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夫婦別姓を阻む単独親権制

ようやくつづきを

でも、当初予定していた文献は、また追ってにして、こちらを参照に

犬伏先生の論文がある

選択的夫婦別氏(別姓)制度導入の意味

やはり、最高裁判決があると、合憲判断だとしても、研究者の議論の対象になっていく

氏規定成立の経緯の解説で、単独親権制の立法過程を調べたことと重なっていく

関心は、ひとまず戦後の民法改正以降だ

今や家制度は忌避されるべきものとして位置づけられるものと当然に理解していたが、日本国憲法の理念に沿う民法改正に際して、「特に、「家」制度の廃止に強い抵抗を示した保守派との妥協」を模索していたことがわかってきた

「家」を中心とする規律に替えて、「現実の親族共同生活」を中心とする規律へと改正することを意味したが、・・・「氏」による家族共同生活の把握が企図された

注釈にて、「我妻起草委員は、「氏という制度」を前提に、「親族共同生活を現実に即して規律すること」を考えたものであると説明し、家族共同生活を氏によって把握する考え方を示した」と補足している

・・・「『民法上の家』を廃止し、『家籍』に付ては別に『戸籍法』に於て現実の家庭生活の実情に即するやうに規定すること。」が提案され、「氏」と「戸籍」を維持し、両者の密接な関連により新たな家族制度としての「現実の家族共同生活」の具体的把握が想定されていた。

これについても、注釈によると、「「戸籍」や「氏」が、「家」制度によらない、「家」存置の代替方法となっていると指摘する。・・・「家破れて氏あり」・・・と。

「家」に替わる新たな家族制度=「家族共同生活」を氏により把握するとの観点から、数次にわたり作成された民法改正条文案には氏に関する規定が数多く含まれていた。GHQとの折衝を経て、・・・最も変更を余儀なくされた点も、「氏」に関わる規定であった。

この変の経過が、実は、共同親権制未完成の遠因にもなっている。
氏の議論に傾倒しすぎて、肝心の共同親権にある父母(婚姻中)の意見が一致しない場合の規律については、「め ん ど く さ い」という具合に、まったく規定のないまま放置されてしまった。

・・・論議の基底におかれたのは、憲法24条2項に基づく「氏と男女平等」、及び、「氏の個人性・意思性」の問題であったが、氏規定の核心として「夫婦同氏」が当然とされたため、議論が尽くされないまま、現行「氏」規定の問題点として残されることになった。

結局、氏の問題自体時間切れとなったということか・・・それだけ議論の機会を「氏」のテーマに奪われ、「共同親権」は実際論で片付けられてしまった

その実情について、また注釈にて、「「我妻は民法草案は十分民主的で、女性に対しても平等であると強調したが、オプラーは、法案が家制度の要素を残していると批判し」、「夫婦ハ共ニ夫ノ氏ヲ称ス」についても、我妻は「十分に民主的であると主張したが、オプラーはこの条項は家の概念を残すための方策に過ぎないと批判した」」と引用や、「GHQ側から男女平等の憲法違反という指摘があったとされている」との指摘をしている。

氏と男女平等には元々その理念達成を実現していなかったようにも疑われる

第6次案では「夫婦ハ共ニ夫ノ氏ヲ称ス」・・・との原則を規定することにより、夫婦の子=嫡出子の子も、「父ノ氏ヲ称ス」・・・る原則が決まる・・・氏は、「夫の氏」「父の氏」により系譜的に維持される男系性を有し、男女平等に反する。この点がGHQから問題視され、第7次案で、「夫婦の氏」は「夫又は妻の氏を称する」と修正され、これに対応し、嫡出子の子についても、「父母の氏を称する」と修正された。ただし、起草者側には、氏の男系性に対する、男女平等違反の認識は希薄であり、「当事者の意思は夫の氏を称するのが通常」であるから、原則・例外とせずに「夫又は妻の氏を称する」と修正しても「実質的には何の関係もない」と考え、夫婦同氏を氏規定の中核に確保さえすれば、実際上、「夫の氏」「父の氏」による「家族」の維持が図られるとみた。この点、「氏と男女平等」は、表面上の形式的平等で済まされ、実質的な平等の議論に深化するためには、「夫婦同氏の原則」自体を俎上にあげる必要があったが、これには至らなかった。

つまり、国民としては意識的にしてみれば、我が家のような2:2:1の別姓家族なんかもあり得るわけで、しかし、なぜか抑止されているのは、その家族は自ずと単独親権を強制されている(共同親権にすることができない)ことに尽きる

婚姻中のみ共同親権、非婚は一律単独親権とする、民法818条3項による単独親権制が、夫婦同氏原則をさらに強制的なものへと通用させていく

よく、選択的夫婦別姓論者も、事実婚による別姓婚では、「共同親権にならない」といった言い方でネガティブに位置づけて、選択的夫婦別姓制度の導入の論拠として挙げていくのである

そこには、婚姻とは法律婚のみをいい、事実婚については劣位とみなす差別意識が無自覚にも潜んでいる

婚姻が、情愛関係にあるふたりのためであるものであれば、国や社会に「承認」を求める必要が実はない

片面的に扶養する関係ならばともかく、共働き共稼ぎの対等な夫婦であれば、元々配偶者控除などの恩恵もないわけで、婚姻の公証の必要がないし、事実婚であっても年金等社会保障制度の文脈では、「夫婦」として扱う運用が実際にある

そのようにして、夫婦同氏の原則に抵抗する『夫婦』が増えてこそ、国家の管理の必要に応じて、氏の制度は改まらざるを得なくなるだろう

しかし、「共同親権」になるために、夫婦同氏の原則を受け入れていってしまう家族が未だ多く、別姓制度論は混乱・迷走していく

いわゆる通称使用型は、やむを得ない苦肉の策だったが、今や、逆に、通称使用ができればいいじゃないかという亜流を起こし、別姓制度導入論の分断を招くことになってしまった

やはり、歴史を紐解き文献から研究して学び得るものは大きい

最後は、氏規定の見直しとして、個人別登録・連結方式の提案に賛同するという方向で議論されている

いわゆる個籍化だろうか

世論の声も大切とはいえ、乱雑な議論におぼれてしまえば、かえって不利である

学問の言葉が頼りになる

続けていくとして、今日はここまで

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