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Seventh memory 13

「二つの地平、真(まこと)の平和を望むなら、支柱の先にて朝と夜を祈りによって捧げよ。さすれば天秤は保たれ、世界の安寧は訪れん……大いなる意思はあたしにそう言った……どういうことか、さっぱりだけどね」

 言葉を選ぶように一つ一つ記憶を手繰り寄せて目を瞑る。

 そこまで言い終わってようやく今まで黙っていたアカネが口を開いた。

「ねぇ、前イアードがあたしに言っていた想像のもう一つの世界って! 生きるのにみんな必死で笑っている人なんて一人もいないそんな世界って!! それってーー」

 言葉を畳み掛けようとしたアカネの口が思わず止まる。アカネの目に映ったのは今まで見たことのない悲しい目をイアードのものだった。
 その目はとても澄んでいて深い水底のようにも深い闇の奈落のようにも思えた。
 言葉に出さずともわかるアカネの問答に対する無言の返答でもあった。
 

「ごめんアカネ、あたしは……ただずっと見ていた……それだけなんだ。だから本当のことは本当は何もわからない」
「そう、なんだね……」

 
 それは嘘でもあるが、真実でもある。
 結晶化したことでイアードは本来の、イアードではなかった頃の記憶も徐々に思い出しつつあった。
 イアードとしての自分では知り得ないことだが、別の自分であった頃の記憶なら今のアカネの問いに対してもはっきりとした回答が出せたのかもしれない。

 しかしそれも彼女の憶測でしかない。今の彼らに憶測で何かをこれ以上話すべきではないとイアードは結論づけていた。

 それは彼女の優しさからなのかそれとも彼女自身が2人にこれ以上距離を置かれたくなかったからなのかは当人ですらわからない。

「イアード……君の目的が見えない……君はいったい何のためにーー」

 目的……言われてはっきりとその答えはあった。
 
 自分が何者であっても今、ここにいる自分が、イアードとして生きる自分が一番果たしたかった目的。

「目的か……正直に言うならそんな大それたもの……本当はないのさ……あたしはねただ、今まで過ごせなかった時間を過ごしたかった。友達と遊んで笑ったり、時には喧嘩して泣いたりそんな本当に些細なことを願っていたんだ」

 それは心からの、彼女の、イアードとしての本音。
 ナールたちと過ごし、偽りの妹であるドライと共に暮らし、そして彼女の中で初めて全てを打ち明けられた親友までできたこと。

 それは彼女にとってなによりかけがえのないものだった。

「遠い昔……思い出せないくらい昔にあたしがきっとできなかった事の全て。些細で当たり前みたいなことをあたしは心の底から願っていたんだ」

 見せかけの同情などでは決してわかることができないその深い深い哀しみと苦しみ。
 その現実から逃れようと目を背けた結果がイアードの明るさであり、いつも笑顔でいるということを選んだ結果なのだろう。
 孤独であることを望まない彼女が、それを受け入れられなければならなかった。

「あたしはね。選人として天蓋で過ごし続けて、その内に全部が全部嫌になって……許されない事だとしても、あの場所から抜け出したかった。全部投げ捨てて……思うままに。でも、そんなあたし1人の我儘のせいであんたらに迷惑かけるのは、やっぱ違うなって、思ったんだ、でも、その時にはもう、遅かった」

 イアードの後悔の念が僅かに彼女の瞳を潤ませた。いつもの彼女なら誤魔化したりするようなその雫を拭うこともなくただナールとアカネの方をイアードは向き続けていた。

「僕たちへの迷惑……?」
「『わざわいをよぶもの』の影響が少しずつ現れ始めてる。あたしの結晶化が急に進んだのもきっとそのせい……あたしは少しでも早く戻らなきゃいけなかった。いや、そんなことはもっと前にわかってた。ごめんねアカネ……あたしの身勝手であんたまでこうして巻き込むことになってしまった……あたしと会わなければきっとあんたはこの事に無関係でいられたはずなのにーー」

