コガシスト

光の無いトコロに虹が起こる様を想像する。 そこにある【無光虹】から 得た『影響』の備忘録。 コーヒー豆の焙煎が仕事です。

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マガジン

  • 彷徨う意味

    意味を求めて動く不自然な感覚。

  • 娯楽の塵

    続けるか続けないかそれが問題だ。娯楽の塵を一つ一つ、意味の無さそうな対峙から何を出すか。

  • そのゴミは誰のゴミ?

    芸術というものに対して正直に向き合った先の表現。その表現を観て私は何を思う。

  • 修学院の家Ⅱ  リノベーションの軌跡

    1985年に高松伸氏設計のもと建てられた【修学院の家Ⅱ】が芸術運動の場【無光虹】へと生まれ変わって行く日々のキリトリと心情。

最近の記事

  • 固定された記事

始まりのとき #1(そのゴミは誰のゴミ)

とある山に 50年以上放置されたままの 大量のゴミがあります。 登山者のポイ捨てや産廃業者の不法投棄といった類いのゴミではなく、 山のレジャーを楽しんだ人がゴミ箱に捨てたゴミ。 レジャー施設を運営していた人が出したゴミ。 何年も何年も捨てられ続けて、何年も何年も放置され、落ち葉が積もり、ゴミの地層が出来上がってしまったのです。 それを目の当たりにした1人の人間が 何でこんなことになっているんだという怒りと 怒っていてもなお感じる美に動かされ 芸術実験の場である無光虹にて

    • 【娯楽の塵】あとがき

       娯楽の塵という命名に意味があったとするなら、ただ「何か」という物に位置づける事で「意味のある物」にしようとした抗いを露呈した点くらいだと思うのです。そして「意味のある事とは何か」と考えがちな、臆病で面白く無い態度が芸術とは恐らく真反対のところに位置するんだろうなと、このゴミを近くに置きながら時折見つかるその真反対な「性格」の確かさにぐうの音も出ないのです。  私も消費者のひとりで、ほんの僅かでもこのゴミから娯楽の一部をわざわざひねり出したのではないかと思うのです。何千とあ

      • 【娯楽の塵】果肉飲料の類

        1975年 ベトナム戦争終結  終結の日はいつ来ますか。何処かに未来を知っている誰かがいればいい。その問いは自分にしか届かず、美しさを欠いてしまった軽薄な行いをあらわにする。衝突から勝敗を求める癖をいい加減に無くすべきなのです。  生きるか死ぬかを迫られずに勝敗でしか終結しない物事を左右する力は明白に無い。軸としてきた信念が軸に値するのか今一度深く考える。そして彼の人と比べればそれは目指したい美しさとはかけ離れた軸であると発作のように知らされて、また続ける意味を、諦めない

        • 【娯楽の塵】COFFEEの類

          1980年 PAC-MAN 反転するタイミング 居る位置を後悔する 反転はいつ起きるか 手が届くその瞬間に 反転したらどうする? もしくは 距離を稼げたと安堵した瞬間に 反転したらどうする? その思い通りは 胸が締め付けられるような息苦しさを伴い 振り回すのではなく 振り回される一歩 夢に見た暮らしは こんなだったか 食べて食べて また食べる 夢の中でも 食べる 食べてはいないのかも ただ踏んづけて 通り過ぎて行く お腹は一杯で 食べなくてもいいのだけど そこにあるし

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          【娯楽の塵】オレンジジュースの類

          ある男が行動を開始して2年が経つ。 変化はあったのか 誰かの中で ある男以外の 私以外の それぞれの人の中で。 無いから、 無いように見える日常の中で その行動は続けられて それを知る全ての人の中で 特別では無いものに変わっていく。 その変化の恐ろしいほどの特異さを 人はそれぞれの解釈で中和して それほど酷い事ではないと 手を挙げる力を使わないように通り過ぎる。 できるだけ笑顔で過ごしたい できるだけ仲良くしていたい 触れたら傷がつきそうな出来事から できるだけ離れてい

          【娯楽の塵】オレンジジュースの類

          【娯楽の塵】炭酸の類

          1971年 タイムカプセル埋蔵 6970年開封予定  6970年。  非現実的でまるで過去の様に思える。今を生きる私に到底現実として掴む事のできない予定。可能性を絶たれた世界を想像する時、自分の不在を悲しく思う。5000年先の事を楽しみに待ちたいのに。出会えない未来の事を考えるのは少し虚しい。  朝目が覚めて、一日の始まりを自覚すると同時に抱えている難しい事なども思い返し、今日という日をやり過ごすために己を起こすことで精一杯な現代社会からすれば、5000年先と言えた時代が

          【娯楽の塵】炭酸の類

          【娯楽の塵】スポーツドリンクの類

          『1984年』 ジョージ・オーウェル著 1949年刊行  山のように積み上げられた娯楽の塵が、もしも抜き取られた使用禁止の言葉たちであったとしたら、自業自得の結果として思考の自由が奪われるとしたら、ジョージ・オーウェルの描く世界よりも現実はもっと情けない。  行き交う人々は気付く事が出来ない。娯楽の塵が生まれた理由を説明するための言葉がもう無い事を。素通りする事の違和感はほんの一握りの抵抗分子にしか抱かれず、その反発も風前の灯火のように大多数という大衆は気にも留めない。

          【娯楽の塵】スポーツドリンクの類

          【娯楽の塵】酒の類

          1972年 下筌ダム湛水完了 身に降りかかる苦難 その万に一つ 捨て置けぬ一点の感情 体を巡る 私という人格を確認する 侵入を許さず 尊厳を踏みにじる 人格への侵入を 常識を振りかざす 無礼者の無垢な攻撃 人のささやきが濁流となって 守りたいものを流す夢をみる ほわほわとまだ温かい何かだけを しっかりと胸に抱いて 生きる 昨日の自分と今日の自分 変わらぬ目の光と 明日へ続く苦い夢 アシナガバチがうろうろと飛んでいる さっきまでそこにあった小さな蜂の巣を探して 一

