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『共同親権論』基本の確認

期日ハシゴで東京横断が続く一週間だったような・・・
そんな週の金曜日に、言葉を失う

でも、この文献を確認したい

おなじみのメンバーというのは、大村部会長や窪田委員・久保野委員なんかも執筆メンバーになっている

久保野委員の親子の養育関係という論文も掲載されている

 親による子の養育をどのように考えるかは、今日の家族法にとって鍵となる問い・・・家族法の基本枠組みを再検討したい・・・
 親による子の養育は、親子の効果の一面であり、親権・未成年後見、養子、扶養に横断的に関係するが、その定義は容易ではない。・・・
・・・戦後家族法学を振り返る・・・戦後の家族法改正においては、「親子」の問題は、家制度との対決や男女平等を基調とする夫婦の実現の陰に隠れて、あるいは家制度との対抗関係ゆえに意識的に、どちらかというと置き去りにされた観があり、・・・親による子の養育がどのように考えられていたのか・・・親子であることの法的な意義はどこに存するのか、「夫婦」と「親子」とはどのような関係に立つのかといった、家族法の課題について考えるための基礎を提供する・・・

はじめに

超基本の基本に立ち返った検討がされていたわけだ
基本の基本というのは、寄ってたつ家族像・親子像である

詳細はここでは割愛し、結論を紹介する

 我妻と中川の・・・差異に着目するとき、我妻からは夫婦とその未成熟子を一体とする求心力が働いた家族像がイメージされるのに対し、中川には我妻におけるほどの求心力の働きが感じられない。・・・両者の差異からいくつかの観点を抽出する。
 1 第1は、子を養育する団体としての範型を夫婦と未成年子から成る婚姻家族に求めるか否かである。我妻は、夫婦と親子を一体としてとらえ、子の養育が行われるべき場として夫婦と未成年子から成る婚姻家族を措定するのに対し、中川の場合には、婚姻家族内で子の養育が行われる場合にはそれを尊重するが、子の養育が行われる状況をなるべく婚姻家族という形で整えようという発想には立っていないと思われる。
 第2は、親が親であることの理念を共有する程度である。まず、我妻が子の養育のなされるべき場を婚姻家族とするとき、当該家族における夫婦は子の(実親または養親たる)父母であることが前提とされているが、さらに、父母が夫婦でない場合をも含んで、父母たる親は親として、それ以外の第三者とは区別される子の養育に関する固有の位置づけを与えられるものとしてとらえられている。このような固有の位置づけが与えられているとして、それが何によって説明されるかについては、直接には説明されないが、自然的な当然のものとして親子の結合体を尊重しようとの、素朴とも言えるが抗いがたいところもある理念が前提となっているとも思われる。対する中川は、確かに父母を第一次的な養育への関与者とするものの、根底にあるのは、子どもの利益のために選ばれているのが親であるとの考え方であり、この考え方は、親よりも子の利益を図るのに適任の第三者が存するのであれば、その者に養育をさせるとの立論につながりやすいものである。結論としてそのような親と第三者との同列化は否定するとしても、そこに親と第三者を区別する原理的基礎づけを見出すのは容易ではない。・・・
 最後に、個人および家族に対する関与について国家に何を規定するか・・・。我妻は、・・・婚姻家族を一体としてとらえ、そのような中間団体たる家族への支援を国家の関与の第一義とする。包括的な地位としての親権観も、できる限り婚姻家族の中での親権の行使を尊重し、国家はいわば外からその従前な履行を援助する責務を負うとの考え方と親和的であるとも思える。・・・中川では、中間だんたいとしての婚姻家族が措定されないわけではないものの、中間団体を囲む枠組みは我妻に比べてよりもろいものが想定されているとの印象を持つのである。
2 「夫婦・親子・養育」の要素から成る家族像には、どのような遠心力が働きうるのだろうか。・・・子の利益を図るという目的および国家による個人の保護への期待が指摘できる。・・・子の利益を図るという木t系は、婚姻家族に対してのみならず、親子にも遠心力として作用しえ、親子が相対化される契機となる。・・・子の養育については、国家が子の養育の確保に関与することへの期待が高いほど、婚姻家族や親子の一体性の意義が試されることになる。
 ・・・

