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88 仮面の大罪人

 仮面の人影は、私がこれまでに見たこともないほどの美しい立ち居振る舞いで、静かに頭を下げる。

 無駄のない所作、思わず息を飲んだ。私とて九剣騎士として立ち居振る舞いには自信があると思っていた。目の前の人物の動作はまるで芸術作品のようだ。
 
 目を奪われるとはまさにこういうことをいうのだろう。
 視線を外せず、ただ、その一つ一つの所作に心まで奪われているように見入ってしまった。

 だが、自らの背筋に僅かに感じる張り詰めた意識を手離さぬよう、務めて冷静に九剣騎士として返答する。

「あなたは?」

 ただ一言しか言葉を発せなかった。けれど、そうすることによって僅かばかり呼吸が整う。

「私の名前はベルア、と申します。故あってこの仮面は外せないのですが、どうかお許しください」

 彼女の風貌、そして名前を聞いて私の記憶に該当する人物が浮かんだ。
 大罪人。

「……ご無沙汰しております」

「え? ご無沙汰?」

「いえ、突然失礼なことを」

 瞬時に思考は切り替わろうとするが混乱してしまう。
 大罪人と思しき人物との予定外の邂逅、反応。

 目の前の人物は咄嗟にご無沙汰しておりますと口を滑らせている。

 つまり、過去にこの私と面識があるという事。

 一体、誰なの?

 表情を伺えない為、声だけでは記憶の中からその人物を導き出すことはまだ出来ない。 

 誰も行方を掴めずにいた人物、貴族殺しの大罪人が目の前にいる。
 余りにも唐突な出来事に対処の優先順位が決められず、思わず会話を続けてしまう。

「ミルキーノ家の前当主の殺害……貴族殺し……仮面のベルア」

「……」

 最も記憶に新しい情報と結び付けて会話を進める。

「九剣騎士である私の前に指名手配をされている貴方が姿を見せるとは正気なのでしょうか? それとも、素直に自首しに来たとでもいうのですか?」

「……全てが終わればそのつもりでいますので、どうかご安心くださいクーリャ様」

 そういって静かに佇む。隙は微塵も感じられない。この私が先手を打てないなど、そうそう信じられることではなかった。

 冷や汗が滲む。
 誰かと相対して、動けなかったのはヴェルゴとの直近での訓練の際が記憶に新しい。
 あくまでも感覚的にではあるもののヴェルゴに感じた以上の緊張感が場に漂っている。これは私が一方的に生み出しているもの。目の前のベルアの醸し出している空気じゃない。

