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69 天才少女の魔女核

 地に倒れ、天を仰いだまま少女は目を瞑る。
 ひんやりと背中に感じる土の冷たさ、荒い呼吸の中で鼻腔に漂う香り。
 汚れる青いリボンは彼女の心を表すようにくしゃりと自らの頭と地面の間に押し潰されている。

 倒れるほど自らの肉体から力が失われている。ということは、この魔法陣が未だ発動していない事はおかしい。いつまでも効果が顕われない。

 そう、この場所を覆う壁を無効化して消し去る事が出来るはずだった魔法陣。それが発動せず未だに何も起きない。

「……やっぱりダメ。どれだけ魔力を込めても何も起きてくれない。私の魔脈は確かに、鼓動をしているのに」

 ゆっくりと瞼を開くショコリー。その時、視界に入る空に黒い点が入り込んできた。

「……え?……なに、あれは? ……いけない。嫌な気配だわ」

 曇天灰色のキャンバスから降り注ぎ、一滴落ちた黒い染みのような塊が降り落ちてくる。ドチャッと地面をたたく音と共に水たまりのように弾けたそれはぞろぞろと蠢いて再び一つの塊へと戻り、人のような姿を形作る。

「……不思議な力を感じて寄ってみれば、お前は、ショコリー。ふふ、実に運がいい」

 ショコリーは力を振り絞り後ろへ飛び退いて、声の主から距離を取る。見てはいけない物を思わず見てしまった。そんな嫌悪感が背筋に走る。

「何!?」

「この姿では初めまして、だったか」

「その声は!?……間違いない。リオルグ先生ね……やはり、貴方だったわけね。概ね予想通りと言ったところではあるけど」

「そうか、予想通りか? では、君は私がこのような事を起こすのを以前から予測していたと?」

「ええ、、、そのくらい当然だわ」

「ほう、であるならば、私がこうなる前に止めればよかったんじゃないのか? どうして邪魔をしなかったんだ?」

 リオルグはニタリと歪んだような表情と声でショコリーを見下ろす。彼女の巨大な頭のリボンが心の動揺を表すように揺れる。

「……それは」

 ショコリーの様子を眺めてリオルグが突然笑い出し、更に言葉を続ける。

「ふふふ、あはははははは、知っているぞ。お前は封印の力は行使出来ないんだろう? 『あの方』から聞いている」

 ショコリーの肩がかすかに一瞬、揺れる。

「お前がどうやら魔女の魂の結晶と言われる魔女核を受け継いでいるらしいと……だが、こうも言っていたなぁ……『欠陥品』」

 ビクリとショコリーの身体が大きく跳ねた後、小刻みに震えだす。

「お前は『魔女』へと至ることは決して出来ないらしい。だから、恐るるに足りぬと」

「……るさい」

 ショコリーはリオルグの言葉に俯き、歯を食いしばる。どこかでその現実を認めたくない気持ちと認めざるを得ない二つの気持ちがせめぎ合っていた。

それを第三者から明確に無理だといきなり突きつけられその気持ちの天秤は傾く。

 自分はあの憧れたベルティーンのようには、きっとなれない。
 自分はあの憧れたベルティーンのように、きっとなってみせる。

 きっと、なれない。

『これから起きる全ての危険から、貴女は助けてあげる事が出来るの?』

 薄れた記憶の中、チョウチョがサナギに掴まって這い出てくる。がんばれと言いながら食い入るようにそれを見つめるショコリー。
 チョウチョの背後へと迫る危険。助けようとした自分にかけられた言葉を思い出す。

 もう少しで飛び立てる。

 チョウチョはその直後に背後から迫った別の虫に食べられてしまう。泣きじゃくるショコリーに対して、ベルティーンは優しくも厳しい声で問いかける。

 その時、投げかけられた幾つもの言葉をなぜこんな時に思い出すのか。

 幼すぎて曖昧だったはずの記憶がなぜこんなにも鮮明に浮かぶのか。

『そうね、もう少し飛び立つのが早ければ、助かったのにね』

 もう少し、早ければ?

 ああ、そうか。今の私もあの時のチョウチョと同じってことなの? 

 飛び立つ前にここで、死んじゃうってことなの?

