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離婚後10年生☆養育費100%☆自由面会交流☆エア共同養育☆プロフィール

改めてRKヒストリーをご紹介していきます!!

1⃣離婚後10年生

直接の被災に遭ったわけではないけども,東日本大震災は,私の人生にも激震をもたらしました。当たり前の日常というものが,明日,約束されていない。後悔しない人生を生きよう,と。大震災をきっかけに,人生のこと,家族のことを見直して大きな決断をした方は多いと思いますが,例に漏れず,といったところでしょうか・・・。司法試験浪人中,職歴なし,3歳になったばかりの幼稚園男児を抱えた無職の31歳だったかな。計画停電なんかで,不穏があふれる東京での暮らしが始まったばかりだった。息子は,3歳で,誰にでも愛される可愛らしさを発揮していた。パパが大好きだった。

生後半年にもならないときの初めて”離婚”の2文字が話題に出た時は,『養育費は払わない。忘れて生きる。』だったけども,それから,2年半,養育費は払うもの,そして,面会交流をするものという認識で,協議離婚が成立する。3歳に成長するまでの間も,ほとんど面会交流みたいな頻度でしか親子の時間はなかったと思うけど,それでも,しっかり,父子の絆を育てていたんだろうね。多くは「協議」しなかったけども,何となくの信頼と,でも,もし裏切られたとしても,それでも離婚しようという決意が上回って,口約束だったけども何とかなるだろうといううっすらながらも信頼がやっぱりあったのかな。

あれから,10年経つから,離婚後10年生

とっても幸せである☆

2⃣養育費100%

振り返ってみると,いろいろ不安もあったし,養育費に関して,裁判所の手続を使ったことも2度あるけども,何だかんだと,回収率は100%である。

養育費未払い問題が深刻で,ひとり親家庭といえば困窮しているイメージが先行している中で,この10年間の100%遅れもなく,取り決め額通り払われてきた実績というのは,誇らしいことに思う。

誰の誇りって,それだけ,両親に愛され,責任をもって養育されている息子だ。

養育費調停事件については,いろいろな想いがあったし,本人調停のあれこれはあるけども,それが感情的に負担になるから請求をしないということが世の中まかり通っているわけで,しかし,そんなことをしてしまって犠牲になるのは子どもだ。

養育費は子どもの権利であり,その権利を預かる親権者の責任として,主張を尽くしてきたし,それに対応するよう,きちんと勤めているパパだって立派といえる。

本当は,世の中には,養育費をきちんと払い続けるケースだってあるはずなのに,メディアは困窮しているイメージの方を好むのだろう。

養育費があったおかげで,息子は,幼稚園での幼児教育の機会に恵まれたし,小学校入学後も,スイミング,書道,そろばん,ピアノといった習い事も体験できた。

3⃣自由面会交流

月に一回の頻度での面会交流を続けてきた。少ないと言われるのかもしれない。仕事で忙しそうなときもあって、毎月はできていなかったかもしれない。朝9時に集合して、夕方に帰ってくる。お昼を食べて、映画を見たり、ゲームをしたり、凧あげをしたり。おねだりして、遠くの遊園地に連れていってもらったこともあった。レゴのプレゼントだってもらったり。

そうやって、愛される時間を過ごしてきて、良かったね、と受け止められる環境があること。それ自体が自由面会交流と言っていい、と考えている。比較的近くに住んでいることはわかってる。隣接市。しかし、パパは忙しい。いろいろな事情がある。それを息子も信じて疑わない。また会えると常に思っている。そこそこ幸せな日々だ。美味しいものを食べて、読書を楽しみ、野球部も友だちと一緒になって夢中だ。満たされている。パパの話だって遠慮なくしていい。

心が交流した時間は無限なのだと思う。だいたいは、育児休業を取ってもらって(ママは取ってない!)、四六時中パパと過ごした日もあったんだ。

その頃、そんな父子は、超レアである。
司法試験の合格率より低かったはず。

そうやって、バランスがとれているわけでもないけども、パパもママも好き、と言える子に育ったということに意味がある。

4⃣エア共同養育

面会交流も養育費もある子育て環境に恵まれ,息子は健やかに育っている。
家事の手伝い,料理への興味,幼いきょうだいたちへの優しい面倒見の良さ,なんかがそろって,将来有望な家事メン・イクメンになることが期待されている。
街で出会う年配の女性にやたら褒められ,”本当にいいこ”を連呼されるといった現象まで実際にあった。