おわりに

壮大な感じがしてならない

この論文は、2006年の座談会をベースにしている
この座談会では、大村部会長や窪田委員、水野委員で、家族法の改正に向けて各論を報告しながら議論している

親権について担当したのは水野委員

親権法の基本方針について、3つ挙げている

 第1は、親権の理念をどう考えるかです。親権とは一体何なのか・・・共同親権行使については、他方親の親権行使を尊重する規定を置くことも考えられるかと思いますが、これも実際には子の奪い合いなどの親権行使の紛争にどれだけ実効的に関与できるかという問題のほうが重要・・・
 2番目の基本方針は、両親の共同親権の原則化という問題です。私の案では、非嫡出子についても母の同意で共同親権とし、離婚後についても共同親権の方針を採用しています。・・・両方とも親だから必ず親権者になるという理念から制度設計するのか、それとも子の福祉のために共同親権にしたほうがよいという・・・のかという対立です。離婚後でも共同親権行使が可能な場合や、非嫡出子でも事実婚のような場合には、共同親権のほうがいいことは確かです。現行法のように、離婚をしたら必ず一方の親権がなくなったり、事実婚夫婦が共同親権行使ができないというほうが、むしろ説明が難しいと思います。
 問題は共同親権の弊害に対して、どう対応するかです。親権を帰属させた上で一方の親権行使を制限するか、それとも、そもそも親権を帰属させない場合を認めるか。・・・
 3つ目の基本方針は、司法の関与についてです。親権の問題の最も中核になるのは、親権行使の態様について、裁判所や行政が積極的に介入する仕組みをきちんと整えることだと思います。親権の義務性をいくら強く言っても、ここが整備されていなくては画餅ですし、共同親権の円滑な行使を担保するためにも、実際にはこれが鍵になります。子の福祉のために、社会、つまり行政が現在よりずっと積極的に介入しなくてはならないでしょう。しかし同時に、国家権力との関係では親権は守られなくてはならない重要な権利ですから、司法が関与して、親権の制限を正当化する仕組みをとらざるをえません。・・・追いつめられた母親がようやく離婚を決心して、その段階で離婚調停という経路で家庭裁判所に現れるのですが、本来ならもっと早くに育児支援のチャンネルで社会が関与するべきです。まして両親がそろって虐待することになると、子は逃げ出すことは不可能ですから。
 まず社会の育児支援の仕組みを根本的に手厚く変更する必要がありますが、その上で、司法関与については、裁判官の数が少ない日本で、この歪みをどう解いたらいいのか、・・・権利としての親権の性質から考えると、その制限には司法関与が不可欠だという近代法の原理を崩す設計をするわけにもいきません・・・

272p

このあとに、各論の報告となるが、これを受けて、ゲストである吉田教授がコメントしている

・・・その背後にある家族像がどのようなものかについて留意して聞きたい・・・その背後に見出される家族像は、子の利益をも守る繭・・・とでも表現すべきもの・・・その特徴として、・・・第1に、子の利益を守るために、国家、具体的には裁判官の積極的介入を認める。第2に、そのような観点から、法律婚が相対化される。具体的には、現行制度では、親が法律婚関係にある場合には、共同親権が原則ですが、法律婚関係にない場合には、離婚後であれ、非嫡出子ケースであれ、単独親権になるわけです。このような考え方を改めて、離婚後についても非嫡出子についても共同親権の考え方を導入しようとしているところに、法律婚の相対化が現れている・・・。
 私はこの基本的考え方に賛成です。まず、法律婚の相対化のほうについて言いますと、子どもの観点から親の関係をとらえる場合に、法律婚が相対化されるのは、ある意味ではきわめて自然なことだろうと思います。つまり、法律婚を選択しうるカップルについては、法律婚を選択しなかった場合に、法律婚に認められる法的効果を否定するという考え方は十分に成り立つわけですが、子どもの場合には親を選択できないわけですから、親が法律婚関係にあるか否かによって、子どもに与えられる法的制度が異なるのは、本来正当化が難しいことなのだろうと思います。
 次に国家の介入についても、一般的に家族関係がどこまで国家が介入すべきかという問題はありますが、自分で自分を守ることができない子どもについて、親が保護者としての役割を十分に果たさない、それどころか、むしろ子どもの権利を侵害する場合に、国家がパターナリスティックに介入すべきことは当然のことだろうと思います。
・・・共同親権の原則化が最大の論点になろうかと思います。この基本的方向に賛成である・・・

p279~280

議論が細かく展開されていくことになるが、最近話題の連れ去りに関連する部分と思われる議論を紹介する

窪田委員の率直な質問が切り口になる

・・・よくわからなかったのは、共同親権にすることによって子の奪い合いの問題が解決するというのは、場合によっては逆になるのではないかという気がしたものですから、その点、ご説明をしていただけたらと思います。

p289 窪田委員

・・・子の奪い合いが自力救済に委ねられますと、暴力的に奪われる場面での被害はもちろん、奪われないように閉じ込められたりする虐待も生じますし、将来に備えて他方親の悪口を一生懸命吹き込んで育てるというのも深刻な精神的虐待です。単独親権になると、裁判官は既存の状態を追認して親権決定するので、子を実際に抱えている親の既得権化してしまいますから、自力救済が常態になります。興信所などを使った暴力的な奪い合いも、現にかなり生じています。この問題では、何しろ自力救済を封じるのが、喫緊の第1の要請になるでしょう。共同親権であれば、親権行使の態様の問題になりますから、既得権にはならないですみます。自分にとっては憎い元配偶者でも、子にとっては親なのだから、冷静に子の幸福のためにふるまわなくてはならない、と親を教育する機会も増えるでしょう。もちろん繰り返しになりますが、そういう教育などの育児支援の必要と、子を不当に奪われてもすぐ司法が取り返してくれるという国家の強制力への信頼感を当事者が持っている必要とがありますけれども、そしてその両方が日本は不足しているという頭の痛い限界を抱えていますけれども。・・・

p289~p290 水野委員

2006年の座談会の時点で、答えが出ている

この窪田委員の素朴な質問は、よく繰り返されてきているように感じるが、水野委員が答えている

単独親権だと、既存の状態を追認
して親権者を決定するので、既得権化する


まさにそのようなことが起きているということが、ようやく報道されるようになった

判決理由が詳しくわかってきた


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