自転車に乗れなかったあの日

私は、伝えることが下手だ。話すことも書くことも下手だ。色々と勉強もしてみたが、やはり、うまく行かず、いつしか、伝えることを諦めるようになった。そのことで、ますます伝えることが下手になった。


そんな私も、noteで、たくさんの素敵な記事を読んでいるうちに、こんな風に自分を表現できればいいなと思い、勢いでnoteをはじめた。


しかし、文章はうまくかけず、自分の考えていることがうまく形に出来ないもどかしさを感じる。頭では言いたいことが浮かぶのだが、それを、うまく形に出来ずに筆が止まる。また、書き直してはボツにする。なんとか、いびつな形にするのがやっとの状況だ。


この感覚は、頭では理解しているが前に進めず、転んで、苛立っていた、補助輪なしの自転車【以下、自転車】に乗れなかったあの日の感覚に似ている。そして、noteは乗れないが買ってしまった自転車のようだ。



私は、自転車に乗るのが怖かった。また、一生乗れないと真剣に考えていた。ただ、補助輪がなく、軽快にスピードを出して、風を切って走る景色はどんなものだろうかという、未知の領域への憧れも持っていた。 


そんな私も、自宅から少し遠い学習塾に通うため、しぶしぶ自転車に乗る訓練をはじめた。


最初のうちは、前に進めず転倒を繰り返していた。

“前をみて”

“ハンドルを握って”

“ペダルを漕ぐ”

頭ではわかっている。しかし、前に進まずによろけて倒れる。倒れる度に“もうやめよう”とばかり考えていた。こんな失敗を何度繰り返しただろう。この時間は、永遠に続くのではないかというくらい長かった。

それでも、練習を続けていると、ある時、一漕ぎが噛み合って、自転車が風を切り、少しだけ前に進む。本当にわずかな距離だったが、前に進んだ一瞬から、景色の見え方が変わった。そこからは、流れる時間の質も変わり、練習が楽しくなって、あっという間に乗れるようになった感覚だった。


自転車に乗れるようになると、いつもの通学路や駄菓子屋への道も、これまでと、違った景色のように見えた。そして、風を切って走るのが気持ち良く、様々なところをサイクリングした。行動範囲の広がって、世界が広くなった。


まるで、乗れる前とは違う世界にいる気分だった。そして、少し前まで、一生自転車に乗れないと思い込んでいた自分を笑った。


真剣だったらからこそ余計に滑稽だったのだ。



今私は文章がうまく書けない。また、一生思い通りの文章なんか書けないと真剣に悩んでいる。今書くことは、辛く、苦しい。ただ、自分を表現できれば、どれだけ素晴らしいかとの憧れもある。


進まない原稿を前に、あの日のような、セミの鳴き声を聞きながら、あの時の感情を思い出す。


そして、書き続けていれば、自転車が初めて前に進んだあの瞬間のように、文章を書く楽しみになる時が訪れて、やがて、自転車に乗れるようになったあの日のように、未知の世界に踏み込めるようになると信じている。


私は、その日が来るまで、noteを書き続けようと考えている。


いつか、文章が思い通り書けるようになったら、文章なんて一生書けないと思っている今の私を笑ってやろうと考えて、当noteをしたためた。




|д゚)チラッ