Third memory 09(Yachiyo)
「久しぶり、っていうのもおかしい、かな?」
アカネさんが、そう言って小さく笑う。
「……体、平気なの?」
「うん、今は大丈夫……あのね、ヤチヨちゃんに聞いてほしいことがあるの、いい?」
「…………うん」
返事もせず、聞かなければ、永遠にこの時が進まないじゃないかって…… いつまでも、こうしていられるんじゃないかって……でも、それは時間が許してくれない事だって、アカネさんの目があたしに伝えていた。
「あたしね、多分、もうすぐ消えちゃうの……ゴメンね、約束破っちゃって」
聞こえないふりをしたかったのに、その言葉はあたしの耳に、しっかりと刻まれる。
頭の中でママが消えてしまった光景を思い出す。
その瞬間、アカネさんとママが重なって。
また、いなくなってしまうんだって恐怖心で涙が溢れた。
「嫌だ……あたし……あたし……」
嗚咽をもらし、涙が次々に溢れる。
音が、空間が、あたしの中で闇に飲み込まれていく、そんな絶望感を感じた。
すべてが一つずつ消えていって、わからなくなっていく。
声も……存在も……闇に落ちて――
「大丈夫。ヤチヨちゃんは、ここにいるよ」
アカネさんの声が、体が、あたしを精一杯、抱きしめてくれていた。
でも、その温もりに、昔みたいな強くはなく、弱くて消えそうなくらいにか細いものだった。
きっと、怖かったんだと思う。
アカネさんの姿は、月明かりに照らされて透けて見えていた。
「アカネさん、どこ行っちゃうの?」
「どこ、だろうね、あたしにもわからないや」
アカネさんが、そう言って困ったように笑った。その表情が今日見たナールさんの表情と重なる。
優しい嘘をつくときにする顔。
「どうして行っちゃうの? どうして、あたしやサロスを置いて行っちゃうの? あたしたちのこと嫌いに―――」
「なるわけないでしょ!!」
アカネさんの聞いたことのない大きな声に驚く、同時にアカネさんの目から涙が溢れるのが見えた。
「あたしだって、行きたくなんかない! このまま、ずっとずっとみんなで一緒にいたい!! これから、もっともっと大きくなっていくふたりをずっと見ていたい!!! ……離れたくなんかないよ………」
大粒の涙が、次々にあたしに降りそそぐ。温かい、こんなに温かいのに……。
あたしは、アカネさんの温もりが消えないようにギュッと握りしめる。
「……ねぇ、あたしの最後のお願い聞いてくれる?」
「うん……」
今度は、力強く答える。もう、迷いはなかった。
「ありがとう、ヤチヨ」
アカネさんが、あたしからゆっくりと体を離して、あたしの目を見て噛みしめるように言葉を口にする。
「もし、あたしがいなくなっちゃったらサロスのことお願いできる?」
「サロスのこと?」
「そう、あの子は明るくて元気で強そうに見えるけど、本当はとても弱い子。誰かがそばにいて一緒にいるよって伝えてあげないとダメになっちゃう」
アカネさんは、こんな時でもサロスのことを心配していた。
二人に本当の意味での血の繋がりはない。
サロスは、そんなの関係ないって言っていたけど……アカネさんは、ずっと気にしていたんだと思う。
ただ、あたしから見れば二人は羨ましいくらい立派な親子だ。
「アカネさん、サロスは大丈夫。アカネさんが心配するほどサロスは弱くないよ」
「ヤチヨちゃん……うん、そうだね。そう、だよね!」
アカネさんが、少しだけ嬉しそうにほほ笑む。
「でも、もし、もしも、サロスが一人で立てないときはあたしが助ける。あの日、森で一人迷子になって泣いていたあたしを助けてくれたサロスのように」
今度は、あたしが手を伸ばす。
アカネさんやみんなに強さをもらってあの頃よりきっと、強くなれたから。
「そう……じゃあ、その時はよろしくね。ヤチヨちゃん」
「うん! 任せて!!」
アカネさんが、また一つ涙をこぼして、笑う。
「ヤチヨちゃんは強いね。あたしよりもずっとーー」
「そんなことない!! あたしは、アカネさんのこと世界で一番尊敬してるから!!」
「あたしを?」
アカネさんが、不思議そうな顔を浮かべる。
だって……あたしにとってアカネさんは……
いつも明るく元気で、ニコニコ笑っていて……本気で怒ったり、あたしやサロスが泣いてるときは痛いくらい強く抱きしめて、いつまでもいつまでも一緒にいてくれる。
その一つ一つすべてがあたしの憧れだし、そうなりたいと思っている。
「アカネさんは、あたしのもう一人のママだよ」
あたしはアカネさんににっこりと小さく微笑む
「そっか……いつの間にか娘までいたんだ……」
アカネさんは、そう言ってあたしを抱きしめた。
もう、涙は零さなかった。
だって、泣いたら、アカネさんがまた心配してしまうから。
でも、そんなあたしの精一杯の強がりは、アカネさんにはお見通しだった。
そっと、アカネさんがあたしの背中に手を置いてゆっくりと撫でる。
その、優しい手の温もりを感じた途端、あたしの小さな小さなダムは簡単に決壊して抑えていた涙が次々に零れてきた。
「ふぇっ、えーん」
「よしよし、強がらなくていいんだからね。ヤチヨは少し我慢強すぎるから……だから、たまには思いっきり泣いて、喚いて、空っぽになるまで吐き出しな。じゃないと、ヤチヨが壊れちゃうよ」
アカネさんに頭を撫でられ、手のひらの温もりを感じつつあたしは思いっきり泣いた。
「ヤチヨ、サロスのことは任せたけどあたしはヤチヨも同じくらいに心配なんだよ」
「大丈夫! アカネさん、あたしのことは心配しないで」
あたしは、そう言って泣き腫らした目のままニッと笑って見せた。
「うん」
アカネさんはそう言って優しい笑みを返してくれる。
あたしはこれ以上ここにいるとまた泣いてしまいそうで……アカネさんからゆっくりと離れた。
「おやすみなさい! アカネさん!!」
あたしは、そう言って逃げるように部屋を飛び出した――――
――――次の日、アカネさんは一枚の置手紙だけを残してどこかへ消えてしまった。
外は、雨が降っていた。
枯れたはずだったあたしの涙はその日も一日中、止まることはなかった。
続く
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