 とショコリーは思い至る。

 『だから、手を貸すという事、助けるという事は、簡単にやってしまってはいけないの』

 きっと、この状況はあの時のチョウチョと同じ。他の誰も助けてはくれない。
 だったら自分自身で最後まであがく。それならまだ、してもいいってことじゃないの? ショコリーは心の中で自分に問いかける。

『最後に決めるのは、貴女自身よ、ショコリー』

 リオルグをキッと睨みつけて、手にぎゅっと力を込める。

「どうした? これから訪れる死への恐怖で身体が震えているのか?」

「うるさいッッ!!! 私は!!! まだ諦めない!!!」

 咄嗟に魔法陣に突き刺さっていた杖剣を抜き去り、リオルグへと飛び掛かった。

「ふん、先ほどのプーラートンの剣技、動きと比べれば児戯だな。これほどまでに消耗しきった私でもお前を消すくらいは何ら問題なさそうだ」

「はあああああっ」

 ガキィッという硬質な音と共に弾き飛ばされるショコリーの小さな身体。空中で器用にくるりと身をひるがえし着地するがよろめき疲労した体力に足元がたたらを踏む。

「く、、きれ、ない?」

「大分、この身体に馴染んできたようだナァ。その程度の練度でしか振れない剣では最早この身体、斬ることなどできない」

 じりじりとショコリーへと距離を詰めていく。

「くっ」

「……当初、最後の魔女ベルティーンが残した魔女核という『絶望』は我々の大きな障害となると予言されていた」

 リオルグの言葉にショコリーの形相がみるみる怒りへと変わっていく。

 ただ、その怒りを相手にぶつける為の力が足りず涙が零れる。唇を噛む。悔しさを否定し、証明するだけの力が今のショコリーにはない。
 でも、それでも、言葉だけでも否定せずにはいられなかった。

「……残した絶望? 違う、違う違う!! 違うわっ!!! ベル様が残してくれたのは絶望なんかじゃない!!!!」

 リオルグは激昂するショコリーをあざ笑うかのように話し続ける。

「魔女の最後のあがきだったのだろうな。だが、その場に居たのがお前というのは皮肉なものだ。お前など見捨てて自分が生き残ってさえいれば、遥か昔に施された『かの封印』は未だに健在であったろうに」

 ショコリーの身体が再びカタカタ震える。うまく口を開けない。
 
「……ど、う、いう、意味?」

「『かの封印』の力が弱まることで進められる次のフェーズへ向けた計画。これはお前のせい、いや、違うな。お前のおかげで早まったんだ」

「えっ」

「お前が正統に魔女核の持つ力を行使出来ていたならば、あと数十年は計画が遅れていたらしい。なのにいつになってもその魔女から受け継いだ力とやらが行使された気配はない」

「……私が、魔法を使えない、から?」

「……そうか、やはり、そもそも使えない、のか」

「ッ…………」

 リオルグはニタリと笑みを作る。

「くくく、今回はプーラートンだけを始末する予定だったが、お前が魔法を本当に使えないとなれば話は変わるな。ここでついでにお前も消しておくとしよう」

 ショコリーは遂に奮い立てた心も意気消沈してしゃがみ込む。気力も体力も既に限界だった。

「喜べ。欠陥品。このリオルグがお前を魔女達のいる場所へと送ってやろう。死ね」

 直後、リオルグの複数の触手がショコリーの元へと勢いよく襲い掛かる。眼前に迫ってくるその攻撃の激しさに目を瞑る。身体はもう素早く動かすことが出来ない。

「……ベル、さま……ごめんなさい、ごめんなさい。何もできなくて、ごめん、なさい」

 唇を悔しさで噛み込みながら呟いた震える声は、またもや誰にも届かないままかと思われた。

『ショコリー、私の愛しい子。生きなさい。抗う事の出来ない死が訪れるまで。生き続けなさい。貴女を私の運命に巻き込んでしまって、ごめんなさい』

 記憶だけが、記憶の中のその声だけが、彼女の声に返答するように響いた。

「謝らないでベル様、、、そうだ、今でもベル様はきっと私の事を、信じ続けてくれているはずなのに、なのにわたしは」

『でも、貴女なら、きっと』

「ここじゃない。抗う事が出来ない私の死が訪れるのは、今じゃない!!!! まだ、私は動ける!!! 生きてる!!! だから、抗うの!!!! 終わってなんかない!!!!!」

 振り絞った最後の気持ちを沸き立たせ無理やり身体を動かす。カッと目を見開いて震える手で杖剣を構え叫ぶ

「「やぁあああああっっ」」

 凛と響く大きな叫び声がショコリーの声と重なり合うようにして耳に届く。彼女の視界に入ってきたのは風に靡く銀色の髪だった。
 美しいその髪がゆらりと波打って輝きながら目の前に躍り出て、ショコリーに襲い掛かる触手たちを切り捨てていく。