 そう言ったイアードの目からの涙が溢れ出た。こんなにも感情的になっている姿を見たのはナールも初めてだった。
 他のみんなが感情的になっている時ですら彼女はどこか達観した表情を浮かべていた。
 表情に出にくいだけだと自身では言っていたが、そんな彼女の表情をこんなにも変化させるほどにイアードにとってのアカネという存在はとても大切なものになっていた。

 アカネも彼女の心は読めないが、きっと彼女のいう迷惑というのは、さっき自分が聞いたあの声と関係しているのかも知れないとアカネは直観的にその表情から感じ取っている。

「イアード、どういうこーー」
「アカネも呼ばれてしまった!! あたしのせいで……あたしのわがままが、あたしがわがままを押し通さなければ……あたしがーー」

 事態についていけていないナールが口を挟もうとしたタイミングでイアードの感情が昂る。
 その様子にナールの表情も一層困惑したものになる。そんな中、小さな子供のように泣きじゃくってしまったイアードをアカネはただ優しく抱きしめた。

「アカ、ネ……?」
「辛かった……苦しかったんだね……いつも何でも楽しめるあなたが逃げ出すくらいに……頑張ったね偉いよ、凄い事だよ」

 それは今まで誰にも言われたことがなかった自分の努力を褒める言葉であった。

 自分の身勝手で巻き込んでしまった少女に、恨み言ではなくむしろそれまでのことを褒めてくれたのだった。

 偽りの……イアードとしての、自分ではなく本当の自分へ優しさを向けてくれる。
 そんな彼女だからこそ、イアードは自分と同じような宿命を背負わせたくはないと改めて思う。

「アカネ……違うの……あたしはあなたにそんな事言われるべき存在じゃーー」
「楽しかったよ」
「えっ!?」

 それは彼女にとって予想だにしていなかった言葉だった。
 泣き続けるイアードとは対照的に、アカネは精一杯の笑顔を浮かべてイアードの方を見続けていた。

「あたしは、あなたと過ごせて楽しかった。嬉しかった……その気持ちまでも否定するのは止めて……あなたと過ごした時間はあたしにとって幸せな時間だったのだから」
「アカネ……」
「あなたが本当はどこのだれで、どんな生活をしていても、あたしの知ってるあなたでしかないわ。いつもみんなの中心で笑って、明るくて、強くて、あたしの憧れだったあなたはここにいる」

 ずっとアカネは彼女に憧れていた、初めてあったあの瞬間からーーいや、もっと前……教会で誰より楽しく大きな声で歌う彼女を見て、アカネは無意識のうちに目を奪われていたのだから。

 誰より純粋でまっすぐでどこまでも伸びていくその声を発する彼女のその姿に。

「……ねぇ、アカネ。あたし……ボクね本当はイアードって名前じゃなくて本当はベレスって言うの」
「ベレス……それがあなたの本当の名前なのね」
「そう、きっと後にも先にもキミしか知ることのない、キミしか覚えていないであろうボクの本当の名前」

 その一言の言葉が、どれほど重いものだったのだろうか……誰一人呼んでくれることはなかった名前を託すことの意味。

 当たり前に呼ばれるべき彼女のその名は呼ばれることはなく、ようやく呼ばれた名前は彼女にとっては偽りの名前。

 思い出すことはできても、あくまでもイアードとしてその存在を消すつもりだった。
 そう、それはアカネに抱きしめられるその瞬間までは。

 ベレスにとって、他の誰でもないアカネにだけはその名を覚えていて欲しかった。
 一度でいいから彼女のその声で自分の名前を呼んで欲しいと願ってしまった。

 そんな想いが込められた彼女の本当の名前を知ったアカネゆっくりと一文字ずつ、その名を噛みしめながら目の前の泣きじゃくっている少女の名前を呼んだ。

「ベ、レ、ス……」

 そう呼んだ途端に、ベレスは静かに微笑んだ。それと同時に彼女に後光が差し、その全身が紫色の鉱石へと変わっていく。
 ナールは咄嗟に、アカネをベレスから放し抱えるように自身の腕の中へと引き込んだ。

