、その期間が過ぎたのでどこかに移すと言ってきた。



そういうことはまさに私の専門だから、私の話を聞きなさいと私は相方に言ったが、相方は「私に何か言われる」というのが毛虫を嫌うほどいやだったようで、毛嫌いして一切無視して今のリハビリ病院に行き、兄弟と病状説明を受けた後、向こうが進めるままにリハビリも何にもしない所謂老人病医院に転院させることにした。



これは患者本人にとっては最悪の選択だ。その病院は一切リハビリをしない、要するに患者を寝かせておくだけの老人病院だから、リハビリはやらないことはもちろん、患者、つまり相方の母親が飯を食わなければ鼻から経管栄養の管を突っ込むし(形式的な家族の許諾は取るが実際は有無を言わせぬ話になる)、その他諸々「死ぬまでベッドに縛り付けておく」病院だ。



私はまさにそういう現実を経験し抜いており、高齢者医療の専門家として経験も知識も豊富なのだから、「そういうルートに持っていってはいけない」と相方にもキーパーソンである彼の兄にも話したが、相方兄弟はまさにその「最悪の選択」をした。何故なら、極めてその領域に関して現実の知恵と知識を有する専門家である私の意見を聞くのが、彼らにとっては一番いやだったからだ。




あいつの意見通りにはしたくないから、あいつが勧めることの反対を選んだ。



つまりはそういうことだ。私はその分野の専門家として、相方の母親の状況をつぶさに聞き、こうすることがベストですと相方にも、キーパーソンである相方の兄にも説明したが、逆に相方やキーパーソンである彼の兄は、「専門家面する奴の話は聴きたくない」から母親を最悪の事態に追い込んだ。



馬鹿とか無脳とか人間の屑とは、このようなものである。馬鹿は、馬鹿でない人間を嫌い抜く。そして馬鹿でない人間が意見したことは、馬鹿にとっては「馬鹿ではない奴が言った言葉」であって、彼らは必ずそれを拒否する。



スターリン時代のソビエトに、ミハイール・

ニカラーエヴィチ・トゥハチェーフスキー(Михаи́л Никола́евич Тухаче́вский)と言う元帥がいた。彼は赤軍を徹底的に近代化、機械化し、無敵のソビエト陸軍を作り上げた。しかしそのあまりの優秀さ故にスターリンに警戒され、粛清の対象となって銃殺された。ナチスドイツが「トゥハチェーフスキーがいてはソビエトに勝てない」とみて怪文書を作り、スターリンはこれ幸いとそれを利用して彼を殺した。



トゥハチェーフスキー元帥は常にスターリンとの不和に悩んでいたので、自分が思いついた作戦について、常に部下にスターリンの前では部下を伴い、自分はわざと本来の作戦とは違う意見を述べ、部下に反論させて自分が本当に計画した作戦になるように言わせた。そうするとスターリンはトゥハチェーフスキー元帥の見解を否定する部下の進言を採用したから、結局は正しい意見が通った。しかしそうやって元帥が努力しても、結局スターリンは元帥を銃殺した。



因みにトゥハチェーフスキー元帥はショスタコーヴィチの熱心なパトロンだったから、元帥が銃殺されたときショスタコーヴィチも危機に瀕した。ショスタコーヴィチもこの騒動に巻き込まれたけれども、何とか生き延びた。ショスタコーヴィチの人生の危機は、一つではなかった。



馬鹿とか無脳というのは、このようなものである。馬鹿や無脳が一番嫌うのは、優秀な、能力があり、自分より優れた人間だ。従って馬鹿な無脳は、優秀な人間に何か言われたら、必ずその反対の選択をする。当然それは最悪の選択になるが、馬鹿な無脳にとっては、優秀な人間の意見を聞かなかった、無視したという自己満足の方が、現実の最悪を上回るのである。


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