【娯楽の塵】
【継続と結果】
続けることと辞めることについてしばしば考えることがある。続けている時は「いつか報われる日が来る」と思っているし、辞めた後は「辞めて正解」と思う。一体どちらを良しとしているのか、私の脳は都合の良いように働いているなとそこだけははっきりしている。
昨年末、まあまあ続けて来たことを案外スッパリと辞めてしまった。「辞めてしまった」と言っているのだから辞めたことを後悔しているのだなと言われるとそうでもない。むしろすっきりしている。ただ社会がそれを良しとは捉えないのだろうなと意識するから「辞めてしまった」と言う。自分が意思決定できる場合続けるのも辞めるのも本人の責任で、本人が納得できていればそれでいいじゃないかと思う。思うのに何かを続けている人のふとした瞬間を美しいと思う自分がいる。
続けた先に起きる結果に価値を置いていない。矛盾しているなと思う。何かを始める時は動機があって、結果を追いかける。それが無ければ何かを始めようとはしないのに。結果が良いと続けたことよりもその結果が良いことになり、結果が意図しないものであれば続けたことが良いことになる。一体どちらが良いのやら。
ある男が山のゴミを取り続けている。
そのゴミを自邸に放ち続けているのだが、ずいぶん溜まって来た。私は特段空き缶に興味があるわけではないが二十年から五十年前に誰かが飲んで捨てた空き缶が圧倒的な数でじっとしているのを見ると、何か始めなければと考えた。動機だ。このゴミは当時の人々が楽しんだ挙げ句に出た物だ。だから【娯楽の塵】と名付ける。続けていることの記録に、一缶ずつ取り上げようと思う。続けることに興味を惹かれる謎を追いかけながら。
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