85 寝覚めの悪い昼
「ふあぁ、あ、ねむぅ」
寝ぼけ眼を擦りながら、ベッドから這いずり出た。カーテンの隙間から陽光が差し込み思わず目を細める。
だが、視界に入るのは日が昇る頃の柔らかい光ではなく刺すような強い光。
最早、朝ではないんだろう。ま、いつもの事だけど。
「あ、眩しいぃぃぃ、、くー、むりぃぃぃ」
もう一度寝ようとふかふかの掛布団をかぶり直そうとしたしたその瞬間。
ドンドンドンと激しくドアを叩く音が聞こえてきた。うるさい。
「リーリエ様!!! 一大事です!!!」
「うええ、急ぎの報告なら他の九剣騎士にしてよ~、うるさいよぉ~~ふぁああ」
完全に掛布団を被り、声を遮断しようとした。だが、ふかふかの掛布団はその極上の気持ちよさの代償に聞こえる声を抑制など出来る性能は含まれてねぇんだなコレが。
「ディアナ様もクーリャ様も学園へと早朝に向かって不在、サンダール様はどこにも見当たらず、ヴェルゴ様も未だに事変の時の任務から戻らず不在。現在、王都にいらっしゃる九剣騎士はリーリエ様だけなのです!!」
耳に貫通するその声に掛布団の中で眉間に皺を寄せて嫌な顔をして両手で耳を防ぎつつ部屋の向こうへ返事する。
「えええ、なんでぇ~、なんで誰もいないのよぉ~、あああ、そうか、それ以外の他の三人は、もう、いないんだったか…うるさいやつらがいなくてせいせいする……せいせい、してる? んなはずないって。まともに働きもしねぇ年上のリーリに良くしてくれたんだからさ。けど、くはぁ、今後、仕事は増えるよなぁ。めんどい」
自慢だけど、リーリはいつも怠惰に生きている。
出来る事なら面倒な事はしたくない気質である。
めんどくさいは、敵だ。
ただ、リーリの脳みそだけはちゃんと生きてる。先日の会議でだって傍目からは完全に眠り呆けてた訳だけど、大体いつも内容は驚くほど鮮明に覚えている。
まともに聞いている奴らよりよっぽど細部まで記憶していたりするんだから、そこは誉めてほしいよね。
真面目に聞くという必要さえ、そもそもリーリにはないんだし。
だから、聞いてないふりをするのも、いつからか慣れた。
どうせ耳から入ってくるのは大抵が良くない話ばかり。
リーリは耳が良くて、そして悪くもあったんだ。
本来、人の耳は音を選別して聞くことができるらしいんだけどさ、リーリにはそれが出来ないんだよねぇ。
周りの音が全て同じように聞こえてしまう。聴覚範囲こそ人のそれと同等なんだけど。
とにかく声も物音も選別が出来ず耳から全て入り込みそれを知覚してしまう。
すごい、疲れる。
だから、全てが脳に情報として入ってきてしまう。雑音だらけのこの世界はリーリにはうるさすぎるんだわ。
昔からそう。
音だけじゃなく、人々の話も大嫌い。
みんな他の人と同じことが出来なかったリーリの事を悪く言うし。
だから聞いた話を感情でなく、情報としてだけ受け取って聞く術を身に着けていったんだっけかな? どうだったっけな? 忘れた。
感情交じりに音が情報として全て送り込まれてくるのは苦痛だ。
だからまともに聞かない。いや、聞けない。
だから常に眠る。
眠る方が楽だから。
なんとか起きてる時は一人で仕事はする。
皆の役には、立ちたい。
それくらいは考えてる。
でも、しんどくならないように。
うん、何やってもしんどいんだぜぇ。
今回、明らかに異常な感情を含む言葉が飛んできているのは気になったけど、それでも寝起きが悪いリーリには少し辛い声の大きさでねぇ。
ああ、むり。ごめん。
完全に遮断しようと被っている羽毛の柔らかい掛布団の隙間から音が突き抜けてリーリに届く。
「アレクサンドロ様が!!!」
ピクリとその名前とそこに込められた感情に身体が止まる。
どうして?
なんでこの流れでアレクのジジイの名前が出てくる?
