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法制審議会家族法制部会第28回議事録読む5~窪田委員・棚村委員

そういえば、シッコウ見たよ
よかった

議事録読んでいく~次のも公開されたようだしねー

○窪田委員

 よろしいでしょうか。今の御発言に続けて、私も気になっておりました点について発言させて頂きます。どこかの段階で、身上監護に関する事項と財産管理に関する事項については、それが具体的に何を対象とするかについて、もう少し詰めておいた方がいいような気がいたします。
 一つは今、佐野幹事からも御指摘があったように、身上監護に関する事項といいながらも、実際には一定の財産管理権がないと、あるいは財産に関する行為として行わないと、できないことがあるのではないかという問題があるだろうと思います。また、私自身はそれとは別に気になっていたのが、繰り返しになって、東京高裁の平成18年に関連してですが、例えば職業許可権というのは身上監護権の中に入れられており、確かに形式的に見るとそうかもしれませんが、こどもが携帯電話の契約をするというときに親が同意を与えるといったものとの対比で、本当に身上監護の問題なのかというと、より重要な、財産管理にも関わるような決定をしているということにもなるのではないかと思います。現在の身上監護と財産管理という切り分けを前提として、財産管理権に関する規定の前までに置かれた条文は、すべて身上監護の内容だという形で単純に扱うのではなく、もちろん切り分け自体も難しいところはあると思うのですが、もう少し整理できないかと思っています。
 なお難しいところがあるのではないかとは申し上げたのですが、身上監護と財産管理を完全に切り分けて分属するのだというような形で、他方には残らないのだということをいうと、切り分けは非常に難しくなるのですが、ある程度外側のところを広げていって、ここまでは身上監護としてできる、あるいは財産管理としてここまではできるという形のものであれば、もう少し明確な形でルールを設けることもできるのではないかと感じましたので、発言させていただきました。
○大村部会長 ありがとうございました。今の御議論は、身上監護と財産管理という切り分けが現在はなされていて、身上監護について親権者は何ができないかとか、あるいは身上監護に伴う財産管理行為を監護者はできないかといったことが議論されているけれども、そもそもそれぞれのカテゴリーに属するものが何であるかということも検討を要する点があるのではないかという御指摘だったかと思います。最後のところで、こうすればより明確になるのではないかとおっしゃったところが少し分からなかったのですが。
○窪田委員 先ほどの分属の話に戻ってしまうのですけれども、監護者と親権者を別に定めた場合に、そして親権者の方には身上監護権は残らない形での財産管理権のみだというような形の構成をとると、財産管理権が何であるのか、身上監護権が何であるのかというのは、集合でいいますとその集合の境目をどうするのかという話になりますので、すごく神経質に決める必要があるのだろうと思います。他方で、身上監護権としてできることには一定の幅であって、そして財産管理権できることについても一定の幅があってという形になったときには、場合によってはその二つの集合の間で重複が生じても構わないのだろうと思います。その点では、身上監護と財産管理をベン図でいうと全く二つに分けてというのではなくて、身上監護権としてこれだけのことができる、財産管理権としてこれだけのことができるというような形の定め方であれば、ある程度実現可能なのではないかという気もしております。無責任かもしれませんが、そういうふうに感じたものですから、発言させていただきました。
○大村部会長 ありがとうございます。排他的な権限として設定すると、どちらに帰属するかということが重要になるけれども、権限が重複することがあるとすると、先関係を決めなければいけないという点は別にして、言わば中間に一方だけでなく他方も一定の権限は持つというゾーンができるので、二分法に比べて、より妥当な運用ができるのではないかという御意見でしょうか。
○窪田委員 そういうイメージです。
○大村部会長 分かりました。ありがとうございます。

もはや建付け自体が揺らぎ?

