Seventh memory 08
「……アカネ……落ち着いた?」
アカネが泣き止むまで側にいたイアードがぽつりと呟く。
「あたし……ナールさんに酷いこと言っちゃった……」
「あぁ……ナールも酷いが、アカネも良くない事を言った……」
「……もう、ナールさんとは会えなくなっちゃうの、かなぁ?……これがもし最後になってしまったらあたし、嫌だよ……」
「最後……か……」
最後という言葉を聞いて、イアードは空を仰ぐ。
いつもの彼女らしからぬ表情でぽつりぽつりと語り掛ける。
「なぁ……アカネ……あんたは、この世界の他にもうひとつ世界があるとしたら、どう、思う?」
「えっ……?」
突拍子もないイアードの問いかけにアカネは困った表情を浮かべていた。
「ごめんよ。いきなり変な話を始めて……でも、聞いて欲しい。その世界はさ、こことは違ってて、生きるのにただただ必死で、笑っている人なんて一人もいない……そんな世界……」
どこか遠くの方を見ながら、寂しげに目を細める。アカネは、イアードのそんな真剣な表情にただ耳を傾けていた。
「毎日、誰かが戦っていて、そして……誰かが死んでいく。そして、死んじゃった人は綺麗な石になるの……こんな風にね」
そう言って、イアードはポケットから綺麗な緑色の石を取り出し、アカネに見せた。
アカネはその石をじっと見つめていた。
何か特別な何かを感じるその石にアカネの心がざわついていた。
「綺麗……でしょ?」
「……うんっ」
「これ……あたしなんだ……」
イアードの言葉が飲み込めずアカネは思わず『えっ……』と小さく息が漏れた。
自分が見せられている目の前の綺麗な石がイアード本人である……そんな冗談のような話のはずが、アカネは何故かその言葉は真実であるように錯覚する。
先ほど感じた心のざわつき、それがいつかイアードがいなくなってしまう予感だとしたら?……途端に大きな不安がアカネの心を覆い尽くしていく。
「それ、どういうーー」
イアードは先程の真面目な表情から一点、いつもの彼女のような無邪気な笑顔を浮かべた。
「いーっしっしし、なーんてね! そんなわけないじゃん!! これ、家の近くで拾ったの! きれいでしょ~」
「えっ……?」
「もう、だめだよ~アカネ。そんなんじゃ、すーぐ、悪い人に騙されちゃうよ。少しは、疑うことも覚えなきゃあ」
そう言った彼女に対してアカネは先程のナールと同じく怒りを覚えた。自分が本当に心配した気持ちを彼女は笑ったのだ。
いつもの冷静なアカネであればイアードの態度の違和感に気づくはずだった。
しかし、先ほどのナールへの怒りで冷静さを欠いていた彼女はその違和感を見逃してしまった。
「イアード!!」
「いっしっし、でも……そこが、アカネの良いところ!! 自分のためでなくて、ちゃんと誰かのために怒るその優しさがアカネの1番の魅力だよっ!」
イアードは、怒りを露わにしたアカネに対して、眩しいくらいにキラキラした笑顔を向ける。
「……もー!! 知らない!!」
「ごめん、ごめん、怒んないでよ~アカネ~」
……気のせいだとアカネは思うことにした。自分を宥めようと頭を撫でてくれていたイアードの髪の毛の隙間から覗いた首筋。
彼女が見せてくれた綺麗な石のような物を視界が捉えたことを……見ていないふりをした。
「もうっ……しょうがないから許してあげる」
「いっしっしっし、やっぱアカネは優しいね」
「でも……」
イアードに対して笑顔を浮かべていたアカネの表情が一瞬で曇った。
その表情の変化に、イアードも真面目な表情を浮かべる。
「どうした……?」
「ナールさんは……あたしを許してくれる、でしょうか……」
「……」
「……やっぱり、今すぐナールさんに謝ってーー」
駆け出そうとするアカネの手をイアードが掴んで止める。
「やめときな……今のナールには何言ったって無駄さ。あいつもきっと頭を冷やしている頃だろうからね」
「でも……じゃあーー」
「ふふっ、良い方法、教えたげる」
「良い方法?」
「ナールの好物、知ってる?」
アカネはそのイアードの問いに首をフルフルと横に振った。
イアードはバスケットからサンドイッチを一つ取り出しアカネの前に見せる。