しかも、そんな悲壮な感情と共に。
リーリエは寝ぐせのついた髪のままで掛布団をばさりと払いのけてベッドのたわみを利用してドアへと勢いよく跳ね飛んだ。
「ドアから離れててー、ちょぉあ」
「えっ?」
一足飛びに目の前に近づいた扉を蹴り飛ばした。
扉の外にいた騎士は寸での所で横にちゃんと避けてくれていた。
顔面は蒼白で、表情は今の出来事で唖然としている。
通常、体重をかけて開けるほどに重い両開きのドアをブッ蹴り飛ばして廊下の通路の壁にめり込ませた。窓も粉々だ。見事!! 芸術点満点!!
いや、てか、ちょぉあ……じゃねぇわ。いっけね、やっちゃった。
ああ、思わず勢いでやってしまった。
あああ。絶対また罰金だわコレ。
でも今は……そこじゃなくて。
「……んで、アレクのジジイが、どうしたって?」
ボサボサの頭で色気もへったくれもないような状態で返答した。
目の前の騎士は確か一の剣アレクサンドロの隊の騎士だ。
リーリにジジイからの伝言を伝える役目をよく任されてた騎士だから見たことがある。
その騎士は目に涙を浮かべ、怒り、悔やみの感情を押し殺すように手を握り込んで震えて立っていた。
「……アレクサンドロ様が、何者かに、殺されました」
「え」
リーリは音が遠ざかるのを初めてこの時、感じたんだ。先ほどまで鳴っていた周りのほとんどの音が消えるような感覚っていうのかな。
「…は? ちょっとまってって、なんのドッキリ劇場? あれでしょ? なかなか起きてこない私を起こすように言われたんでしょ? いやぁ、演技派だねぇ、、、見事に目が覚めたちゃったよ」
目の前の騎士の身体が変わらず小刻みに震えて続けている。
「英雄碑のある丘で倒れているのを、巡回の騎士が今朝、発見し……先ほど、死亡を確認しました。ズタズタに引き裂かれ……無残なお姿に…」
「は? はぁ? なんで? ふざけろし、演技やめろって、おい、やめろっ……て……なぁ、嘘じゃ、ない、の? まじ、なの?」
リーリは久しぶりに言葉に込められている感情を受け流すというスイッチを無意識に入れ情報だけを呑み込もうとするもダメだ。できない。
自分の頭に手を当てて、俯いて思わず撫でる。自らを落ち着かせるために。自分の手で自分の頭を撫で繰り回す。
何度も撫でてくれた皺くちゃの手の代わりに自分の手で。
『のう、リーリ、ワシがおらんようになったら、その時は騎士達、皆を頼むぞ。なんだかんだお前がワシを除けば今の九剣騎士達の中で、お前が年長なんじゃからな』
『おいい!! 歳の話はやめろぉおお!? ジジイ! いやいや、というか、なんでリーリなのぉ? 他の皆の方がよっぽどしっかりしてるでしょうよ! ふぃいい、柄じゃないんだけどぉ。ぃやだよぉ、めんどいし、それにジジイはそんな調子だしまだ当分は死なんでしょぉ? なぁに寝ぼけたこと言ってんのさぁ。とにかく責任が重いのとかリーリにゃむり。勘弁してくれぇ、リーリの辞書に責任の二文字は存在して欲しくないのぉ』
『ははは、確かにまだ死にはせんだろうが、そろそろ、ワシも九剣騎士を返上しようと思っておってな。まだ、誰にも話しておらん事だが』
『え、なに? いきなりそのカミングアウトきっつぅ……いや、そんなんしらんし、勝手にしたらどうよ? あ、ていうかダメじゃん!! ジジイ居なくなったらリーリ達の仕事がさぁ、すんごい増えんじゃぁん! やめてくれよぉ!』
いい年してジタバタするリーリの頭をまたポンポンするジジイ。
『ハハハ。許せ。他のやつらと分担すれば大したことはない。それにリーリ。お前は剣を使う騎士として、あのグラノにも若くして剣の腕を認められていた騎士。もっと自信をもったらどうだ? お前ならばグラノ以上の騎士になる事も可能。ワシはそう思うて、お前を九剣騎士に推薦したのだぞ』
そういって頭を何度も撫でてくる皺くちゃの手がリーリは嫌いじゃなかった。
うぜえぇぇと思いながらも、嫌いじゃない、こうしたジジイとのやりとり。
なんでかは、わかんない。
『自信とかリーリにゃクソほども存在しねぇってのよぉ~、くあぁああ、無理無理ぃ、今から既に胃が痛くなる話。真剣にやるのとか無理だって』
でも、気恥ずかしくて手をいつも払ってしまう。リーリもう結構な大人なんで、こういうのやめてもらえますぅ?
