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日々の雑感Ⅰ(Ⅱがありますようにw)詩の投稿について音楽への想いについて

詩詞と音楽で何かをずっと続けたいから詩の投稿を始めた。
詩詞は音楽の為に14歳ぐらいから書いてる。
投稿という世界があるの、全然知らなかった。
一番幼い詩の記憶は小学2年の詩で6歳年下の弟の手がもみじみたいだと思って、その事を詩にしたら岡田先生にみんなの前でめちゃくちゃ褒められたのが最初。
めちゃくちゃ嬉しかったのを今でも覚えてる。

岡田先生、歌もみんなの前で綺麗な声やねと褒めてくれて私の歌と文章、そういう方向に向いてるのを早くに気が付いてくれていたな。
両親はまったく気が付いてなかったけど。
先生っていう職業、ほんまに大変だし尊いすぎ。
卒業してもよい先生の事は覚えてるしずっと授業続いていく感じする。

投稿して掲載などされると石川小傘(詩作する人兼音楽家)を認識して頂ける。
何か行動しないと作品が遠くに届きにくい。
音楽は休業?諦めた?と思う人もいるかもしれないけど(現在進行形で音楽も作ってる)
随分前から音楽に関しては諦め休業も何度もしてる。
そして諦めた上でそこから出来る事、色々な創作をずっとやってる。
(怒ってるとか批判ではなくて単なる報告)

一部の音楽はすごくお金になるから(それはそれで良い事だとほんまに思ってる)
お金にしたい人もたくさんいらして
その流れの中でお金にならなさそうなマーケット(私みたいな音楽ね)の小さいジャンルは無視されたりする。
私はとても居心地いんだけど(笑)
世間?とか家族親戚とかからは冷笑されたりとか・・・・。

その世間というのは家族親戚とか身近な知人などのプチ暴言とかある世界などなど。

音楽を本気でやる報われなさが凄いし(メジャーと違って、でもメジャーでがんばるの本気で大変だと思うわかる)実際に膨大な手間と時間をかけてもあまり報われない。だからよくない悪いって事にされることもある。

報われるって、世間ではお金になる儲かる、数字に出てるだったりする。
それも正しいしホンマにそう思ったりもするけどリスナーさん10人が90年代からずっと聞いてくれて追ってくれている世界も素晴らしいのに(信じられないかもしれないけど、そういう世界で私は今も音楽を発信してる奇跡)
それはなかなか理解されなかった(苦笑)

今の家族、子ども達は少しは理解してくれていると思う、多分。

音楽は作成過程で先のみえない(時間かかるので音楽を形にするのは)不安定な状態に耐える力がいる、そして一緒にやってる不安定になった人を包む力もいる。
疲れてしまう事が本当に多い。

詩を本気ではじめたのは一人でも出来るし(いや、音楽もほぼひとりでやっとるけどw)音楽を続ける燃料増加になればいいなという結構パワーでマッチョな気持ちからだったりする。(意外とそう)
わーここまで読んでくださってありがとうございます!

最近文学賞をとった方がずっと家族が信じて応援してくれていたというのを見て、そういうの大事だよなーとしみじみ思った。
身近な人、特に家族からのそんなの成れるわけないという呪いの暴力ってあると思う。
私はそういうのに成れる才能がなかっただけというのも肝に銘じてます。
全ての創作において生きてる限り精進あるのみです。

こういうの、メインのX(ツイッターだったね)で最近はもう書きにくい。痛そうな酷い内容の全然面白くない外国?の投稿も多くて苦手な流れが多い。
書いたとして交流もあんまりしない私の文章は流れながれていくだけだから。ここにひっそりと。
ここまで一緒に流れてくださってありがとうございます(*^-^*)

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