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104 胸元のおまもり

『ねぇ、アニス何してんの? おえかき?』

 あたしはひょこっと何かをしているアニスの背後から飛び出して声を掛ける。
 集中しているのか手元の視線を外さず、シスターであるダリア様が手に入れてくれた貴重な紙とインク、そして、ペンという物を使って一生懸命、文字を書いていた。

『えへへ、おてがみかいてるの』

 おて、がみ? 
 シスターによると文字を書くというのは、アニスくらいの歳で出来るという子はそう多くないらしい。
 当然あたしも当時は字の読み書きはまだ出来なかったものだから心底驚いていた事を今でも覚えている。

『ええええ、アニスは字が書けるの!?』

 とんでもなく間抜けな顔であんぐりと口を開けて、さぞかし不細工な表情をしていただろうと思う。

『昔のおうちで毎日べんきょうしてたんだぁ』

 昔のおうち。そうアニスは言っていた。
 そっか、確かにアニスはある時シスターが引き取った新しい子だった。あたしみたいに最初からこの場所にいた訳じゃなかったな。

『一体誰に書いてるの??』

 お手紙という物がどういうものか。
 シスターから教えてもらったことがあったあたしはなんだかワクワクして想像していた。
 この時、もしあたしが字を書けていたとしても、それを出す相手がいなかったから。

 手紙という物に込められる不思議な力を知らなかった。

 それは時を越えて、その人の想いを、願いを、そして、その日々を書き記し自分以外の誰かに届け伝えられるもの。

『おにいちゃん』

『へぇ、アニス。お兄ちゃんがいるんだ~』

 何気なく聞いたその話。本当の兄妹かぁ、いいなぁそういうの。なんて思ったりした気がする。

 ふとアニスを見ると心なしか表情が陰りを帯び、ぎゅっとペンを強く握り締めていた。

『いつか迎えにくるっておにいちゃんが言ってくれたから、アニスね、頑張れるの』

 笑顔の中に不安が入り混じる、そんな顔だった。

 あたしが守ってあげなくちゃ、そのお兄ちゃんが迎えにくるその日まで。

 貴族の子達にいじめられていつも傷だらけのアニス 孤児院で過ごしている私達はいつも村の貴族や平民の子供たちの標的にされていた。

 私は孤児院の皆をいつも守ろうと必死だった。

 ここで一番長く過ごしているお姉ちゃんだったあたしがみんなを守るんだって、そう思っていた。

『ねぇ、なんて書いてるのか教えてよ』

 少しいたずらっぽい顔であたしが擦り寄ると手紙に覆い被さるようにしてアニスはその手紙を隠してニッコリと微笑んだ

『だめー、何を書いてるかは秘密なの~、おにいちゃんだけのおてがみなの』

 会ったこともないそのお兄ちゃんという存在にこの時、初めて嫉妬したんだっけなぁ。
 あたしといる時もアニスはいつも笑顔で居てくれていたけど、あたしに向けたことのないその顔。何かが違うその笑顔に、ちょっとだけムスッとしちゃった。

『そうなんだ。ざんねーん』

 ぺろりと舌を出して頭の後ろで手を組んで拗ねたような声で言った時、僅かにアニスの表情が再び曇った。
 
『ちゃんと、とどいてるかなぁ』

 あたしはそんな顔をアニスにさせたくなくて、気休めの言葉かもしれないけどその時、こう言ったんだ。

『大丈夫だよ』

 一体に何が、大丈夫なんだろうね。
 根拠も理由もなかったただの薄っぺらな励まし。

『ぜんぶ読んでくれてたらうれしいなぁ』

 ぽつりと呟かれた言葉であたしは初めて気付いた。
 この孤児院に誰かからの手紙が届いている所なんて、これまでほとんど見たことがない。

 見たことが、なかったんだ。

『お返事、きてないの?』

 下唇をぐっと噛みしめるアニス。

『うん、最初のおてがみだけ』

 そういって、顔を伏せるアニスは傍に置いてあった1枚の手紙を大事そうに両手で抱えて胸に抱く。

 きっとそれが唯一届いた手紙なのだろう。

 大事そうに抱きしめた後、小さなおまもりにそっと小さく折りこみ、しまい込んで首から下げた。

『大丈夫、大丈夫だよ。きっと読んでくれてるって!』

 記憶の中のあたしはなんて無責任な言葉を投げかけているんだろうか。
 それでも、この時のあたしにはこう言ってあげることしか出来なかった。

 そう言うと、アニスはぱぁっとおひさまのように明るい顔で笑ってくれたよね。
 あたしの言葉を疑いもせず信じてくれて。
 素直で純粋な本当に愛おしい、あたしにとって大切な、血の繋がらない妹。