あ、いや、まぁたまにならいいけど。
アレクサンドロはリーリを九剣騎士に推薦した人。
あのアレクサンドロが推すならば間違いない。みたいに国は即決してリーリを九剣騎士に任命してきた。
おいおい、少しは人間性とかを調べて、問題ない人格かを吟味しようか?
よーく考えて人選したらどうかね諸君?
と一瞬思ったけど死ぬほど条件が破格でリーリは二つ返事で即決した。
楽に生きれる!!
地位! 金! 称号!!
それがあると皆、正面からはつっかかってこない!
はぁ、最高!
裏ではボロクソに未だに言われてっけどね。しらんし。
だからアレクのジジイに気を許していた。という訳じゃないよ。
ただ、彼が信用に値したのはリーリの生き方を全く、一切否定しなかったからなんだ。
寝坊したならその分、起きて来てからちゃんと取り戻せ。
面倒なら、楽なやり方みつけてもいいから終わらせろ。
疲れたら寝てもいいから誰かに引継ぎだけは必ずしとけ。
これまで、昔から、ずっと誰もがリーリの生き方に対して、否定的、あるいは明らかな悪意を向けてきた。
なんでアンタは皆が出来る事が出来ないのよ? ほんとグズでノロマよね。
なんでいつまでも普通に生きられないわけ? 何で世の中で当たり前のことも出来ないのかしら。
なんでこんな風に生まれてきちゃったの? 他の兄妹はこんなにも立派に普通に生きれているのに。
とかね。
あーうるさい、うるさい。
私だって、頑張りたい気持ちがなかったわけじゃないってんだよ?
がんばりたいけど、がんばろうとする途端にがんばれないような人間なのリーリは。
好きな事しか、まともにできないし。
こればっかりはどうしようもないんだもの。
だから、しゃがれた優しさのある不思議とジジイの声で『別に頑張る必要はないからやれることだけは確実にやっとけ』って言われたときの言葉はなんかすごく嫌じゃなかった。安心した。
自分を生まれて初めて肯定してもらえた気がしたから。
寧ろ効率が悪かったり、あんま休んでなかったりした時にこっぴどく叱られたっけな。
意味わからん。
でも叱るときは大体、二人の時だ。他の人がいる前では叱らなかった。なんとも出来たジジイだこと。
九剣騎士として同等に……いや、対等かな? 仕事の時は敬語でリーリに話しかけてきてたし。
ご立派に生きてきて、国にもとんでもない貢献を長年してきたアンタがこんなクズみたいな生き方しかしてない年下に敬語なんか使う必要ないでしょうよ。
なんなん、このジジイほんとに意味わからん。
いつもダラダラして皆に迷惑をかけて、一切の団体行動を取れないリーリの生き方。
誰とも足並みを揃えられない。
でも、それ自体を咎めたこと、なぜか一度もなかった、そういやなんでだろうな?