○棚村委員

 今の流れで行くと、窪田委員とか石綿幹事がおっしゃってくださったこととほぼ同じようなことで、意見を述べさせていただきます。第1の(1)、(2)についてもお話をしますけれども、前提として結局、離婚後共同親権を認めるか認めないかと、こういう一番大きな議論の立て方でも、親権者に双方がなった場合も単独でなった場合も、親として、父母として何の権利義務も残らないのかどうかというのがいつも気になっているところです。
 つまり、オール・オア・ナッシングで、親権者になると全部できるとか、監護者になると一定の範囲では全部できるという話ではなくて、先ほど窪田委員とか石綿幹事から出たように、例えば民法の766条の第4項の規定を見ると、監護者とか、面会交流もそうですし、養育費とか監護について定めたりできるという形になっていて、第4項のところで、第3項の規定によっては監護の範囲外では父母の権利義務に変更を生じないと書いてあるわけです。つまり、ここのところは正に解釈でも争いがあるわけですけれども、監護について細かいことを定めた場合、それが優先するのだけれども、それ以外のところではお父さん、お母さんの権利義務というのはやはりあるのですよということを確認しているのではないでしょうか。
 ただ、具体的にどのような権利義務が残っているのか、何があるのかという議論が、ずっとこれまでも議論されて、正に親権と監護が分属したときに東京高裁が判断をしているように、争いが起こったときに、身上監護というものについては監護者がやるけれども、そのほかの財産管理とか身分行為に関する法定代理とかそういうものは誰に帰属することになるのかが問われ、ここで争いになったのは、こどもの氏の変更の権限が誰にあるかということでした。それで、東京高裁では、親権者にあるという判断をされたのです。しかし、争っている方は、監護者としては、氏の変更の権限も、こどもの生活について主として責任を担っているので、自分がやりたかったということだったのですが、親権者に重要な身分上の行為の法定代理権が何も残らないというのはおかしいということで、身上監護について、監護者に定められたもの以外はやはり親権者にあるという判断が出てしまったケースなのです。これについても批判があるところで、先ほど原田委員も言っていましたけれども、日常主として監護を行っている者は、財産管理についても、それから身分行為についての法定代理権でも、そちらがやった方がふさわしいとか、その範囲ではやってもいいということはあるのではないかという批判がある、学説でも議論されているところです。
 何を言いたいかというと、つまり共同の親権を認めるか、単独の親権になったからといって、場合によってはその受皿として親権の変更とかということもあり得るわけですから、そういうときに、他方が例えば単独でやっていても、きちんとやってくれているかどうかというのを監視したり、改善を求める親としての地位というのはどこかにあるのではないかと思うのです。その辺りのことを含めると、親権者が一方になって監護者が定められた場合でも、監護者でない親権者に一定の範囲で、身上監護を含めて、何らかの関与の可能性というのはある場合もあっていいのではないかと思うわけです。これは理論的な面でも実際的な面でも、検討する必要があるのではないかということを考えています。
 それで、監護者の定めというのがどういう意味を持つかというので、かなり議論されていますけれども、これも何か機械的に監護教育とか、職業許可とか、居所指定権とかということでセットにして考えるというよりは、少し分けて、親権者というものを定めたり、あるいは監護者を定めるということで、そのパッケージとして、親権者というのはどういう権限や、そういうものを持ち得るのか、監護者というのはどういう権限や責任を持ち得るのか、正にパッケージとして、どういう権限やどういうことに主として責任を負っていくかという議論も私は必要だと思うのです。
 そういう意味では監護者を定めておくということについても、親権の所在というのも必要だと思うのですが、3番目に、最終的には個別の細かいこと、例えば、予防接種を誰が決めるとか、食事はどういうふうに決めていくとか、何かこどもにとってのいろいろな事項について争いが起こるときに、個別にこういう問題や事項については誰が決めるというのですか、決まらないときにはどういうふうなルールを置いておくか、前も言いましたけれども、インパスオーソリティーというので、意見の不一致があったときに裁判所に判断してもらうというよりは、やはり迅速な決定を確保できるように、父親なり母親なりの意見、あるいは一緒に住んでいる親が決めるということを決めておいてもいいと思うのです。
 その辺りのところを議論していくと、(1)について、これまでの親権と監護との分属ということを前提として、こういうようなことはおおむねこういう立場の人がやるとか、それ以外の点についてはこちらが分担するとか、そういう大枠のルールとして、こういうものがあってもいいと思うのです。ただし、(2)のところになりますけれども、そう定めたからといって、全くその関与ができなくなったり、オール・オア・ナッシングにある権限や事項は全部その人が決めるというのではなくて、親である以上そういう問題について一定の関心を持って関わりたいという場合も出てきますし、それが妨害になったり、権限の行使を濫用するようなケースは論外ですけれども、そういうようなことについても、きちんと事項ごとに検討しておく必要があると思います。
 つまり、離婚後、親としてどう関わったらいいかという話と、それからパッケージとしてこういうような形で主として責任を負う人を決めるというので、たまたま親権者が誰だとか、監護者を別に定めるとか、これも一緒にやるというケースもいいですし、それから分担をするという定め方もあって、選択肢は幾つかあっていいのだと思うのです。そして、最後に個別の具体的な問題ごとに、本来だったら話し合って細かく決めるということも必要だと思うのですが、決められない場合には、やはりそういう意味では最終的には誰が決めておくというルールみたいなものを決めておくことによって、少し整理すると、(1)についても(2)についても、そういう前提として議論をしていった方がいいのではないかと考えています。
 認知の場合は少し、結婚外の関係であるため、子育てや監護の実態との関係でもいろいろありますけれども、ただ、認知の場合も、場合によっては事実婚という形で安定した環境の中で子育てをしているという場合もありますから、共同の選択肢というのを、監護者にしても親権者にしても、細かくルールを作っていくというやり方もあるし、逆にいうと、親権についてやはり共同でやれるという可能性も残してもいいのではないかと思います。
 以上たくさんお話しましたけれども、御提案に賛成の方向で議論すべきと思いますので、どうぞよろしくお願いします。
○大村部会長 ありがとうございます。たくさん御指摘いただきましたが、ここでのゴシックの部分との関係でいうと、御意見としては第1の1(1)、(2)は、基本的にはこういう方向でよいという御意見だと承りました。その際に、権限を完全に分けてしまうというのではなくて、権限がないとされた人にも親としての権限が残るということを考える必要があるのではないかという御指摘が一つと、それからもう一つ、意見が対立したときに裁判所に持ち込むということもあるのだけれども、最終的な決定者を決めておくという受皿を用意しておくということも重要ではないかという御指摘を頂いたと思います。認知については、先ほどの武田委員と同様に、現状についてはやはり再検討を要するのではないかという御意見だと承りました。
 赤石委員まで伺って、もしまだその後、御発言があるようでしたら、一旦休憩をして、更に伺いたいと思います。

究極、非親権者であっても、なお、監督権が残る???

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