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40 モウスコシ、アトスコシ

 今回のオースリーの中止が決まった直後の学園内、昼下がりの自由公園区画のベンチにシュレイドは座っていた。

 自らの手を見つめて座り込んでいた。
 胸の中に募るどうすることもできない感情の整理が未だに付かないままで……。

 そこにとてとてとやってきた少女はゆっくり息を吸うと声をかけた。

「シュレイド」

 呼ばれた少年は小さく視線を向けて少女を見る。その瞳からは光が失われているようにみえた。

 周囲には人の姿はなく、高く登った太陽が雲に隠れ、まるで彼の今の心が映り込んでいるかのような曇天。

 その身体はとても幼い子供のようにも見えた。

 始めて見るその姿にズキリと胸が痛む。

 少なくとも、小さい頃から一緒に過ごしてきた彼女すらみたことがない姿。

 祖父グラノ・テラフォールの安否が不明と知らされたあの日にさえ見せなかったその姿に心が締め付けられていく。

 いつから、こんなにも傷ついてしまっていたんだろう。

 今回の事が引き金にはなったのかもしれない。 あの明るく元気でちょっぴり無遠慮な所もあったりして、でも、本当は心優しい少年から消えていく何かに不安を覚える。

 記憶が頭の片隅にちらつく。

 おぼろ気に浮かびゆく遠い昔、夜、ふと目覚めた自分。父親がいなくなったあの日の夜の母親の表情にどこか似ている気がした。

 ドクン、と胸が跳ねる。

 ダメ。そっちはダメ。いっちゃダメ。


「メルティナ……俺は……」

 言葉が続かないシュレイドの隣にそっと腰掛けた。
 二人の間には静かに風が通り抜け、さわさわと草や木の音が耳に届く。静かなそれらの音が静かに遠ざかるのを待って一言

「……うん」

 とだけ相槌を打った。

「……」

 彼はただ、下を向き続けている。
 かけるべき言葉が見つからない。
 今こんな言葉を言ったところで何の慰めにもならないことは、分かっている。

「……ここに来る人達は皆、それは覚悟している事だって」

 気休めにもならない言葉だと思った。それでも、今のシュレイドの気持ちをどうにかして和らげたいメルティナにはこれが精一杯だった。

 再び昔を思い出す。彼がただ自分の傍に居続けてくれた記憶が脳裏をよぎる。
 母親を失い、グラノに連れられシュレイドと過ごすことになった幼い日の自分。

 毎晩眠れなかった。

 目の前で見た母親の最後。凄惨な光景が目を瞑るとフラッシュバックして浮かんでしまい、眠る事が出来ない日々。

 真っ暗な中で、毎晩、夜空を眺め続けていた。ある日から人の気配を感じるようになった。最初は遠くに、1日ごとに少しずつ近づいてくる気配。

 そう、シュレイドが心配していつも様子を見てくれていた。シュレイドの姿はいつしかメルティナの隣になっていた。

――ただそれだけ

――でも

――それでも

 あの時、私の心を暗闇から、救ってくれた――


「わかってる。それでも……それ、でも」

 シュレイドは震える声で答えた。その姿を見て、彼女の次の言葉は決まった。

「大丈夫。シュレイドは、シュレイドの心は私が守るよ。今度は、私の番」

 彼の見えない傷を撫でるように優しく声をかける。

 シュレイドは一瞬、目を見開いてその言葉に硬直する。

「えっ」

 そのまま柔らかくメルティナは笑顔を向けて言葉を続けた。

「昔、あの時、私の心を、守ってくれた。だから……」

 メルティナの言葉を聞いたシュレイドの表情は破顔していく。瞳に溜まる涙に胸が張り裂けそうになる。

 何かしてあげたかった。昔、私の心を救ってくれた彼に。

 恩返しがしたかった――でも、それだけ?