面倒だったのかな? あり得る。
けど、多分違うんだろうね。
鎧に着替えて、とぼとぼとジジイが安置されている場所へと向かう。その最中も、周りの音は驚くほど耳に入ってこなかった。
その場所の近くにくるまでは。
来てみて心底、驚いた。騎士達の長蛇の列だ。うえぇ、なんだよこれぇ。
そっか、リーリだけじゃない。
こんなにも多くの人間にあのジジイは慕われていたんだな。ということを目の当たりにする。
それほどまでに悲しみの音が鳴り響いていたから。
でも、これって?……なんか違和感あるんだけど、なんだこれ。
わからん。考えるのも疲れる。
「へええ、並びたくねぇ~? めんどくさ。 はぁ、どっかで時間潰そうかな」
そう思った途端に足は自然とジジイの仕事部屋へと向かっていた。
カチャリと扉を開けて中に入る。そういえば、ここに来るのは久しぶりだ。
面倒だから基本は来ない。絶対来ない。何があっても来なかった場所。
いつもジジイは部下に指示をして、呼び出しに絶対に応じないリーリの部屋まで、使いの者をよこして何すればいいか伝えてくれていたなぁ。
でも、どうして。そこまで? 一度沸き起こった興味は押さえてはおけない。ジジイの許可なく、その部屋を物色して回る。
今まで一度も足を踏み入れた事のない更に奥の部屋には、色んなものが置いてある。そりゃそうだ。
一体何年、九剣騎士として生きてきたのか考えれば当たり前だろう。
「ん? 剣? ジジイは剣は使ってなかったはずだけど」
幾つもの剣。装飾が施された煌びやかな剣が並んでいる。
儀式用の宝剣や、勲章として賜った剣とかだろうか。
キラキラしすぎでしょ。
「ん? あの剣……」
その中で、目を引かれた一本の剣。
一番、地味で
一番、汚くて
一番、無骨な
アレクのジジイみたいな古びたボロボロな剣。
手入れぐらいしてやれよジジイ。
思わず咄嗟に掴んで腰に差した。
「リーリがコレもらってくから。形見にしてあげてもいいかな。どうせ、もういらんでしょ」
そうやって奥の部屋を後にし、いつも座っていたであろう机へと向かう。
机の右下に厳重に鍵がかかっている場所を見つけて、強引に叩き壊した。
ああ、また考えずに壊してしまった。
ん、まぁもう叱られることもないだろうし、いいや。
……そか……ああ
もう、ない、のな。
叱られることとか。
ないのよねぇ。
そっか。
せいせい、する、な。
ガサガサと棚を漁っていると一枚の絵が出てきた。
お……コレは、小さな肖像画? すんげぇうまいなコレ。誰が描いたんだろ? まさかジジイじゃあるまいな?
絵を描くのが趣味とか? 普通にあり得る。気がするぅ。
てか、どんだけ他人に興味がないんだろうなリーリは。
ジジイとはまずまず長い付き合いだけど全然、知らなかったんだぜぇ。
奥さんの絵、と、抱かれているのはジジイの娘さん? かにゃ?
「あ、リーリエ様」
騎士宿舎にいる召使いの女が部屋に入るなり立っているリーリに少し驚きつつも声を掛けてきた。
「……リーリエ様。 その、聞きましたか?」
「えと、う、あ、え、う、うん。聞いた、よ」
あまり接点がない誰かと話すのは未だに苦手。
仕事の上ならまだ昔よりはマシになってる気がするけど。
多分。
「あ、その肖像画は」
「え? ああこれ? 机の中で見つけた」
「大陸統一大戦の時にアレクサンドロ様、ご家族を亡くされたそうで。家族を忘れないように時間がある時には絵にしたためながら過ごしていたそうです」
「へぇ、そう、なん、だ。ふぅん。初耳」
リーリの生まれる前の時代。まだ争いに満ちていた時代。
シュバルトメイオンと周辺にあった国々が争っていた、リーリの知らない時代。
「アレクサンドロ様が九剣騎士の中で、当時より既に要となる存在であったことから、ご家族が敵国に捕らわれて……殺されてしまったそうです」
え、それも初耳だわ、いや、ジジイ自分の話とかまるでしなかったからな、いやまてまてぇ? 単にリーリがそういうの一切ジジイに聞かなかっただけ説が濃厚かもしれねぇ~。
……知ろうとも、しなかったもんねぇ。
「その娘さん。リーリさんに似ていたんですって」
「へ?」
その言葉にぎょっとする。目線を手元の絵に落とすと確かにこの可愛さはリーリに匹敵している。と思う。
ほぉん、認めてやろう。
ジジイ。お前の娘はリーリの次にかわいいということをな。
「ちっともアレクサンドロ様のいう事を聞かなくて、わがままで自分勝手で好き勝手ですっごく手を焼いていたんですって」
ほ、ほぇー。それはそれはジジイに手を焼かせるとは随分とやり手だな娘は。ん?
……そうかぁ、つまりリーリは死んだ娘の代わりだったってわけかぁい? なぁるほど。妙にリーリに優しかったってのも納得。
ていうか、めちゃくちゃ人の事、間接的にディスってないですぅ?
「でも、うちの娘の方がまだリーリエ様よりもかなりマシだったって零してたこともあります」
はぁ!? 何? リーリよりマシって言い方、なにそれ、おい、ジジイィ
!?
あんにゃろめ。ぶっ殺してやる。って、あ、もう死んでたんだわ。
もはや、リーリに対しての直接的なディスりだよなぁコレ。
これは流石に、ゆるすまじ。
続く
作 新野創
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