「……ティルス、会長?」

 チラリとショコリーを一瞥する。

「大丈夫? ショコリー・スウニャ」

 次に震える事になったのはリオルグの方だった。ここに他の者が辿り着けるハズなどない。それほどまでに多くの怪物達を各区域で放っていたのだから。

「ティルス・ラティリア!? 生徒会長であるお前がなぜここに!! この区域に大量に放った怪物(モンスター)たちはどうした!?」

 リオルグは驚愕する。

(モンスター? なるほど、あの異形の怪物達の事かしらね?)
 ティルスはそう推測してリオルグを睨みつける。

「気を付けてティルス。あの怪物はリオルグ先生、今回の事態を引き起こした張本人」
「なっ!? あれがリオルグ先生ですって? それに、こんなことを起こしたのも?」

 リオルグはどうするべきか思案しているようだった。

「ち、お前にだけは手を出すなと言われているというのに、面倒だな」

「ほう、訳ありか」

 ティルスの後ろから黒いフードの男が歩いて現れる。途端にリオルグの様子がおかしく変貌する。

「ひィ、し、死神!? お前がどうして!?」

「リオルグ。よくもここまで俺に気付かれずに学園内の根回しをしたものだ。流石に手が回り切らなかった。が、ここに来たのは運が悪かったな」

「くそ、イレギュラー。お前達はあの方にも全く読めないイレギュラーな存在!! 何が目的だ!!」

 優位に立っていたはずのリオルグが狼狽して後ずさる。

「おいおい、取り乱すな。それはこちらの台詞だろう? 何が目的だ? 人型のゴジェヌスの存在などこれまで聞いたことがない。お前には色々と聞きたいことがある」

 黒いフードの男が一歩リオルグへと詰め寄る。

「ふひ、素直に答えるとでも?」

 リオルグはジリと後退する。

「既に瀕死の状態のお前に何が出来る」

 リオルグの動きがぴたりと止まる。

「っ、瀕死だと、なぜ分かる?」

「俺達は元々ゴジェヌスを滅するのが目的の存在だ。お前達の力の限界は見えるように出来ている。とはいえ、こうして貴様らゴジェヌスと会話ができるというのは初めての事だが」

 リオルグは周囲に視線を配りニタリと笑った。

「くくく……分が悪いか、が、当初の目的は成った。魔女核の継魂者が魔法を使えない確証も得た。潮時よ」

 そう言い捨て突然リオルグは触手を地を叩きつけるようにして飛び上がりこの場から逃げようとした。

「チッ、頭を使えるゴジェヌスというのは厄介極まりないな」

 フードの男は挑発すれば相手がかかってくると踏んでいたのだろう。迷いもせず逃げる判断をした相手に自分の予想を裏切られ舌打ちをする。

「これ以上の戦果を求めれば危険だ。今回はこれで終わりにさせてもらう」

 黒いフードの男はティルスに向き直り叫んだ。

「ティルス!! 頼む!! 奴を逃がすな!!」

 銀の髪の少女は僅かに頷いて低く膝を折り曲げた。

 ショコリーの前に立っていた少女が短い助走の後で飛び上がりリオルグの身体よりも高く跳び上がる。雲間から差し込んだ陽光を背にした髪がキラキラと光る。

「エニュラウス流、鏡天割地(ミラフォリチア)」

 ティルスは身体を捻じるようにきりもみ回転する勢いを滑るような姿勢制御で腕に伝え、リオルグの頭上から全力で剣を叩き下ろした。

「ガッッッ」

 リオルグの巨体が地面へと突き刺さるように落ちていく。

 地面は鏡が割れるように幾何学的なヒビを生み出しながらドゴォっと破裂し土煙を上げる。

「な、に、まだこれほどの剣の使い手が!? まて、バカな。ティルス・ラティリア、お前の得意武器は確か槍のはずでは!?」

「お生憎様ですが、得意な武器という話でしたら、私は、全て、ですので」

「な、他の武器を使っているところなど、これまでに見たこともないぞ」

「そうですわね。少なくともリオルグ先生の授業内容では剣を使う必要はなかったんですもの」

「しかもエニュラウス流、、、プーラートンの流派だと!? ようやく苦労してプーラートンを殺せたというのに忌々しい流派だ」

「……殺した? あなたが? プーラトン先生を?」

 ティルスは血の気が下がるような思いがした。にわかには信じられない。あの人が誰かに負ける姿などまるで想像が出来なかったからだ。

「嘘よっ!!」

「本当だとも、先ほど俺の攻撃で出血し、血だまりに倒れ伏してやつは死んだ」

「動揺するなティルス! まだそうと決まったわけじゃない」

 リオルグが好機とばかり捲し立てて話す言葉に黒いフードの男が割り込む。

「大丈夫だ。まだプーラートンの騎士核(ナイトコア)が消えた気配はない。彼女は必ず生きている」

 聞き慣れない言葉に引っ掛かりを覚えるも必ず生きているという黒いフードの男の言葉をティルスは信じることにした。

 先ほど助けられた事で生まれていた信用がこの言葉を信じさせた。

「で、あれば目の前の敵を倒してすぐに助けに向かわねばなりませんわね」

「ああ」

 ティルスが静かに剣を地面に突き刺して手を胸の前で合わせた。偶然にもその場所はショコリーが魔法陣を描いていた場所だ。

 ショコリーはそれを見て、ゴクリと喉を鳴らした。

 ティルスの剣が突き立てられた瞬間、自分の描いた魔方陣が強く光を放ち始めショコリーの鼓動が大きく跳ねたのだった。


続く


作 新野創
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