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87 ゆめってなぁに

「……そうですか、わかりました。報告ありがとう。下がって結構です」

「はっ」

 西部学園都市ディナカメオスへと向かう道中の村で滞在していた私、クーリャ・アイスドールは部屋を出ていく部下の後ろ姿を眺めて見送る。

 扉が閉まる音が鳴る前には既に目を伏せ視線は床へと落ちていた。

「……アレクサンドロ様が……それにこの箝口令かんこうれいの一報をしてきたのがリーリエさんだとは、あの人がこんな手間のかかる仕事をしてくれるだなんて、にわかには信じられないわね」

 コンコンとノックの音が小さく鳴り、視線をドアへと向ける。

「どうしましたか?」

 ドアを挟んで先ほどとは違う騎士が声をかけてきた。

「ええ、一時的な滞在を聞きつけたらしく、クーリャ様との面会を求める者達がおりまして……」

「それぞれの要件は?」

「直接でないと話せないと貴族の者達は申しております」

「はぁ……わかりました。通しなさい」

「はい」

 トタトタと床が鳴り、外で待つ者達の喧騒が聞こえてくる。

「私は、九剣騎士、クーリャ。私は、九剣騎士」

 自分に言い聞かせるように呟いた。

 自己暗示でもかけなければ、今にでも逃げ出してしまいそうな気持なのだから。

 しばらくして訪れた者達を身分の高い者達から部屋に順番に通して話を聞く。

 貴族達は媚びを売りに張り付けたような笑顔で。

 商人達は商品を売りに張り付けたような笑顔で。

 平民達は苦しい生活への助けを求め、そこに笑顔はなかった。

 これで終わりかと思っていた矢先。

 本来であれば騎士への面会など認められない身分の者達が私の部下へと縋ってきたらしい。

「地域奴隷の子供達?」

「ええ、いかがいたしましょう? 流石にクーリャ様へお目通りが叶うような身分ではありませんので断っているのですが、少々しつこくてですね。いっそこの場で切り捨てておきますか?」

「……」

 考え込む。そのような身分の者は私にどんな用があるというのだろうか?

 
『そうね。最悪、王都さえ守れればどうにでもなる』

『いや、むしろ逆でしょ? 国民がおらずして国が成り立ちはしないもの。国民を守る事が王都を守る事にも繋がるのよ』

「国民おらずして、か。地域奴隷とてそれは同じ。国民であることに相違ないのよね。ディアナ」
 
 学園へと向かう出立の前の九剣会議でディアナに反論された言葉が脳裏に甦り、反響して何度も聞こえる。

 役目の為に、目的の為に、国の為に。
 私は、間違っているのだろうか?
 ディアナが、正しいのだろうか?

 私は、国を守る騎士、カレン・エストックの後釜として、繰り上げられただけの騎士。
 九剣騎士の中で最も相応しくない……いえ、リーリエさんの次に相応しくない騎士。

 ディアナのように秀でた力もなく、サンダールのような秀でた知恵もなく。
 ただ、多方面に均衡が取れているだけの模範的な騎士。
 そうした騎士の一般基準、手本とされているにすぎない。

 かつては、誰もが私に期待してくれた。

 いや、私に期待? 違う。

 そう、カレンのような働きを行える者として期待されていただけ。

 だから、カレンのような立ち居振る舞いで、常にこれまで九剣騎士を務めてきんだもの。

 けれど、クーリャ・アイスドールはいつまでもカレンのようにはなれなかった。
 こうしている今でも、尚。届かないその頂き。

 そう、私は、クーリャ・アイスドールとしての自分の力を期待されていた訳じゃない。

 カレン・エストックが皆へ残した期待、希望。

 それを果たす代行者として、期待だけを引き継がれた存在。

 ズキリと胸が痛む。

 もう、慣れたはずだった痛みなのに。

「……通しなさい」

「え?」

「聞こえなかったのでしょうか? 通しなさい」

「わ、わかりました」

 部屋へ訪れたのはボロボロの服の子供達だった。

「クーリャさま、このたびは、わたしたちのおねがいをききとどけて、こうしておあいくださり、ありがとうございます」

 代表であろう子がぺこりと頭を下げる。出来る限り失礼がないようにとしているのが見て分かる。

 少しばかり、震えているだろうか? それはそうだ。
 私は、誰にも怖がられるような表情で彼女らを見下ろしている。
 カレンのように、振舞わなくては、ならないから。
 
「……それで? 何の御用なのかしら?」

 優しく微笑みかけたつもりだがその微笑に肩をビクリとさせていた。
 睨んでいるつもりはないのだが、どうにも笑顔は苦手だ。
 それに、向こうから会いに来たというのに、全員震えている。

 先ほどの騎士の言葉を思い出す。

 切り捨てておきますか?