 ――わからない。でも、今は……今はただ……

「……ごめん」

 謝るように呟いたシュレイドの頭を思わず自分の胸元に抱き寄せ――

「いいよ」

 メルティナは包み込むようにぎゅっと力を込めて抱き締めた。

 シュレイドは張り詰めてきた何かの糸がプツリと切れたように慟哭する。

「っっ、く、うぅ、うあああああああぁぁぁあ――――」

 シュレイドが落ち着くまで、胸を貸し続けた。



 空はゆっくりと流れていく雲にまだ覆われたままだった。



 僅かに真上から傾きかけた日が視界に入る頃。シュレイドは落ち着いてゆっくりとメルティナの胸元から顔を離した。

「落ち着いた?」

そう問うと

「... ごめん」

まだ時間がかかるのかもしれない。でも、少しでも気持ちが落ち着いていてくれたならそれだけで今は十分だった。

「いいよ。大丈夫だから」

もう一度笑顔で答える。

「少し、一人にしてもらってもいいか?」

表情を見る限りでは一旦は大丈夫だろうと思えた。

「うん」
 と返事をしてメルティナは立ち上がる。

「悪い」

 最後にもう一度笑顔を向けて。

「また、あとでね」

 落ち着いた声でそう言った後、その場を離れていった。


 メルティナが生徒宿舎区画への道のりを歩いていると不意に、めまいがして一瞬意識が飛びそうになる。
 よろける身体、ふらつく足元のバランスを取って左右に振った顔を上げた私の視界は先ほどと違う場所を映していた。

 ここは、幼い頃から時々見る夢の中に出てきていた場所ではないだろうか? メルティナの顔に脂汗が滲む。

 最近は見なくなっていた嫌な夢。


 昔、夢で見た時と違ったのは……

 そこに――何かが――居る? という事だった。


『モウスコシ、モウスコシ』

 頭に響く不快な音。

「... 一体、なに?」

 身体の自由が利かない

『アトスコシ、アトスコシ』

 視界に入ったソレはメルティナを見向きもせず呟き続けている。しかし口のような声を出す器官は見受けられない。

 ――物体であることはわかる。

 ――けれど、人ではない何かだと直感的にメルティナは判断する。

 流動的に空間が捻じれるような中で手のような、足のような伸びた何かの形が蠢いている。

『……アア、アアアア』

 呻き声を上げたかと思えば口と思しき場所からボトボトと塊を吐き出すように生み出していく。

 メルティナは、気分が悪くなった。この光景をまるで強制的に見せられているようなそんな感覚に身体が拒否反応を起こす。
 吐き気がするのに吐けないような胸の中がどろどろとして気持ちの悪い感覚。

『アア、ニクイ……ニ、クイ? カ、メ、オ、ス、コー、モ、スめ』

 呪詛のようなその音が頭に響き続ける。

『シンケンノクサビハハズレツツアル、マジョノフウインハスデニトカレタ』

 騎士という聞きなれた単語と神話の本で見た神剣、そして魔女という単語がかろうじて聞き取れた。
 でも、それが何を意味するのかメルティナには全く分からなかった。

『ソシテ、メルティナルーンフェル』

 突然、名前を呼ばれる感覚に身震いする。瞬間、硬直する身体、強張る表情が私自身を更に拘束する。

『オマエノカラダトチヲメグリ、ワタシハ、ソンザイヲトリモドス』

 目の見当たらないその存在となぜか目が合ったような恐怖がメルティナの心を射抜く。

『アリガトウウマレテキテクレテ。スベテノキセキガ、コノジダイニヨウヤク 』

 まるで感情などないような言葉で感謝される声がおぞましいと感じることは初めてだった。メルティナは意識を振り絞り、声を出した。

「……貴方は? なんなの?」
『……アナタハ? ナンナノ?』

 メルティナの言葉をそっくりそのまま返してきた。そして――

『ホントウニ?……ニンゲン?』

 その言葉にぞわぞわとした感覚が全身をくまなく巡り、自分の手が視界に入った時、メルティナは悲鳴を上げる。

「あ、あ、いや、イヤアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!」

 目の前に映るのは幼いメルティナだった。淡く発光する緑色の髪。血のような赤い眼。
 そして、そのメルティナに蹂躙されて肉塊になってゆく騎士達の姿、肉片が乱れ飛び散り宙を舞う。

それでも頭に響く声は消えてくれない。

『ホントウニ、ニンゲン?――イイエ、アナタハワタシノトビラデアリウツワ』

 触手のようなおぞましい物体がメルティナにぞわぞわと近づいて迫る。

「あ、はぁ、はぁ、ああ、あああ。ヤメテェエエエエエエ」

 絶叫と共に彼女の意識は遠のき、視界は黒とも白とも言えない虚無の明滅に塗り潰されていくのだった。


東部学園都市コスモシュトリカ編 第1部完





作 新野創
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