「私から逃げ切れる算段があると?」

「その前に、少し話を聞いて下さいませんか?」

「罪人と無駄な会話をするつもりはない」

「……この国の危機に関わる事でも、ですか?」

「この国の危機……」

 ここまでの会話で、今朝方に報告を受けたアレクサンドロ様の訃報、襲われた状況の推測が、そして、このタイミングであることが自分の脳内で合致する。

「その顔、どうやら心当たりがおありのようですね」

「報告にあった奴らの仲間か?」

 カマを掛けるつもりでいたが、ここまであからさまな登場であればストレートに問うのが早い。

「だとしたらどうしますか?」

 この段階で関係があるとは断言はできないが少なくとも知っている事はあるという事が確定した。

「ここで捕らえる」

「それは不可能です。今の貴女では私に勝てはしない。貴女が本当に強者であるならば既にその判断は付いているものと思いますが」

「……そこまで分かっていながらなぜ、あなたはこの私を襲ってこないのでしょうか?」

「クーリャ様を襲う事が今日ここへ来た目的ではないからです」

「では何が目的だというのでしょう?」

「そうですね。あなたの力の底を見ることでしょうか」

「結局、それでは襲い掛かる事と何ら変わらないのではないのかしら?」

「いいえ、あくまでもクーリャ様の力量を見る事が目的。命を奪うつもりは毛頭ありません」

「私の力の底を見る事で何をしようというのです」

 答えが来るとは限らない。けれど、目的があるというならその目的の為に必要な質問にはベルアという人物は答えてくれるのではないか? そんな不思議な確信があった。

 これも何故なのか分からない。喉のすぐそこまで出てきているというのにピースが足りない。

「魔脈の鼓動をご存じですか?」

「魔脈の鼓動?」

「貴方が、その大きな力を扱いきれる人物なのかどうかを知る必要があります」

「話が全く理解できません。魔脈の鼓動とは?」

 聞いたことのない言葉に再び思考は鈍化する。
 判断材料が、情報が余りにも不足しすぎている。

「言葉にせずとも体感できますとも。簡単な事。正々堂々と正面からこのベルアと戦ってくださるだけで結構です」

「……この私を九剣騎士、二の剣、クーリャ・アイスドールと知って本当に正面からやりあうつもりですか?」

 ずるい言い方だと自分でも思う。肩書をひけらかしてあわよくば戦闘を回避したいなどと考えるなんて。
 でも、それほどまでに相手の力の底が見えない。

「ええ、もちろんです。では、勝負を受けていただけると?」

 ベルアが引く様子はない。となれば選択肢は一つ。
 私は覚悟を決めて槍を握り込んだ。

「いいでしょう。このままあなたを倒してその身柄を確保する」

「そうですね。貴方がもし、私に勝てたなら、一切の抵抗はいたしません。お約束しましょう」

 そう言って静かに微笑む声色の表情が妙に胸を焦がす。そうか、私は舐められている。そう自覚する。

 九剣騎士となった自分にこのような態度を取る者はいない。
 だが、今の自分の悩みをそのまま見透かされているような態度に冷静さは徐々に欠けていってしまう。

「大罪人の言う事など信用できませんね」

「構いません。どのみち動けなくなるのは貴方でしょうから」

 どうにも相性が良くない相手のようで、自分の心を見透かされているような気味の悪い気配がまとわりつく。

「……後悔しても遅い、ですからね!!」

 私は槍を構えて、突き出した。
 突きの速度だけならあのディアナをも凌駕するこの私の攻撃。それをまるで何事もなかったかのように体重移動と上半身の揺れだけでバランスを取り軽やかに踊るように紙一重の所で避け続ける仮面のベルア

 鎧の下の身体に一気に脂汗が滲む。無数の突きを受け止め、弾かれることはこれまでにあっても、全て寸での所でかわされるなど、初めてだった。

「どうしました? 顔色が悪いですね。クーリャ・アイスドール」

 無駄な動きが一切ないどころかまだ余裕すらも感じられる。
 確かに九剣騎士を任される者達の中にはその戦闘力だけで選ばれたわけではない者もいる。
 当然ながら国内の騎士達の中には自分達よりも強い者は存在するとは思ってはいた。

 だが、こうして目の当たりにするとにわかには信じられない。いや信じたくなかった。
 かつてみたカレン・エストックとディアナ・シュテルゲン。二人が九剣騎士に選ばれた時の御前試合。

 まだ九剣騎士となる前の自分がみた無意識に追いつけないと感じてしまったほどのかつての距離。
 必死にディアナの強さに食い下がり、ここまできた。ようやくそのディアナの背中も見え始めていたはずだったのに。

「戦闘中に乱れ飛び四散する思考、やはりあなたは、未熟なのですね」

「だまれ!!」

 思わず握り込む槍に力が籠る。いつもの自分に似つかわしくないほどの荒い言葉が口から出る。

「強者を前にして激昂し、冷静さを失う。これもまた未熟である証拠」

「だまれぇええええ!!」

 瞬間、器用に両の手に持った槍の真ん中へと突きが繰り出され、私の腹部に突き刺さる。
 防ぐことはおろか、全く見えなかった。

「ぐっ」

 膝を折り、地面へ崩れ落ちる。槍を突き立ててバランスをとる。
 たったの一突き。
 しかも、自分よりも遥かに早い速度の突きに捉えられた。

 これまでわずかな支えとしていた自らの強みが霞むほどのその速度に、その心ごと身体は地に落ちた。

「クーリャ。貴女は何のために九剣騎士となったのですか? そして、これから何を成そうというのですか?」

「……く、そ」

「視野が狭すぎます。思考も、先ほどの攻撃も。まるで自分自身が見えていない。……あなたは今もまだ、そんな風に自分がお嫌いなのですか?」

「っっ」

 その言葉を前に薄れゆく記憶は紡がれ景色は遠い昔へと瞬時に還る。

『そんなに自分がお嫌いですか?』

『え?』

 遥か昔、騎士を目指すよりも前。親に連れられてきた初めての社交パーティ。
 芸術家である私の家は貴族たちの支援がなければ存続することも難しく、国内でも珍しい氷像彫刻家の家柄であった。
 何代にも渡り、俗世から離れた極度に寒い土地で生活を送り、ただただひたすら日々狂ったように氷像を掘り続けてきた家系。