 平然と言い放つその言葉。

 これまで違和感があったことなどなかった。

 ただ、なぜだか今は、その言葉が急に酷く恐ろしい事に思えてならない。

 そうか、この子達にとって私達はいつでも自分達の命を奪える存在なんだ。

 しかし、考えれば考えるほどにそんな恐怖の中でどうしてわざわざこんな所までやってきたのかという疑問が沸き起こる。

「あのこれ……」

 恐る恐る子供たちが後ろ手に持っている何かを差し出してきた。

「……花?」

 そこには各々が一輪ずつ摘んできたのだろう。小さな花が握られていた。

「……とってもすごいきしさまがきてるってきいてその……えと、あの、わたしたち」

「とってもすごい騎士……」

 自嘲気味に笑う。
 すごいわけ、ないじゃない。
 誰にでも出来る事を、誰にでも出来るような模範的な事だけしか出来ない私が。

 だが、その次に告げられた言葉に私は衝撃を受ける。

 自分の悩みが介在する余地がないほどに思考は切り替わる。

「わたしたちがこのむらでいきることをゆるしてくださって、ありがとうございます」

 絶句した。というのはこういう時の事を言うのでしょう。

 許し? 今、許しと言ったのか? この子は。

 生きるのに許しをもらっている。と

 誰の?

 私達の?

 彼女らよりも上の身分の者達の?

 考えたこともなかった。
 地域奴隷の身分の存在は知っていた。

 でも、それは上辺だけの情報でしかない。
 実際に会うのは、確かにこれが初めてだった。

 こんな事をわざわざ言うなど、本来ありえない。
 つまり、これは彼女らを生かしてやっているという考えの人間が存在するということだ。
 そして、それをこの子達に伝わるようにしていた者が居るという事に他ならない。
 

 それが、私達のような者達であると?

 私達、騎士も? 貴族も? もしかしたら平民達ですら。

「だから、お礼をしたくて、まいりました」

 すっと手にもつ花を差し出してくる子供達。
 こんなことにお礼を言われる筋合いなどはない。
 私はただ、自分の為に生きてきただけ。
 見知らぬこの子達がこうしてこの村でこれまで生きていた事すら知らなかった人間だ。

「……お前達は、生きていて、つらいことは、ないのか?」

 思わず口をついて出た言葉。
 
 子供たちは顔を見合わせて一度、悲しそうな眼をしたかと思うとそれを隠そうと笑顔を向ける。
 気付かないわけがなかった。これは、私が日頃している冷笑と同じなのだから。
 
 私達、騎士を前にして自分たちの本音など言えるわけがない。
 正直に答えれば自分達がつらいということは伝えられるが、その辛さを押し付けていた者がいるなら尚更言えないだろう。

 その者達に訴えがバレてしまえばタダでは済まない。
 下手をすればここで暮らし続ける事は出来なくなる。
 
 この年齢で既にそうしたことに怯え、考えられるようにされているという事がわかり、私は次の言葉を告げられないでいた。

 代表であろう子がおずおずと口を開く。 
「いきているあいだに、いちどもおあいできないような、すごいきしさまにこうしてひとめおあいできただけで、わたしたちはすごくしあわせです」

 この私に会う事が、幸せだと?

 もっと、あるだろう? ないのか?

 こんな家に住んでみたい。

 こんなものを食べてみたい。

 こんなことがしてみたい。

 他に、この子達に幸せはないのか?

 この子達の日々に幸せがないこと位、表情を見ていれば分かってしまう。
 
 でもそれでも彼女らの安息を願わずにはいられないような感情が胸の中を満たしていく。

 国を守る騎士のはずの自分の胸が締め付けられる。

「……お前達には、夢はあるか?」

 子供たちは再び目を合わせて戸惑っている。

 答えるのがやはり怖いのだろうか?

 そう思っていた私に更なる衝撃が胸を貫いていく。

「きしさま、ゆめというのは、なんでしょうか?」

「っっ……」

 呼吸を忘れるとはこういう時のことをいうのでしょう。

 夢とは何か?

