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母の思い出

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大好きだった母の思い出です。誰かに読んでもらわなくてもいのです。私の心の安定と記憶として書いています
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母の夢をみた

母が亡くなってちょうど二年。 一度も母の夢を見ることがなくて「寂しいなぁ」と思っていたのですが、昨晩その母の夢を見たんですよ! なぜかは母はパソコンを使っていて(パソコンなんか触ったことない人だったんですけど) 「ねえ、新しいパソコン買ってくれない?」と私に言うんです。 「いいよ」と言う前に夢が終わりました。 あの世ではパソコンいじってるのかしら? 機械ものはダメなはずだった人だけど、新しいことにチャレンジして楽しんでいるのかと思ったらなんだか嬉しくなりました。

母のロレアル・エルセーブ

88歳で亡くなった母は晩年目も耳も衰えました。 特に耳鳴りがひどかったので、近くにいてもかなり大きな声で話さないと聞き取れないくらいでした。 でも鼻だけは最後までよかった。 その分においに敏感で、キツイにおいは花でさえとても嫌がりました。 化粧品もそうで、匂いのキツイものはダメ。 できれば匂いのないものがいいと、たいていホームセンターやドラッグストアで売っている無香料のものを使っていたんです。 母が亡くなったあと部屋を片付けていたらロレアルのエルセーブヘアオイルが

教員の子だった私の入学式の思い出

先日はいろんな学校で入学式が行われたと ニュースでやっていました。 最近の入学式には両親はもちろん 祖父母も参加する家庭があるんですってね。 いまのお祖父ちゃんお祖母ちゃんは 見た目も気持ちも若い方が多いですし、 何といってもお孫さんのスポンサー(笑) ランドセルはだいたい祖父母からのプレゼントですよね。 そういう私も約50年前、小学校に上がった時は 母方の祖父がランドセルを買ってくれました。 私は入学式や卒業式に親が来てくれたことは ほぼありません。 なぜなら両

初めて見た母の夢

母が亡くなって半年。 初めて母の夢を見ました。 10年前くらいの元気な姿で 「ご飯できたよ〜」と私を呼んでいました。 「ママ!そこにいたんだ!」と言って飛びついたところで目が覚めました。 夢でも元気な姿に会えたのは嬉しかったのですが、やはり現実にはもう会えないのだと思ったら涙が出ました。 母がなくなる前は「ご飯だよ」「お茶が入ったよ」と言われても、すぐ行かなかったり「いま忙しいから」と断ったりしていました。 失って初めてわかる大事なものというのがありますが、こう

窓辺のフェイク多肉植物

数年前に母と行ったホームセンターでフェイクの多肉植物を買ったんです。 今のフェイクものはとってもよくできていて、見た目も触った感じも本物みたいです。 「よくできてるね〜。本物みたいだね〜」と二人で言い合ったので、母もこれが作り物であることは知っているんです。 でもだいぶ経ってから実家に帰ってみたら、そのフェイク多肉が窓辺に置いてありました。 「ん?なんで窓辺?」 「日光に当ててる?」 「本物と間違ってない?」 いろいろ考えましたが、そのときは聞きもせずそのままに

人生で一番つまらない日

母と以前話しているときでした。 「私の人生で一番つまらない日はあんたの結婚式の日だった」というのです。 「えっ?なんで?」 「おめでたい日だし、嬉しくもあるんだけど、それ以上に『あー聡子はもう家からいなくなるんだ』と思ったらこれ以上つまらないと思った日はなかった」ということでした。 「悲しい」のではなく、「つまらない」というのがミソです。 私は結婚式前はテンションが上がっていて他の人にまで思いが巡らず、母がこんなこと思っているなんて全然知りませんでした。 実はこれ

父のお一人さま豆まき

亡くなった母は節分になるときっちり豆をまく人でした。 普段は大きな声など出さない人なのに豆まきのときだけは「鬼は〜外!福は〜内!」と大声で各部屋を回っていました。 父はあんまり豆まきに興味はないんだけど母にうながされて、母の後ろで見ている感じでした。 今年はやるのかな? そう思って聞いたら父ひとりでやると言います。 「去年までは俺は豆まきは特にしたくもなかったが、お母さんがやってたから今年は俺ひとりでやってみようと思う」とのこと。 季節のイベントごとを母はわりとや

