視点と想像の話

こんばんは。
新野創です。

良くこの話は出ます。
世の中で割と視点を変えれば云々は大事とか言われますが、これは実際にどこまで可能なもの?
という所が最近の疑問です。

人間には想像力があります。
想像の中では空を飛んだりも簡単にできてしまいます。
他の誰かになることも可能でしょう。
凄い事です。

でもそれらは視点の変化とは言えるのか?

想像で相手(何か)の立場に立つこと
視点を変えて相手(何か)の立場に立つこと


これらは似て非なるものかなと思います。

これらはどういうことかというと。

「貴方の前にアップルパイがあります。
この時のアップルパイの気持ちを述べよ。」
という問題があったとして

そんなもんしるかーい
わかるかーい

って普通はなると思います。
ですが、日本人の凄い所としては
そんな中でも何かしらその立場を踏まえた想像で解を書けたりします。
しかし、自由度がある代わりに誰かにとって受け入れらない解を伴います。

実際に視点を変えるというのは
根本的に問題自体の変化も伴うと考えます。
「アップルパイの前に貴方がいます。
この時の貴方の気持ちを述べよ」

と例えばなるわけですね。
ちょっと極端な例ですが。

よく言われる相手の立場に立って考えろというのはまさにここ
想像だけで相手の立場に立てと言われてもわからんもんなのです。

だから、こうして想像だけで相手の立場に立とうとする人たちが現れて、その間に様々な齟齬がでるわけですね。


お客さんと店員さんのトラブルの基本もここにあります。
大体この関係性はお互いに歩み寄りがないから起きるわけです。

店員さんはお客さんがこうしてくれたらいいのに
お客さんは店員さんがこうしてくれたらいいのに

を持っているので、例えば袋に入れてくれというような場面で
お客さん側は無言で袋を出すだけとかはやめて、これに入れてもらっていいですか?と聞いたり

店員さんは面倒くさがらずに、荷物多そうだからこちらで入れた方がスムーズだなと思ったなら袋にお入れしましょうか?

この辺りが実際に視点の大事さかなと思います。

お互いに最良の行動をとろうとするだけでいいのになぜそれが出来ない人が溢れているのか?

それは
相手はこうするべきだよな

とお互いに他力本願になっている
つまり想像だけで相手の立場になっているのが問題です。

勿論、想像は使いどころなどにもよると思いますが、想像だけではなくてそこに実際の視点ともいうべき考えを加えるだけで一気に見えるものが明確になります。

ここまで来てふと思いますけど
相手の立場になって考えるのはあくまでも自分が相手という存在になるわけではないということ。
想像はあくまでも想像でしかないということ
が見えてきます。

ということは視点を変えるとはただの思い遣りを持つとかの類なのではないか?

とも言える気がしてきます。

なんだかむじゅかしい話になってきましたので赤ちゃんの立場になろうと思います。ばぶぅ

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そんな思い遣りの重なる物語
誰かが誰かを思い続けていくことで紡がれていく

原案 声プラ
作 小泉太良

「天蓋のジャスティスケール」

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視点と想像をポイントにして物語を楽しんでもらえたら嬉しいです。
作品の中であれば想像の自由という視点はより自由度を増していきますよね。

現実から逃避、、、いやいや!!!!! そうじゃない!!!!!
えーと、んーと、あ、、、そう!!!! 想像への直面、、、そうこれ!!

天蓋の世界に想像で直面しよう!!!

これも視点の違い!!!

と半ば強引に収めていこうと思います。


ジョンソンヴィル(大きなウインナー)残5本←不必要な情報


新野創









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