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ちあきなおみ~歌姫伝説~19 山口百恵という儚さ・前篇

 子供心にも、私に現実と虚構を錯覚させる心情的影響を及ぼしたのは、山口百恵という存在だった。
 ちあきなおみ「喝采」で幕を閉じた翌年の一九七三(昭和四八)年、山口百恵は歌謡界にデビューした。
 オーディション番組「スター誕生!」からデビューした、同い年の森昌子桜田淳子とともに、三人は"花の中三トリオ"と呼ばれ、歌謡界の新しい時代の幕を開けたのだった。
 この花の中三トリオは、一年ごとに、花の高一トリオ・高二トリオ・高三トリオと三人の学年に合わせて呼び名を変えてゆき、トリプル主演の映画「花の高2トリオ 初恋時代」(森永健次郎監督)が製作されたり、一九七七(昭和五二)年には、日本武道館において行われた解散コンサートがドキュメント映画となり、その後、スペシャル番組として放送されるなどして人気を博し、華麗なる一時代を築いた。
 ただし、三人トリオはユニットではなく、各々がソロ活動をしながらの特別枠といった趣だったので、トリオ結成は、かつての"三人娘(ジャンケン娘)"美空ひばり江利チエミ雪村いづみ)や、"スパーク三人娘"中尾ミエ伊東ゆかり園まり)の系譜を受け継いだ、歌謡界の古き良き戦略というものであろう。

 ところで、昔の歌謡界は、とかくソロ歌手三人をひとくくりにして売り出す傾向が強かったようである。
 男性歌手では、昭和歌謡の元祖"御三家"橋幸夫舟木一夫西郷輝彦)や、"新・御三家"郷ひろみ西城秀樹・野口五郎)、"たのきんトリオ"田原俊彦近藤真彦野村義男)などであるが、この現象は、元来日本人の持つ嗜好に由来していると思われる。古くは尾張紀伊水戸"徳川御三家"と呼び、なにかとベストスリーに注視し、日本人が三つ好きなものとして"巨人・大鵬・卵焼き"が流行語となり、日本三大祭り、日本三名園などを選定し、野球では三冠王、相撲では三役と、日本人はよほど三が好きな人種なのだろう。
 それはともかく、三にこだわり区分けすれば、当時、父親世代に人気のあった森昌子を中庸とするならば、われわれ子供にとって桜田淳子は、山口百恵は、といった感じを受けていたものである。

 毎日のようにテレビ画面の中に存在する山口百恵には、大人たちが口にする、言わば私にとっては未知な存在であった美空ひばり越路吹雪といった旧世代のスターとは違い、「百恵ちゃん」と呼べる親近感と、リアルタイムのスターでありながら、孤独な感じや哀愁、大胆不敵さといった、トラディショナルなスターの要素を備え持ち、大人がこねくり回す往年のスター論恐るるに足らず、十分に対抗できる圧倒的な個性を感じていた。同世代のアイドルと比較しても、十五歳にしては少し大人びた表情や物腰から醸し出されるムードは、明らかに別格の匂いを漂わせていた。
 デビュー曲「としごろ」(作詞・千家和也 作曲・都倉俊一)の爽やかなイメージから打って変わった二枚目のシングル、「青い果実」(同)からはじまるセクシャルで大胆な歌詞を歌い上げる、"青い性路線"と呼ばれたシリーズも、一曲ごとにその顔は大人へと変貌を遂げ、実年齢とのギャップから生まれる背徳なイメージが魅力となっていった。そして五枚目のシングル、「ひと夏の経験」(同)で、「あなたに女の子の一番大切なものをあげるわ」と歌が切り出されると、私はもはや「百恵ちゃん」とは呼べず、どう形容していいかわからないほどの神秘的なるものを感じ、山口百恵とは大人にかくれてこっそり見るもの、という感を強くしていった。
 その罪悪感を伴ったどこか官能的な喜びは、少年期において、いよいよ女性という異性を意識させる芽生えでもあったのである。

 そして、私が山口百恵に見た女性像は、その後「冬の色」(同)、「湖の決心」(同)、「ささやかな欲望」(同)で表現された、男性のために身を引き、自らを犠牲にできる精神を持つ女性という、些か古風な女性像だった。
 そしてこれらの歌の物語は、悲劇性を同居させた、実らぬ"純愛"の世界だったのだ。

 現代にも好評を博す、日本における純愛を描いた作品では、泉鏡花の小説「婦系図」を原作とし、新派をはじめ、芝居として劇化された「婦系図」の中で描かれる、「湯島天神の場」での、お蔦と主税の別れの場面が有名である。
 現代人は芝居の中で、生涯かけて決して再び会うことのできない主税を、短い生涯を閉じるまで愛しつづけたお蔦に、現代では失われてしまった日本女性の美徳と、明治時代の古きゆかしき女性像を重ね合わせ、身分差別や因習といった、ありとあらゆる障害に引き裂かれた悲劇たる恋こそに純愛を感じ、相手の愛と自分の愛を信じて堪え忍ぶ女性の姿に、胸を打たれ涙するのである。
 そのような女性像を、戦後三十年が経過した現代の女性である山口百恵は、歌、映画、テレビドラマで演じ、商業的にも大いに功を奏したのは、やはり山口百恵が持つ、天性の個性というものであろう。

 直木賞作家の野坂昭如氏は、一九七九(昭和五四)年に放送された「NHK特集 山口百恵 激写⁄篠山紀信」の中で、山口百恵の個性についてこのように語っていた。

「ちょっと翳りがあって。今の女性の中に流行とか時代の風潮によって埋没してしまっている個性というものがある。それは決してだれかが企んで創ったのではなく、自ずと自分自身の個性が出ざるを得ないという面を持っている。彼女は日本だけではなく、世界的に通用するスターである。顔立ちだけ見て美人であるとか美人でないとかではなくて、あの人が持っている雰囲気というのは、仮にシャンゼリゼを歩いても、ローマのヴェネツィア通りを歩いても、五番街を歩いても、多分、外人が振り向いて気にするようなムードを持っている」

 このように、どこか幸薄そうで気懸りな山口百恵に、悲劇を背負わせれば背負わせるほどその存在感は増してゆき、「百恵ちゃんがかわいそう」という虚実入り乱れた世界で、日本人特有の判官贔屓に駆られ、当時、人はある種特別な想いで山口百恵という個性を見つめていたのではなかろうか。
 その個性が最も際立って発揮されたのは、テレビドラマ「赤い疑惑」(TBS・大映テレビ)である。
              つづく

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