墓まで完璧に秘密を持っていった母

母が亡くなって二ヶ月も過ぎました。 ようやく銀行などの手続きも終わってやれやれと思った頃、ある銀行から連絡がありました。 母名義の口座がもうひとつあるというのです。 かなりまとまった金額でした。 父はもちろん家族誰も知りませんでしたし、母も何も言わなかったし、家に通帳もありませんでした。 「オレに黙って貯めてた金だな」と父は拗ねていましたが、私はもしかしたら・・・とある仮説を立てました。 妄想とでもいいますか(笑) 母は勤めていたとはいえ、学生時代の私や弟に仕送

全部袖が短くなっている母の服

二ヶ月前に亡くなった母の服を整理し始めました。 母が着ていたものはそれぞれに思い出があり、片付けているといまだに涙が出てくるので全部終わるのは半年くらい先になるでしょうか・・・ 母とはサイズが大体同じなので、トップスは私も着られるものがけっこうあるんです。 それで何枚かタートルネックのシャツをもらって着ているんですが、思わず笑ってしまうことがありました。 全部袖が短いんです。 みると袖を3〜5センチくらい内側に折って縫い付けてあります。 はは〜ん、いつも「市販の服

母の日記、服、そして年賀欠礼ハガキ

母が亡くなってもうすぐ2ヶ月。 だいぶ生活は落ち着いてきましたが、残った父の心配や遺品の整理などもあり来年くらいまでは何かとかかりそうです。 母との思い出を思い出すと絶対涙が出るので、しばらくは思い出さないようにしています。 まだ悲しすぎるからです。 母は筆まめな人でしたからずっと書いていた日記もあるのですが、まだ見る気になれません。 ずっと机の引き出しに入ったままです。 母の服は私と年代が合わないため処分しようかと思いましたが、10年くらい前に着ていたものは意外

高齢の女性を「おばあちゃん」と呼んではいけない、「奥さん」である

私や弟に子供がいないため、母はついに孫に「おばあちゃん」と呼ばれるということなく亡くなりました。 実生活で呼ばれなかったためか、お店や外出先で「おばあちゃん」と声をかけられても母は自分のことだと思っていなかったようです。 いちど母がスーパーの駐車場でゆっくりバックしてきた車にぶつかったことがあります。 大事には至りませんでしたが、転んで頭を打ちました。 倒れて意識が遠のきそうになったところに、車の人が慌てて飛んできて「おばあちゃん大丈夫ですか?!」と言ったそうです。

解放されるということ【母の思い出4】

*これは誰に読んでもらわなくてもいいのです。私の心の整理のために書いています 先日亡くなった母の思い出です。 母は自由になれるのに、「ならない人」でした。 最後まで父と婚家に縛られていました。 結婚した父のことをそれほど好きだったわけではないと思います。 同業者(教師)として尊敬はしていたと思いますが。 その人の良い面しか見えない職場結婚の落とし穴というヤツです。 (お父さんゴメン!悪いけど事実だよ〜) まして嫁ぎ先の家は嫌いだったかと・・・ 姑、小姑にはさ

見ただけでどういう人かわかる【母の思い出3】

*これは誰に読んでもらわなくてもいいのです。私の心の整理のために書いています 先日亡くなった母の思い出です。 実家でも自宅サロンをやっています。 いらっしゃるお客さまがちょうど台所の窓から見えるんです。 すると母は表情と歩き方から 「何歳くらいの人だね」 「こんな感じの人だね」と予想するんです。 それが不思議と当たっていました。 「なんでわかるの?」と聞くと、 「今まで多くの人を見て観察してきたからね。だいたいわかるのよ」と言います。 母は小学校の先生でした。

香りの記憶【母の思い出2】

*これは誰に読んでもらわなくてもいいのです。私の心の整理のために書いています 先日亡くなった母の思い出です。 母が最後に私にくれたモノは香水でした。 クローゼットの奥から出してきて、「これあげるわ」と言ったんです。 「あ、この香りは‥」 子供の頃の記憶にある母の匂いでした。 「大人になってからは嗅いだことがないな〜」と思ったらずっと使っていなかったのでした。 数十年前そのままの箱に入ったボトルにはわずかに香水が残っていました。 まだ祖母が家の実権をにぎっていて