『うんっ』

 大好きだったあの眩しい笑顔が思い出される。

 こんなこと久しぶりだ。

 いつからか最後の別れの日に起きた悲しい出来事しか思い出せなくなっていたから。

 でも、どうして今になって。

 何かが引っかかり始める。

 記憶の中の「何か」があたしの心に絡みついて離れない。

 ちょっと待って。

 おにい、ちゃん?

 アニスにはお兄ちゃんがいたんだっけ

 あれ、おにいちゃんって

 え

 突然意識は現実へと痛みで引き戻され、眼前に迫るフェレーロの表情に心を鷲掴みにされるように心臓がドクンと跳ねた。

 記憶の中のアニスの面影がその視線と不意に重なる。

 え、そんな

 こんなことって、あり得るの?

 額から流れた汗が頬を伝い、血と混ざりゆく。

「はあああああああああああああああ」

「ぅくっっ!?」

 アニスの声が何度も頭に響く。

『おにいちゃん』

 まさか

 そんな偶然あるわけ

「しねぇええミレディア!!!」

 フェレーロの鋭い回し蹴りが直撃する。

「がっは」

 蹴り飛ばされて地面に土煙を上げて転がり倒れ仰向けになる。口の中が切れて血の味がする。

 ドクドクと土へと流れる血。頭から血が抜けたからか頭がクリアになっていくような感覚が生まれ、思考は回り続ける。

 そのジクジクとした痛みは表面上の傷だけじゃない。

 一度、思考に浮かんだその一つの答えは更に解けない謎へ絡んで心までもが傷を負う。

 この広大な国の中でこんな偶然がありえるの?

 けど、もしそうなのだとしたら目の前の彼の行動が全て繋がり腑に落ちていく。

 彼との接点は学園以外では存在しなかった。

 でも、アニスというその存在。

 あたしと彼を唯一繋ぐその名前。

 それだけで根拠は十分なように思えた。

 これは、あの日の罰なのかもしれない。

 あたしがあの日に受けるべきだった罰。

 巡り巡って、こうなる為に今日まであたしは生かされてきたんじゃないんだろうか。

 このままフェレーロの手によって、あたしはここで。

 ここで抵抗もせず、あの槍に込められた想いに応え、貫かれるべきなんじゃないだろうか。

 今の彼の表情を見たら、避ける事なんてもう、出来そうにない。

 出来ないよ。

 辛かったよね。

 苦しかったよね。

 どんな想いで今日までアンタはここで過ごしてきたの?

 考えただけで胸が張り裂けそうになる。

 あたしは何も知らずに、これまでの学園生活の中できっと沢山フェレーロを傷つけていたんだろう。

「はぁはぁはぁ」

 倒れ込んだあたしの元へ来るフェレーロ。見下ろされるその表情に強く胸が締め付けられる。
 どこで彼がアニスの死を知ったのかは知らない。
 フェレーロはあたしがアニスを殺したと思ってる。
 直接的ではないにせよそれは事実だ。
 
 アニスからの手紙が届かなくなったから?