「サンド……イッチ?」
「違うよ。このサンドイッチは何のサンドイッチだい?」
「リンゴだよね」
そこまで言って、イアードが左手の指で小さな丸を作る。
「正解。あいつはね、リンゴが好きなんだ。特にリンゴのクッキーがね」
「リンゴの……クッキー?」
初めてアカネがナールと出会った時、自分が持ってきたサンドイッチを酷評したナールが唯一、笑顔で褒めていたシスターが作ったリンゴのソースであった。
「あぁ、ナールのやつ、甘いものは好きじゃないのに、リンゴのクッキーだけは目の色変えて飛びつくんだ。それも子供みたいに、な……」
確かにクッキーであるのなら、作るのは簡単だし、シスターに教えて貰えれば作れるかも知れない……しかし、ナールはアカネの作ったものに対して、一度もまだ美味しいとは言った事はなかった。
「リンゴのクッキー食ってる時、すげぇ嬉しそうな顔するんだよ。あいつ……んっ? どした? アカネ」
「……仲直り……できる、かな?」
アカネが泣きそうになる表情を必死で堪えてイアードに尋ねる。
イアードはそんなアカネの頭を撫で、優しい笑顔を浮かべた。
「大丈夫。ナールは、何があったって絶対にアカネのことが好きでいてくれるよ」
それはイアードの本心からの言葉であった。アカネはイアードのその言葉を聞き、再び、大きく声を上げて泣いたのだった。
そして、翌日……。
今は会いたくないと拒否するナールの手をイアードは無理やり引っ張り、いつもの待ち合わせ場所へと向かっていく。
「やめろ、イアード、昨日の今日だ、彼女はいないかもしれないだろ?」
「いなかったら戻れば良い、そうじゃないかい? ナール」
「……今日の君は、いつも以上に強引だな。何か、企んでいるのか?」
「さぁあね? あたしは、ただ、今日も大事な友達に、会いたい、それだけさ」
文句を言うナールの手を引き、前へ前へとイアードは歩いていく。
「なら、君一人でーー」
ナールが言いかけたその瞬間、待ち合わせ場所にはいつも通りにアカネの姿があった。
「あっ、アカネ……さん……」
「……ナール……さん」
お互いがお互いを見つめ、そのまま固まってしまう。そんな、ナールの肩を勢いよくイアードが押す。
「ほら、あんたも言いたいことあるんじゃないのかい?」
「……」
ゆっくりゆっくりとアカネの方へとナールが歩いていく。
やがて目の前までたどり着き、何かをナールが言葉にしようとするが上手く言葉にならなかった。
「あっ、あのーー」
「これっ!!」
バスケットをアカネが目の前に差し出す。それは、いつも彼女が持ってきているものよりも少し小さめのものだった。
ナールは、何も言わずにそのバスケットを受け取り、中を開ける。
そこには、形は歪で決して綺麗とはいえないものの、香ばしいバターと甘いリンゴの香りがするクッキーが入っていた。
「これ……は……」
「ごめんなさい! あたし……ナールさんに酷いこと言ってしまって……」
アカネが深く頭を下げたことで、ナール自身もアタフタしてしまう。
「いや……あれは、僕も悪くてーー」
「食べてください! 形はイマイチかも知れませんけど、一生懸命、一生懸命作りました。ナールさんの好きな、リンゴのクッキーです!!」
アカネのその言葉を聞き、ナールはバスケットから一つクッキーを取り出した
「……いた、だきます……」
「どうぞ」
口に入れると、少し硬めのクッキーが口の中でカリッという音を鳴らし、周囲に響かせた。ナールはごくりと喉を鳴らした。
「いかが……ですか?」
「……美味しいです……今まで食べた中で1番」
その言葉を聞いて、アカネはナールに思わず抱きつき涙を流した。
ナールもそんなアカネを抱きしめ、二人して涙していた。
互いにごめんごめんと謝罪の言葉を口にしながら、泣き続けていた。
「いっしっしっし、良かったな。2人とも仲直りできて」
そう言って2人の姿を見てイアードはいつものように、いや、いつも以上に嬉しそうに笑顔を浮かべるのだった。
続く
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