 アイスドール家が掘る氷像は溶けない氷像として有名だった。永久氷像とも呼ばれ愛好家も多かった。特に珍しいものを屋敷に並べ置きたい貴族達には大層気に入られていた。

 だが、こうして、この日このような場所にいるのは生活の資金が底をつきかけているからだ。
 時代は徐々に変わりゆき、芸術は求められにくくなっていた。
 何代にも渡り作り続け、普及しすぎたアイスドール家の永久氷像はいつしか、珍しいものではなくなってしまっていた事もあるが、何より、興味を持たれることがなくなっていったのだ。

 貴族たちの娯楽としての存在。普通の人々が触れる事のない極度に狭い中で存続し続ける氷像芸術。

 珍しい氷像を気に入り、支援を行ってくれるような貴族を見つける為に、こうして時折、このような場所へとアイスドール家の者達は作り上げた溶けない氷像と共に訪れる。

 本当なら私も、そんな芸術家になる将来が定められている人間だった。

『そんなに、自分がお嫌いですか?』

 再度、投げかけられた過去の言葉。

『大嫌い』

 理由も説明もない。ただ、一言そう答える私が居た。

『そうですか』

 目の前で微笑む誰かは静かに目線を落とした後

『こちらへいらっしゃい』

 そう言うと、私を引き連れ、パーティの喧騒から離れていく、先ほどとは全く異なる静かな広い場所へと私を連れてきた。
 どうして付いてきてしまったのか? 分からない。

『……少し、運動でもしましょうか。私も少しばかりこのパーティに飽きていたところです。身体を動かせば、きっと少しは気が晴れますよ』

 そういうと、彼女は壁に並べられている槍の一つを手渡してきた。
 思い返せば、これが、私と槍との出会いだった。
 
 日頃の鬱憤を晴らすように槍を振り回す。
 楽しかった。槍の先端がヒュンヒュンと音を立てて風を切る。

『……少しは気が紛れましたか? 自分を嫌うという気持ち、忘れられていたのではありませんか?』

『え』

『人は、同じことを繰り返すと飽くものです。常に今の自分では到底手に入らないものへと飢え続ける』

『……』

 難しい話をしているのは分かるが、なんとなく彼女が言わんとしている事は分かった。

『しかし、ひとたびこれまでに触れたことのない何かに触れた時、人は気付く』

『……』

『だから、未知に触れ続けるのです。そして、いつか、誰かに決められた人生から、自ら選び取れる人生を……あなたも』

 どうしてこんな時に朧げな昔の記憶が鮮明に掘り起こされるのだろうか。

『……クーリャ・アイスドールちゃん』

 脳裏をよぎるその声に覚えがある。

「……誰かに決められた人生から、自ら選び取る人生を……」

 私は記憶から掘り起こされたその言葉を呟く。

「……ふふ」

 ベルアは何かを懐かしむように、仮面の下で微笑んでいるようだった。

「貴方は……もしや、ベルアリア・ミルキーノ?」

「……いいえ、私はベルア。貴族であったあの日のベルアリアは既にこの世界にはいない」

 いや、間違いない。そういうことだったのだ。
 私に槍という存在を教えてくれた人。貴族、ベルアリア・ミルキーノ。
 彼女が居なければ騎士の存在などを知る事もなかったし、こうして今、九剣騎士となってもいなかっただろう。

 氷像を掘り、削り、ただただ無心に氷に形を描いていくだけの人生を、送っていただろう。

 当時、槍を持って舞い踊るように振り回す貴族を見るなんて初めてだったが、記憶に強く残っていたのか鮮明に思い出せる。
 一度思い出すほどに、その記憶は引っ張り出され浮かび上がってくる。

「目の前にいるのは、貴族殺しの仮面のベルア。貴族殺しの大罪人、さぁ、どうしますか?」

 私は槍に力を込めて立ち上がる。

 トクントクントクン

 こんな所で、跪いてなどいられない。

 パリパリパリッ

 不思議な音が耳に届く。

 私は、九剣騎士クーリャ・アイスドール

「……おや、ようやく鳴りましたか」

 そう言って視線を落とす彼女の目線を追うと先ほど貫かれた腹部の表層が凍り付き、出血を抑えていた。

「……その力、磨き抜いてください。かつて、幼いあなたが彫り上げていた、あの時の誰の作品よりも美しかった、氷像のように」

 熱に浮かされていた思考が冷めていく。

 凍り付いた腹部に落としていた目線を上げた時には既に目の前から仮面のベルアは忽然と姿を消していた。 


続く

作 新野創
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