「……そろそろお喋りの時間もお終いみたいだ……」

 ゆっくりと2人から離れていくベレスを見て、アカネはナールの腕を振り解きベレスへと手を伸ばす。

「ベレス!!!」
「アカネ!?」
「来ちゃだめ!!!!!!」

 手を伸ばしてベレスに触れようとしたアカネを拒むようにベレスは不思議な力で自身とアカネの間の足元の地面を抉り取り、これ以上は進めないようにと距離を取った。

「結晶化の影響によっていずれボクの意思は完全にエルムとなり、きっとキミたちを傷つけてしまう。それだけは絶対に嫌だ……」
「……イア―ド」

 ナールが言い直した言葉、名前。ここにいた自分の全てがそこにあるような気がしていた。

「……キミは、最後までその名前でボクを呼ぶんだね」

「僕は、君の言う根拠のない作り話を信じることはできない。君のその腕だって見え方の違いや、僕の目がおかしくなっただけだと目の前の不思議な事象を頭では否定し続けている。でも、そんな不確かな真実なんかよりも君と過ごした時間は僕にとっての揺るぎようのない真実だ。君はイアードだ。僕にとってはそれ以上でもそれ以下でもない。そうだろ?」

「ふっふふ。まったくキミってやつは本当に……いっしっし。惜しいなボクが、キミと同じ時間で生きることが出来ていたならーー」

 ベレスが、言いかけてそのままアカネの方を向く。
 彼女は真っ直ぐに自分を見つめていた。そこに僅かな緊張感を感じ続いてナールの方をゆっくりと見つめる。
 どこか表情を固くしている目の前の彼もまた自分が何を言われるのかと緊張しているようにも見えた。
 その2人を見て改めてベレスは小さく笑った。
 
 彼女にとって、やはり世界の命運や自身の運命なんかよりもこの2人の存在の方がはるかに大きいものになっていたのだろう。
 決めたはずの決心が揺らぎそうになっていく。

 しかし、彼女は決意を新たにした瞳で2人の方を改めて向く。

「いや……それは無理か。だって、同じくらいボクはアカネもナールのことも大好きだから。こんなこと言ったら、またアカネを困らせちゃうかな」
「ベレス!!!」

 ベレスの体が光に包まれていく同時に、紫色の鉱石へと変化していた部分が崩れ落ちていき、光の粒子となって空に溶けていく。
 それは虹色の光景に混ざるように、一瞬の輝きを放っていた。

「残念だけど本当にもう行かなくちゃ。キミたちと出会えたこと本当に幸せだった」

 光の中に消えて行くベレスは本当に今までで一番の笑顔を浮かべ。それが2人には本当に眩しく、太陽のようにも見えた。

 完全に消えゆくその瞬間、ベレスはアカネへと両手を宙に差し出して、何かを手渡すような素振りを見せた。

 それと同時に虹色の景色がゴーンという鐘の音と共にガラガラと崩壊し、大きな時計の針が動くような音が聞こえた気がした。

 鐘はしばらくゴーンゴーンとしばらく耳鳴りのようになり続け、同時に時計の針もゆっくりゆっくりカチッカチッと進み始めた。

 アカネの脳内にもう姿が見えなくなったベレスの声が聞こえてくる。

「アカネ、最後にキミにお願いがあるんだ。どうかボクの……ボク達の僅かな希望をキミの限られた時間と共に守って欲しい。お願いだアカネ。キミにしか頼めないんだ。よろしくね。アカネ」

 そしてその鐘の止まると同時に、アカネの意識は現実へと引き戻されていく。

 次にアカネが目覚め、辺りを見回すといつもの見慣れた大きな木のある原っぱにいた。

 少し離れた場所にナール。そして、すぐ横には何かに包まれた状態の見知らぬ赤ん坊が寝かされていた。



つづく

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