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別居母の時代へ

8月になった

緊急事態宣言中よりも事態は深刻な世の中になっているらしいが,学校・幼稚園・仕事の通常化を果たす怒涛の一か月だったと先月を振り返る

民衆の歌が響き渡る首相官邸前アクションが明けて始まった7月,ぐんま集会にオンライン参加,塩尻集会,親子の日アクション,りむすび本,共同養育議連の動きその他報道も賑やかだった

時代は間違いなく,共同親権制へと突き進んでいく

共同親権と呼ぶのは,連れ去りが規制され,親子関係も潤沢に守られ,両親から愛される環境を継続することを原則とする体制の総称であり,民法の定め方や戸籍の運用の改正にとどまらない

この鍵を握るのは,誰か,ということについて,薄々と気づいていたが,先日の,裁判を傍聴した際に冒頭意見陳述の大役を担った原告2人がそうであったように,また,最近新たなる団体が立ち上がったように,鍵を握るのは,別居母,だ

別居母が打ちのめされてきた悲劇的な歴史は古い。

例えば、あまりにひどい暴力を受け、命からがら、子どもを置いてでも逃げざるを得ないDV被害者という場合もある。その場合、「置き去り」を非難され、結局、親権者になり得ないことがあった。

単独親権制は、DVからの保護を目的とする制度ではない。

それゆえ,たまたまDV被害者を保護できる使い方ができる場合があったとしても、一方で、DV被害者に親子断絶を強いて、ますます追い詰める状況も孕んでいる。

傍聴した裁判での冒頭意見陳述を果たした原告も,まさにDV被害者そのものであり,そして,連れ去りによる親子引き離しの被害を受けていた。

当該裁判に関するサイトで詳しく公開されていた

離婚が成立し,非親権者となってしまえば,その後の別居母の境遇はますます追い詰められていく。親権者変更手続きも容易ではなく、DV対策は真剣に充実させていかなければならない。

置き去りにせざるを得ない場合でも、親であることを否定されない仕組みが、被害者の救済になるだろうと確信している。だが、そうした被害者救済に向けての取り組みを,女性支援をいう層の中で活性化しているとも感じられない。別居母の存在は見えない問題へと封じられがちだ。

1年前,ジャーナリストの牧野佐千子さんに取材を受けていたことで知ることになったが,取材を受けた記事が削除されるという事態に直面した。引き金になったのは,下記女性被害者の記事が,どうも,あまりにも都合が悪く感じる層がいるらしく,無数の抗議にあったという。

わが子を思う気持ちに親としての男女の差はなく,父母いずれであっても変わりなく,連れ去られれば辛いのだが,別居母の声は世間にも届きやすいのかもしれない。だからこそ,脅威に感じる者にとっては,その声を封じたいのではないかと想像する。

しかし、今や、置き去りにした別居母のみならず、連れ去られた別居母が増えていくことで、対策の充実が急務とならざるを得ない状況にまで進展している。もう封ずるにはあまりにも,連れ去りが増えていく。おそらく,もっと増えていくだろう。

父親のために先手を指示する弁護士も増えてきた。それしか,親子を守る有効な手段がないとなれば,止められなくなる。

かつて,日本の父親は優しすぎた。

国の高度経済成長を支え、ひとり家計を背負い家族を養うため、犠牲になることを厭わなかった。

子連れ別居に直面しても、争わず、状況を受け入れた。

そうやって、早期に「円満」に解決していくケースも多かったろう。

わが子に会うことを求めず、ただわが子を想い、送金だけは続けるという父親像こそが「理想的」と評価されていく。

「連れ去り」が問題として、裁判所で扱われる場面は限定的となる。その結果,家事事件を扱う弁護士の中で,監護者指定・子の引き渡し請求の審判とその保全の申立てをいち早く行うことのマニュアルも未熟なまま確立していない。

 わが子を連れ去られたとき、一刻も早く、行動することが必要であるが、子を思うからこそ,事態に直面して、茫然としているうちに、機を逃すこともありがちだろう。子の連れ去りが起きたときに速やかに対処しようにも,弁護士探しに難航してしまうこともある。法律相談を重ねても、消極的な反応が続く。悩んでいるうちに、別居後の監護体制が落ち着いてしまっては、ますます対応できることが限られる。後手にまわるうちに、逆に離婚を求める調停の呼び出しに応じていくと、さらに機を逃す。こうした構造が、「連れ去り」問題を造ってきてしまったように想像する。

現に増加傾向にある「別居母」の存在が、ようやくこの問題の終止符になるのではないかと、悲しくも期待する。


ジェンダーバイアスを逆手にとる悪手であることはよく自覚している。

連れ去られたとき、母親であれば、迷わず取り戻す行動をするのではないかという意識が自然にあること。父親であっても同じであることが通用しないことこそ悲観すべきではあるが,ここはあえて味方を集めやすくするためのことをする。その行動をだれも非難しないということを味方にしていく。親権者は母親であるべきというのは,アンコンシャスバイアスそのものだろうが、多くの司法関係者も、連れ去られ被害者が母親であれば、その事の重大性が直感的に理解できるものと想像する。

応援する弁護団も結成されるかもしれない。

女性のために救済しようという弁護士の取り組みが,活性化していけば・・・。

ひょっとしたら,共同親権制にたどりつくスピードが上がるようにも思う。

連れ去り指南をする以外に,母子関係を守る手段を覚えれば,事案を適切に振り分け,避難が必要なケースは適切に避難できるようにし,共同養育支援による解決が相当な場合はそのようにサポートしていく。

結果として,細分化された課題に向き合い丁寧に対応していくことこそが,親子の涙を減らすことができよう。

これまでの別居母はまず少数派であったがために,問題のある母親だったかのような偏見の目に遭うなど,とかく,行動がしにくかった。たしかに,母親による監護者指定・子の引き渡し請求が認容されることは,比較的あり,別居親としての立場が固定することになっても,宿泊交流等潤沢な面会交流が叶う場合があり,別居親当事者の中でも,かえって孤立するようなこともあったという。

別居母が増えたことは悲しくもあるが,それを招いた歴史を振り返れば,社会の責任は重たい。遠慮する必要はないだろう。

もちろん,同居母だって,経済的自立と親としてのプライドと,わが子を思えばこそ,共同養育の中で子が健やかに育つことを願い実践していこうとも思う。

母たちが共同養育社会を造る

厳しくも応援の思いを込めて告ぐ

父親たちも共同養育社会を造る努力をもっともっとしなければならない。

育児をし始めた父親が,わが子と会えなくなって泣いている。

そういう事態にある父親たちにがんばれ,とは言えない。命を長らえて踏ん張って生きるだけでも,その子育てを讃えたい。

実際,自死を考えるほどに辛い気持ちに追いやられることだってある。

子育てしなければよかった,というような思いにさせるわけにはいかない。

共同養育社会は,共同親権制の中で果たされる。

「離婚後」の冠はいらない



父がいて母がいて,両親に愛されて子は育つのだ

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