 そうじゃない、今はそれを知った経緯なんてどうでもいいんだ。

 フェレーロは本気だ。本気であたしに槍を突き立てるつもりでいる。
 命を奪う気でいる。
 
 これはあたしが受け入れなきゃいけない事なんだと心が理解し始める。

 そうしている間にも徐々に槍はあたしの身体を捉えていく。

 痛いよ。でも、こんな痛み、あの時のアニスの痛みに比べればなんてことない。
 だって、あたしはまだ生きているんだもの。

 うん、これでいい。

 フェレーロが本当にアニスのお兄ちゃんだというなら。

 これは、これだけはフェレーロに渡さなくちゃ。

 ふと、ずっと過ごしてきたシュレイドとメルティナの事も頭をよぎる。

 シュレイド、メル、ごめんね。

 でも、あの日、自分が死んでいたと思えば、今日までの日々はとても幸せなものであったと心の底から言えるだろう。

 ありがとう。そして、やっぱり、ごめん。

 何も言わずにいなくなっちゃうあたしを許してほしい。

 フェレーロに自分の命を奪われる前に、これだけは彼に渡さなくちゃいけない。

 そう思い、震える手で自らの首にかかる紐を掴み、その先に付けられている小さなおまもりを胸元から手繰り寄せた。


『ミレディ』

 グラノ様があの事件の後、すぐに根回しをしてくださったおかげで孤児院にはこれまで以上の平穏がすぐに訪れていた。

 そして、この場所との別れが明日に迫っていた。

 一つ決めていたことはもうグラノ様には伝えていた。
 自分を連れて行って欲しいという事。

 最後まで出ていく日の事はこの人に言えていなかった。
 なんならこのまま黙って出ていくつもりでさえいた。

 だって、あたしはこの場所に迷惑しかかけてこなかったんだもの。

 けど、その晩の事だった。

『ダリアさま』

 あたしの後ろからそっとあたしを抱き締めた後、ダリア様はあたしの手に何かを握らせた。

『これを』

 その頃のあたしの手には大きいと感じたおまもり。
 いつからか小さく感じるようになっていたおまもり。

『これは、アニスがいつも大事にしてた』

 悲しげに微笑みながらダリア様は優しく柔らかな声で言った。

『ええ、貴女が持っていなさい』

 ゆっくりと両の手であたしの指を包み込むようにしておまもりを握らせてくれた。

『でも』

『いいの。きっと、アニスも喜ぶわ』

 小さな手で握ったそのおまもりにはまだアニスの温もりが残っているような気がして、あたしはそのままダリア様に抱きついた。

『ごめんなさい、ごめんなさいダリアさま、あたしあだし』

 ダリア様はもう一度強くあたしを抱きしめた。

『あなたのせいじゃないのよミレディ、わかっているわ』

 物心ついた時からあたしを育ててくれたダリア様。
 あたしの母代わりだった人。
 全てはこの人への恩に報いる為。

 弟や妹たちを守ろうとしたのもダリア様の負担を少しでも減らそうとした事からだ。
 結果的には、そのせいでこんなにも悲しい思いをさせて迷惑までかけてしまった。
 

『ミレディ』

 あたしの涙を指で拭って、少しだけ厳しい顔をした。

『はい』

『グラノ様についていくそうね』

 これは勝手に自分で決めた事だった。
 ダリア様はあたしの決意に気付いていた。

『……黙っていて、ごめんなさい』

『いいのよ。ただ、これだけは覚えておいて』

 ダリア様は真剣な瞳であたしを見つめる。

『ミレディ、生きている貴方には幸せになる権利があるの』

『はい』

『これからの人生は自分の為に生きなさい。この先、何が起きたとしても』

 その時の言葉の持つ意味をあたしは理解しきれなかった。大切な言葉である事だけは痛いほどに伝わった。

『そして、辛くなったらいつでも戻ってきなさい。ここは貴女の家でもあるのですから』

 そして、いつものように優しい笑みを浮かべて頭を撫でてくれた。

『はい』

『身体に気を付けるのよ』

『はい』

『貴女が大きくなって戻ってきたときに……いえ、今はやめておきましょう』

『?』

『さ、今日はもう寝なさい。明日は早いのでしょう?』

『はい、おやすみなさい。ダリア様』

『ええ、おやすみなさい、ミレディ』

 
 あの時、受け取ったおまもりを胸元から取り出して握り込む。

 いつのまにか小さくなったおまもり。

 アニスの形見であるおまもり。

 今度はあたしから、フェレーロに渡さなくちゃ。

 届けなくちゃいけない。

 そんな気がしたんだ。

 きっとアニスも、それを望んでいるはずだから。


 つづく


新野創■――――――――――――――――――――――――――――――■

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