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Fifth memory (Philia) 07

 母さんがいなくなってから数日後、父さんは自警団を辞めてしまい何もせず、家でただただお酒を飲み続けていた。

 兄さんのことはあれからよくわからない、家に帰ってくることもほとんどなく、どこで何をしているのか僕にはわからなかった。

 そして、僕自身も、そんな二人に気を回すことも出来ず、泣くことも、怒ることも、笑うこともなく、ただそこにいるだけの空っぽな存在だった。

 ヤチヨやサロスは今、どうしているんだろう?

 ふと頭に浮かんだのは、二人の顔だった。

 でも、やがて、その二人のことですらどうでも良くなってしまう。

 いや、何も考えたくなかっただけかもしれない。  

 この時の僕には、何もない。

 母さんを失い、僕の世界は完全に終わりを告げていたのかも知れない。

 ……なんだかひどく眠い……もうこのままいっそーー。

「フィリア!! 大丈夫?」

 家の扉が勢い良く開いた音がしたかと思うと、ヨウコ先生が僕の方へと駆けこんできた。

「フィリア!!! 待ってて今……っつ!!」

「んっ? だれ、だーー」

 父さんはゆっくりと顔を上げて誰が来たのかを確認すると、問題ないとばかりに再び酒を飲んでいた。

「このっ! 馬鹿!! 何してるのよ!! あんたは!!」

 ヨウコ先生の声が部屋に響く、父さんを叱っているようだった。

「あんたが! あんたがそんなんじゃ!! メノウが可哀そうよ!!!」

「メノウ……」

 メノウ……母さんの名前……。

「そうよ! このっ馬鹿!! あんたにはまだナールも、フィリアだっているのよ!!」

「フィリア、ナール……」

 そうだ……僕は母さんに頼まれたじゃないか、父さんと兄さんをーー。

「あんたが、しっかりしなかったら、あの子たちはどうなっちゃうのよ!!」

 父さんが顔を上げる。
 
 その顔は憔悴しきっていて、あの厳しかった父さんの面影はどこにも感じられない。

 グラスを持つ手が小さく震えている。

「だが、俺はーー」

 そんな父さんを見て、母さんの言葉をもう一度思い出す。

 父さん兄さんは、僕がなんとかしなきゃ。

 だから、僕は、僕だけはこのままじゃーー。

「あんたは! あの子たちまで失うつもりなの? あんたとメノウの宝物を、あんた自身のせいで!!」

「……ヨウコ」

「メノウが愛したあんたは……そんな弱い人間じゃない……そうでしょ?」

「……俺は、決して、強い人間なんかじゃ、ない。あいつが、あいつが、傍に居てくれたから、俺は……」

「だとしても!! あなたは!! あなたは父親なのよ!!!」

「はっ!!!!!!! うっ……うぅ……」

 父さんが泣いていた。母さんが死んだ時も、泣いてはいなかったのに……。

 泣いている父さんを初めて見た瞬間だった。

「ねぇ? フィリア」

 ふと、顔を上げると優しい顔をしたヨウコ先生がいた。

「……先生……僕は大丈夫です! 父さんや兄さんの分も僕がーー」

 ヨウコ先生は、小さく笑うとそのまま僕を抱きしめた。

「えっ?」
「フィリア、あなたは強い子ね……本当、メノウそっくり……」
「せん、せい?」
「でもね、今のあなたは泣くべきなの。泣いて、泣いて、受け入れないといけないの。だって、そうでなきゃ、壊れてしまうから……」

 トントンと二回、ヨウコ先生が赤ん坊を癒すように僕の背中を優しく叩く。

「幼いあなたには酷なことだとは思うわ。でもね、きっと乗り越えられる……だって、メノウの最後を逃げずにあなたは一人で看取ったのだから」

「ぼっ、ぼく、僕は……うっ、うわぁぁぁぁぁ!!!」

 僕は抱かれたまま泣き叫んだ。
 
 その日、改めて、母さんがいなくなったことを受け入れることが出来た。  

 先生は何も言わず、僕が泣き止むまで、強く強く抱きしめてくれていた。

 それは、どこか母さんの温もりに似ていて、でも、母さんとは違う、温かさだった。

 父さんは、ヨウコ先生の言葉をきっかけに、少しづつまた自警団とは別の仕事をするようになった。

 ただ、帰ってきてからは、相変わらずお酒を飲んではぼーっとして、声をかければ、小さく反応はしてくれるが、表情を変えてくれることはなかった。  

 元々、静かな人ではあったけど、こんなに表情に乏しい人ではなかったはずなのに……。

 そんな生活が続き、僕が学院に入学する前日、兄さんが珍しく家に帰ってきた。

「兄さん!? 今までどこにいたのさ!! 僕、ずっと心配してーー」
「父さんは?」
「えっ? 今日は、遅くなるって……」
「自分の責任を投げ出しておいて……呑気なもんだな……」
「兄、さん」

 久々にあった兄は、僕の知っている兄さんではなかった。
 まるで別人のようで笑顔を浮かべることもなく、僕を見る目もどこか冷たかった。

「お前は明日から、学院か?」

 テーブルに置かれていた書類を目にしながら兄さんが話しかけてきた。

「えっ!?」
「しっかりと学ぶんだぞ……お前もいずれは自警団に入団する宿命なんだからな……」

 そう言うと、兄さんは僕に背を向けた。

「母さんのこと、すまないと思っている……だから、俺は、もうこの家には戻らない……」


「えっ……」


「俺のことは心配するな。お前に色々と押し付けてしまうが……父さんのことは……任せた……」


「兄さん!!!」


「フィリア……元気でな」

 そう言った兄さんの笑顔はどこか寂しそうだった。

 兄さんを追いかけ外に出た僕が見たのは、知らない大人の人たちだった。

 その人たちは兄さんを待っていたようで、短く兄さんと会話をするとそのまま兄さんと連れ立って去っていった。

 しばらく、僕は放心してそれを眺めていたが、今日のやり取りで一つだけ確実なことがあった。

 兄さんは、もう昔の兄さんではないということ。その姿が、なぜか昔の自警団の頃の父さんに良く似ていたこと。

 いったい……兄さんに何があったのだろう?

