解説編⑧ 平等論

国の責任を研究する日々、共同養育、離婚後の子を守る視点での報道が続いている。ハード面に即したアクションが、ソフトの検討を促進し、ソフトの充実は、ハードの整備にも貢献するだろう。

共同親権と共同養育 制度と実質 両輪である。

これまで、養育権の侵害論を見てきた。

今の日本に起こっている実態が判明する。子育てしにくい社会だな、と感じることはあったろう。実態としては、全くもって、安心して子育てができる環境が整備されていないのだ。

いつだって、誰もが、わが子に会えなくなり、居所すらわからないことも起こってしまう。司法は救済してくれない。まるで自己責任があるかのように、個別の問題に収れんさせられる。

問題は、単純な養育権侵害にとどまらない。法が明確に区別をし、差別を強いているのだ。平等論を分析していく。


4 民法818条3項の「父母の婚姻中は、」の規定は、基本的人権又は人格的利益である親の養育権について、他方親と婚姻中の者と他方親と非婚の者(未婚、離婚、事実婚を含む)に不当な差別を与えるものであり憲法14条1項の「差別」にあたること

 (1) 区別の内容
 本訴訟で主張するのは、非婚の父母と婚姻中の父母の区別である。本訴状で述べる「非婚」は前述のとおり、法律婚状態にないことを指す。
 非婚の父母は父母の一方しか親権者となることができない(民法818条3項、同法819条。)。これに対して、婚姻中の父母は原則として父母双方が共同で親権者となり(民法818条3項)、父母の意に反して親権を喪失又は停止されるのは、親権喪失の審判(民法834条)・親権停止の審判(民法834条の2)の場合である。

まずは、法が区別している事項の事柄。

平等権の憲法論は司法試験受験生時代のロースクールで学ぶが、実は、何が区別されているのかを指摘すること自体が難しいこともある。法による区別を指摘しなければならない。

過去の判例でいえば、最初の違憲判決となった尊属殺重罰規定。同じ殺人行為でも、被害者が、尊属か否かで、罰の重みを異にするという規定になっていた。しかも、その格差は、通常であれば、執行猶予判決となる余地があるのに対し、尊属殺は執行猶予判決の余地がないほどの重罰規定となっていた。これについては、尊属尊重の趣旨は肯定しつつ、その効果の格差の程度が不合理であるという判断で違憲となり、結局、一律重罰規定の適用を排斥した。長く法改正自体は放置されていたが、運用上は無効化し、結局口語体改正時に削除された。平等権は違憲判決が出やすいと感じている。国籍法違憲判決、嫡出性の有無による相続分差別規定の違憲判決、再婚禁止期間違憲判決・・・。いずれも、法による差別が、不合理であり、憲法に反する点が指摘された。

非婚差別も、延長線上にある問題だと考える。

 (2) 差別の存在
 上記区別は、憲法14条1項の「差別」である。非婚の父母はその養育の意思や能力などの個別的な特性にかかわらず、必ず、父母の一方は親権を奪われた状態である。これに対し、婚姻中の父母は、「虐待又は悪意の遺棄」等「親権の行使が著しく困難又は不適当」であるときだけ意思に反して親権を喪失する可能性があり、また、「親権の行使が困難又は不適当」なときだけ親権を一時的に停止される可能性がある婚姻中の父母の親権は、極めて厳格な要件と手続保障に保護されている。加えて、同規定により親権を停止された親であっても、前述の代諾養子縁組の同意権を有する(民法797条2項)。以上は非婚の父母と婚姻中の父母の間の明白な差別である。なお、非婚の父母のうち親権を有する親も法的には差別されていることを付言する。非婚の親は、たとえ、自らが親権を有していても他方親との共同親権保有は選択の余地すらないのであり、また、親権者指定・親権者変更などの民法819条各号の手続きにより法律上は常に父母間で親権は択一的な緊張関係にあるといえるからである。

まず、差別が生じているのはどこか。

父母が婚姻しているか否かで、共同親権か単独親権かの違いがある。

婚姻中の父母は、原則、共同親権であり、虐待等に限定された厳格な要件に該当する場合に、裁判所における親権喪失・親権停止手続きがなければ単独親権にはならない。その場合でも、親権を喪失された親であっても、養子縁組においては同意見を有する。

これに対して、非婚の父母は、どちらか一方が必ず親権を失う。そして、仮に親権を有する側であっても、親権者変更という緊張関係にある意味では、婚姻中の共同親権と同等の状況を選択できないのであり、やはり、区別された存在だ。

 次に、上記差別はいかなる権利・利益について差異を設けるものであるか。まず、上記差別は、非婚の父母と婚姻中の父母の間で、「親権」について差別するものであることは明らかである。本訴状では先に、親権の制約それ自体が基本的人権である養育権の侵害にあたるか否かという点について、両可能性を含めて論じているが、この点がいずれであっても、本項の平等権との関係では問題とならない。本項で主張する人権は平等権であり、差異を設けられている権利自体が必ずしも人権である必要はないから、親権という親子の基本的関係にかかわる重大な権利を区別している時点で憲法14条1項の「差別」である。また、前述の養育権についても、養育権自体が人権であるか否か、養育権の絶対的な侵害が存在するか否かは、本項の平等権の結論を左右しない。養育権という明らかに人格に関わる人権又は利益を、親権の区別という形で「差別」していることもまた明白である。
 以上の「差別」が憲法14条1項に違反し、違憲であることを以下述べる。

前半、養育権の人権性を論じてきていた。万が一にも、人権性を否定することがあっても(それは、国のあり方としてとても恐ろしい。国民に、子育てをする権利がないなんて。。。誰のために、子育てをするのか。少子化が加速するのも自然なことだ)、重要性は否定できない。親権の区別をする点で、平等権侵害となりうる。

その侵害が合理的範囲内にとどまるといえるのか。

つづく


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