          【娯楽の塵】酒の類

          【娯楽の塵】炭酸の類

          1969年 東大安田講堂事件  半世紀を超えて人は、同じ空虚を抱え、同じ挫折を抱え、同じ怒りを抱える。例えば、その講堂にいた誰かが熱っぽく語る理想があったとして、その理想と変わらぬ想いを吐露する誰かが今日きっと、何処かにいるはずだと思える。あの頃の学生はああで今の学生がどうとか、時代や世代なんて単純な一言で解釈したくはない。  守るための「暴力」は守るための「言葉の暴力」に変わり、あと半世紀過ぎたら「思考の暴力」にでも変わって行きそうだ。そして自分たちで作り上げた社会にそ

          【娯楽の塵】炭酸の類

          【娯楽の塵】COFFEEの類

          1989年 ステイオンタブ日本登場 ステイオンタブ ≒ イディオットプルーフ  この世は楽観的に言えば少数の、悲観的に言えば多数のイディオット≒愚か者で決まる事項が多いようだ。十人中何人がプルタブをゴミ箱に捨てなかったのか。  捨てるか捨てないか、選択肢を与えられていたのに。行動を試されていたのに。娯楽の享受と引き換えに律する心を養えたはずなのに。「ここには捨てない」という「しない」意思の強さを積み上げる機会を一つ失ってしまった。  細かな選択に伴う自身の思考が次の自

          【娯楽の塵】COFFEEの類

          【娯楽の塵】Milk Teaの類

          1987年 ゴッホの「ひまわり」五十六億円 日本で落札  一本百円ほどのミルクティを娯楽のお供として楽しんだ人(おそらく)がこのゴミを捨てた頃、ゴッホの「ひまわり」が五十六億円で落札された。  芸術がアートに、アートが娯楽に変わる。分かり易いものに、皆んなで楽しめるものに。費用対効果の大きさにウキウキワクワクとするバブルのひと、ひと、ひと。何故続けるのか、もうそれは芸術ではないのに、英語が意味するアートでもない。日本語が意味するアートで満足する芸術家を増やしてしまった。魂

          【娯楽の塵】Milk Teaの類

          【娯楽の塵】野菜ジュースの類

          1981年 FOCUS創刊  必要なのはフォーカス。今、そしてこの先も。 散漫な意識に連れ去られる前にずっと失くさずに巣食っている自分の中の核にフォーカスしていたい。 思考や感情は十分に調和を優先し、振り回されるだけ振り回されてピントがズレがちだ。 分からない事への不安にどれほどの人がもやもやとしているのか。模索する時間が馬鹿馬鹿しさをぶら下げて過ぎ去って行く。 過激な写真の何が過激なのかを説明しなければならない時代にジャーナリズムが一瞬でも芸術性を纏う事は無い。宣伝や

          【娯楽の塵】野菜ジュースの類

          【娯楽の塵】スポーツドリンクの類

          1980年 ルービックキューブ 日本上陸  人と人は繋がっている。大きな大きなルービックキューブのように。何千、何万、何億という人が時間・空間・感情の軸によって社会を構築している。三つの軸の意味するところは人それぞれ考えが違うかもしれない。違っていたとしても、繋がれている事は変わらない。  キューブの一つだけを動かすことは出来ない。全部バラバラになってしまっても構わない、バラバラにしてやるんだという気で挑まなければ。ただ、本当にそうなってしまっていいのか。バラバラになる前

          【娯楽の塵】スポーツドリンクの類

          【娯楽の塵】酒の類

          1977年 200海里時代。襲来。  嫌なものは受け入れたくない、誰にも奪われたくないものは手出しさせない。人間が創造したものと言えば、この境界という世界ぐらいか。  人の営みから随分とかけ離れた付属の利益を、どうやって手に入れたものか。我が国の陸。我が国の空。我が国の海。誰かがそれを力ずくで始めた。  様々な形の力が「従う」という行動をコントロールしている。まるで海の中にいるみたいに「あなたは自由だ」と、ゆらゆらと包まれているようでいてそれは死と隣り合わせだ。  波

          【娯楽の塵】酒の類

          【娯楽の塵】炭酸の類

          1983年 東京ディズニーランド開園  夢はまだ冷めず  魔法はまだ解けず  生々しく残る娯楽の舟  想像の及ばない世界が  求める者に与えられる  乗り込んだ地を  容易く手放す気はない  想像を超えるものが魔法なら  もう全て魔法でいい  戦争も  ウィルスも  地震も  何処かで魔法使いが杖を振ったのだ  一日でいい  誰かあの場所から  いい魔法使いを連れて来ておくれ  その一振りでこのゴミを無くして  その一振りで仲直りさせて  その一振りで病気を無く

          【娯楽の塵】炭酸の類

          【娯楽の塵】COFFEEの類

          1971年 ゴミ戦争宣言(美濃部東京都知事)  誰と誰が何のために戦っていると宣言するのか。ゴミを奪い合う戦争ではなく、ゴミを放棄し合う戦争か。ゴミを擬人化して、戦う相手にしているのか。  ゴミはゴミ。戦争をふっかける相手ではないし、スポーツでもない。そしてアートでもない。事実をすり替えてはいけない。自分たちが消費した物の残骸が毎日、毎日、燃やされ、燃やしきれない物は埋められ、その埋め立て地が増やされ続ける事実。それに加担している自分。  その事実を承知した上で、生きる

          【娯楽の塵】COFFEEの類