 その日はなかなか、寝付くことが出来なかった。


 もやもやを抱えたまま朝を迎え、入学式を終える。
 決められている自分の席へ座った僕が、斜め前を見るとそこには見知った後ろ姿が目に入った。間違えるはずなんてない。 僕は迷わず声を掛けた。

「……ヤチヨ」
「え? あ、れ? え、もしかして、フィリア?」
「本当に! 本当にヤチヨなんだね!!!」

 ヤチヨとの突然の再会に、思わず僕たちは驚きの声を上げた。

 なんだか久しぶりに僕はこの時、笑っていた気がする。これまでのもやもやが嘘だったかのように心に晴れ間が顔を出す。

 あの頃より伸びた紫の髪と、少しだけ大人の顔つきにはなっていたが、見間違えるはずはない。

 今、僕の前にいるのは、ヤチヨだ。

「久しぶり、フィリア」
「うん、久し、ぶりだね……」

 久々過ぎて、お互いの会話もどこか少しだけぎこちなかった。

「元気だった? フィリア」
「うん、ヤチヨは?」
「あたしも、元気、かな?」

 ヤチヨはそう言って、小さく僕に笑顔を見せてくれた。ただ、その笑顔に妙な引っ掛かりを覚える。

「良かった。そういうば、サロスは? 別のクラス?」
「あー……その、実は、ね……」

 何かあったんだろうことはすぐに察した。ヤチヨは口ごもっていたが、やがて僕と遊ばなくなってからこれまでの……ヤチヨとサロスに何があったのかを話してくれた。

 そして、知ったのだ、サロスたちの前からアカネさんというサロスのお母さんのような人が突然、消えてしまったこと。

 サロスはその日以来、家に閉じこもってしまい。立ち直れてはいないらしい。

 僕にとってのあの時のヨウコ先生みたいな存在が、サロス、君には居なかったのだろうか? 
 そして、今、ヤチヨは、教会を出て、父親と二人で暮らしているらしい。

「そう、だったんだ」
「うんっ、何度も教会には行ったんだけどね、会ってもくれなくて……」
「そっ、か……」

 ヤチヨがぐっと口を引き絞ってスカートの裾を強く握り締めているのが分かる。
 何とかしてあげたいけど、どうにもできないという悔しさが彼女の全身から滲みだしていた。

 ヤチヨと僕の間に、再び気まずい空気が流れ、お互いの口が重くなる。

「……」

「ヤチ……!!」

 僕の言葉を遮るように、始業を告げる鐘が大きく鳴る。

「あっ、授業、始まっちゃうね」

 ヤチヨがそう言って無理矢理の笑顔を浮かべる。

 ……僕なら、ヤチヨにこんな顔させないのに……一体何をやっているんだサロス……

 そんな気持ちを抱え、僕はその日一日を過ごした。

 時間はあっという間に過ぎていき、終業を告げる鐘がなると、ヤチヨはカバンを持って立ち上がった。

「じゃあね、フィリア」

 そう言って、ヤチヨは僕にまた無理矢理作った笑顔を向ける。

 そんなヤチヨを見て、僕は思わずヤチヨの左手を掴んだ

「フィリア?」

 ゆっくりと手を離し、何も考えず引き留めたは良いが言葉が出てこない。

「そのっ……これから勝負しない?」

「勝負?」

 突拍子のないことだと今は思えるが、僕がようやく口にできたのはこれが精一杯だった。

「その……昔、みたいにさ……なんだっていい! なんでもいいから勝負を……」

「アハハ」

 ヤチヨは、僕の発言を聞いて急に笑い出した。

「!!! ヤチヨ?」


「うーん……勝負は、イヤかな」


「そっか……」


「でも!」

 ヤチヨが僕の目の前まで顔を近づけて、ニッと笑う。

「普通に遊ぶんならいいよ!!」

 その笑顔はヤチヨの嘘、偽りのない、本物の笑顔だった。  

 あぁ、そうだ、この笑顔だ。僕の見たかったヤチヨの笑顔はーー。

「えっ、あっーー」


「じゃあ、何して遊ぼうか? フィリア?」

 ヤチヨが僕の右手を掴んで引っ張り、教室を飛び出す。  

 幸せだった。ずっと、ずっと、この時間が続けばいいと思った。

 でも、それと同時に、ここにいない……サロスのこともずっと心の片隅に引っかかっていた。

 それはきっと、ヤチヨも同じで……でも、そのことを僕の方から言い出すことはできなかった。

 だって、ヤチヨは何も言わなかったから……。

 ヤチヨと二人だけの時間を過ごすようになって、しばらく経ったその日。

 雨の中、僕の家に、ヤチヨが傘もささずにやってきた。


続く

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