どうしたら,こういう子に育つの?という問いもお褒めの言葉だろうか。

それは,人任せ子育て流が発揮された,ともひとくくりにまとめることができるが,面会交流や養育費があったから,ともいえるだろう。いわゆる,広義の共同養育の実施によって,健やかな育ちを果たしている。

じゃあ,その価値ある共同養育って,理念としては理想的だけど,大変なんじゃないの?というのが,目下の課題に思う。離婚した元夫婦の関係で,信頼関係や協力関係って必要なのか。。。それは,深刻な暴力があるケースに限らず,もう別れたいという気持ちを前提にすると,不可能に思うのも自然だ。

安心して欲しい。

元夫とは,離婚した関係である以上他人であり,メールも電話でのやりとりさえ,一切と言っていいほどに,関わりが無い

離婚当初はあったかもしれない。もっぱらメールのやりとりで,日程調整をして,面会交流の開始と終了時は受渡しもしていたらか接近していたこともあった。しかし,受渡し時に,お金の協議をすべきではない,といった地雷を踏んだこともあって,会話は無難なものへと限定されていった。養育費の協議をできるような間柄ではなくなったので,調停を利用すると,ますます対立関係が深まり,何とか養育費の金額については折り合いがついたものの,条件として,お互い緊急時を除き連絡を取らない約束付になった。これを,相談を重ねていた元調査官という相談員の方に報告したら褒められた

誰もが望みながら,それが叶わない条項を,よく獲得できたね,と。

エア共同養育の始まりである。

父母同士のやりとりは一切ないけど,面会交流は継続しうるのである。

今となっては,子の育ちがさらに助けとなって,オート共同養育にまで進化した。

小学生の内は,背後でスケジュールを把握して,管理していた連絡調整も,すっかり息子自身がやりとりをして,知らない内に日程を決めて,知らない内に会っていて,そうして普段通り帰ってくる,というようなところにまでなった。ますます何もしなくてよくなりの極みである。

日常生活の中に面会交流が溶け込み,離れて暮らす親のことも,当たり前のように子の人生の中に居るということ。頻度が多い方が望ましいが,いろいろな事情がある中で,親子水入らずの濃厚な時間にも価値があると思う。要は愛されると感じるか,だ。エアゆえに不安に思うこともあったのも事実だが,いろいろ乗り越えた果てにたどりついたのがオートである。中学1年生での達成は早い方かもしれないし,もっと成熟する子であれば,小学校中学年でも実現可能かもしれない。高校生になれば,誰もがたどりつくかもしれない。

健やかに両親との関係を築くことができていれば,だ。

紆余曲折ありながらも,中学生くらいになって,親子の関係を再確認する例も聴く。

子の育ちこそ子育ての本質であり,一緒にいる時間が決め手になるわけではないとも思う。それは,同居親であっても,別居親であっても,だ。

いわゆる親権者として,同居親となる私だけども,仕事の忙しさ,自分の興味や学びの優先の中で,息子と水入らずで向き合って愛情を注ぐということが果たして,面会交流を通じてそれを成す別居親に敵っているといえるか,自信がなかったりする。

会話もない元夫だけど,たとえば,2分の一成人式が平日の参観日のときに行われたときに,当然のように私が参加したけども,そうやって,保護者会にも参加しながら,息子の父の存在がよぎったこともある。何の協力関係も全くないけども,元夫の息子でもある,ということには向き合い続けてきた。息子がパパにも愛されるように,それが理想であり,ただし,現実には,その理想を阻む自分自身の鬼のような感情にも直面したこともあるし,これを制御するためのサポートこそ欲したのだった。

いろいろな同志とのご縁あって,開拓を重ね,結論としては,エア共同養育を推奨したい。それを叶えるのが,共同親権制だと確信する。

5⃣共同親権弁護士

さぁ,そうやって,離婚後の子育てを実践しながら,迷い,考え,助けを求めて,様々なところに出没しながら,優しく穏やかに育つ息子が自慢すぎて,いろいろなところに連れて回り,たくさんの大人に囲まれて,可愛がられていくことの価値を実感する傍ら,足踏み遠回り綱渡りを経てようやく弁護士になってから,子育て世代の離婚に携わるうちに,気づけば,共同親権弁護士として発信するようになっていった。

親子に優しい世界へ変えたい

そのためには,同志となる共同親権弁護士を養成する

子の育ちに助けられたこと,それが,新しい時代を切り拓く母像にとってとても参考になることを発信していきたいこと

夢は止まらない

子育てを応援し,応援され,離婚後子育て応援弁護士は,ライフアクシデントに負けずに子育てに夢中に取組むすべての親応援します!!


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