 私は同じ質問を自分の心に問いかける。

『夢って、なんなの?』

 同じ答えが生まれていた。

 私は、傍から見れば夢が叶っている側の人間だ。

 騎士として最高の名誉である九剣騎士の称号を賜ることが出来ているのだから。

 賜った当時は天にも昇る気持ちだった。

 自分が選ばれたのが、魔女との戦いで負傷したカレンの穴埋めであるという噂をこの耳に入れるまでは。

「夢というのは、将来、どんな自分になりたいか? 何をしたいか? という遠い未来に向けた願いだ」

 三度、子供たちは目を見合わせる。将来、未来と言われてもピンとこないのだろうか。
 それはそうだろう。
 私もこの子達の歳くらいの頃は……家業を継ぐだけの人生だと思っていた。

 この子達もそうだ。
 今の身分で一生を終えるものがほとんどだ。
 地域奴隷が騎士の身分になれたという話は双校制度上でも聞いたことがない。

 全て生まれた時から決まっている。

 彼らの人生は。

 それはそうだ。

 知識教養を得る機会もさることながら、食事や栄養などの身体作りを行えるほどの経済的な余裕は地域奴隷にはない。

 圧倒的に置かれている境遇が悪すぎる。

 夢を見ることを許されなかった者達。
 いえ、夢という存在すら誰にも教えられず、与えられなかった者達。
 
 地域奴隷で将来の夢を見つけられた者が居たとしたらそれだけで幸せな事なのかもしれない。

「なら、わたしたちはきしさまのいろんなおはなしをきいてみたいです」

 おずおずとそう言葉にした。

「それが今の貴方達の夢?」

 穢れのないその瞳。本心なのだろう。
 この私と話すことが夢?
 その程度の事が?

 彼女らは僅かに微笑み首を縦にコクリと振って頷く。

『わたしは、いつか、九剣騎士になって……』

 響くいつかの自分の声、言葉。
 
 忘れていた。

 遠い昔にどうして自分が騎士を目指したのか。

 誰もが自分の選択で生きられる国を、作りたかった。

 自分の未来に絶望していたあの頃の自分。
 騎士への道を知ったあの日の希望。
 
「……そうか、では貴方達のその夢、まずは叶えてあげましょう」

 子供たちがその言葉にここへきてから一番表情を明るくした。
 私は思わず微笑み返す。

「すみません。この子達にお茶と菓子を用意してもらえるでしょうか?」

 ドアの外の騎士に向けて声を掛ける。

「え、クーリャ様? 一体何を?」

「この子達としばし歓談する事にしました」

「……いや、しかしこの子達は地域奴隷の身分で……」

「私を訪ねてきたのであれば誰もが皆、私の客。違いますか?」

「はっ、かしこまりました」

 ドアの向こうにいた騎士の足音が遠ざかる。

 少しずつ、腑に落ちる言葉の数々。

 王都内での仕事ばかりで視野が狭まり、凝り固まった考え方になっていたのかもしれない。
 
『いや、むしろ逆でしょ? 国民がおらずして国が成り立ちはしないもの。国民を守る事が王都を守る事にも繋がるのよ』

 ディアナは、一騎士でありながら私の知らない広い視野で物事を見ていたという事なのだろうか?

 確かに、こうして自分が王都の外に出る事はディアナに比べると稀な事だ。

 九剣騎士が全員揃っていた頃は外へ行くのは自分の役目として与えられることはほとんど、なかったものね。

 西部学園都市ディナカメオス。

 懐かしい場所に向かう事になるのも偶然ではないのだろう。

 初心を思い出すには、良かったのかもしれない。
 これも一つの運命だと思える。
 
 王都にいると、未だに嫌でもカレンと比較する声が聞こえてくるのだから。

 でも、そうした声は、突如として消え去る。

 目の前に出てきたお菓子に目を輝かせる子供たちの笑顔によって。

 私は何を守るために、騎士となったのでしょうね。

 自分のプライドを守る為なんかでは、なかったはずなのに。

 
 地域奴隷の子供達との時間の後、私は一人、村を散歩していた。

 このような小さな村に私が寄るというだけで、貴族やこの地域に配属された騎士などがこぞって集まる。

 自身が考えている以上に九剣騎士の称号というのは影響力があるのだろう。

「いつか、その称号に恥じぬ自分になれるだろうか?」

 そろそろ戻るかと宿へ向けて歩き出した。

 夕暮れの光が目に眩しい。

「……九剣騎士シュバルトナインが一人、二の剣セイバーツークーリャ・アイスドール様とお見受けしますが、お間違いないでしょうか?」

 背後からかけられたその静かな声に振り向く。

 柄の両端に槍の穂先のついた見慣れない形の槍を携えた仮面の人影。

 私の身体は僅かに硬直する。相当な手練れであることは、即座に分かった。


続く


作 新野創
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