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107 素振りの音

 シュレイドは自分の部屋である場所へと辿り着いた。
 
 入学した生徒達は2人で1つの部屋に住むようになっている。
 中に共有の広いスペースがあり、大きな部屋の中にそれぞれ各個室が2つあるような間取りとなっていた。

 ドアノブを捻ると鍵は開いていた。
 扉を開けて中へと入るとソファーに座っている人影に気付く。

 部屋に入ってきたシュレイドとフェレーロの視線が交差する。
  
 入学したあの時と全く違う表情と佇まいで座っているフェレーロとシュレイドの間には沈黙が流れる。
 フェレ―ロが明るくシュレイドがげんなりするほどに話しかけてきた頃が随分と昔のように感じられていた。

 シュレイドは何も言わずに目の前のもう一つのソファーに腰を下ろした。

 最後に会話をしたのはオースリーのあの事件の当日の朝。
 しばらく話はおろかこの共有部分で鉢合わせになる事もなくなっていた。

「フェレーロ」
「シュレイド」

 ほぼ同時にお互いの名前を呼ぶ。シュレイドは頼まれた伝言を伝える事にした。二人の間に何があったのかまでは彼には分からない。

 ただ、これまでの学園生活での時間の中でフェレーロが自分の過ごす時間の中にも少なからず居たことは事実だ。
 初めての男友達だといつの間にかシュレイドはフェレーロの事を思っていた。
 
 オースリーの直前で交わした会話が鮮明に思い出される。

『お前、ここをどこだと思ってるんだよー、騎士になる為の双校制度内の学園なんだぞ。死ぬことだってあるのは分かってるだろ』

(俺はそれを分かってなかった。お前の言葉を全く実感できていなかった)

『自分が相手を死なせるかもしれないって事とか、自分がどうにもできない状況で大切な人間が死ぬかもしれないってことまで、お前はまるで考えてないんだな』

(その通りだ。まるで考えてなかったよ。自分の事だけしか見えてなかった)

『お前の手の届かない所で、このオースリーが終わって気が付いたら、居なくなってる人間が沢山いるかもしれないってことさ』

(もし戦いの中でメルティナやミレディアがゼアのようになってしまっていたとしたら俺は)

 ミレディアを見つけた時には気が動転した。それまで歩きながら道中に悩んでいた事が一瞬で吹き飛び、一目散に駆け寄った。
 傷だらけの姿にあの時のゼアの姿が重なり、青ざめる。
 判断するよりも早く身体が動いていた。全力でミレディアを抱えて走り出したほどだ。

 オースリーの前のフェレーロの言葉の真意が今は分かる。
 彼のあの時の言葉が今は更に胸に強い痛みをシュレイドへ連れてくる。

『同室の友達のよしみだ。最後に一つ、お前に忠告してやるよ』
『殺す気でやらなきゃ、お前が死ぬ』

 この時のフェレーロがどんな気持ちでその言葉を伝えてきたのかが分かる。
 ゼアもそうだった。
 シュレイドを殺す気で戦わなければ、自分が生き残れないのだと。目指す道をこのまま前へと進むことが出来なくなってしまう。そう思っていたのだろう。

『けど、今日は、学園内は戦場になるんだぜ』

 初めての戦場だった。誰かが死ぬ。それが騎士になる為の戦いであることをシュレイドは知った。

『どんだけ純粋なんだよほんと……普通に出会っていたら、お前が英雄の孫なんかじゃなくてよぉ……俺にも……果たすべき目的さえ、なかったら……俺達いい友達になれたんじゃねぇかなかって、普通に思ってたんだぜ』

「友達、か」

 ぽつりと口から零れたシュレイドの言葉。

 まだ何もかもが終わる訳じゃない。だけど自分の事ばかりに気を取られてまた大切なものを失う所だった自分に気付く。
 学園で出来た初めての友人。目の前のフェレーロだって今の自分にとっては学園に来てから出来た大切な存在。

 ミレディアとフェレーロの二人の間に何があったかを知る必要はなかった。

「フェレーロ、ミレディアからの伝言だ」

「……ミレディアから?」

 ピクリと肩を震わせた彼は次の言葉を待っている。

「今度また、ゆっくり話そうって」

 フェレーロの目が見開かれる。

 言葉は、なかった。

「……」

「もうケリは付いたんだろ? 頼まれてたことは伝えたからな」

 そう言ってシュレイドはソファから立ち上がり部屋へと向かおうとする。

「シュレイド……お前は知ってたのか?」

「何を? 知らないに決まってるだろ」

「おまえ」

「俺から言える事は一つだけだ」

「許してくれるのか?」

「許すも何も、俺は何もされてない。ただ、次にまたミレディアを傷つけることがあれば、お前がいくら友達だとしても絶対に許さないからな」

「とも、だち」

「少なくとも俺は、そう思っているよ」

 再び沈黙が部屋を包み込む。小さく開いたフェレーロの部屋のドアの隙間から風の鳴る音がする。
 フェレーロはふっと息を小さく吐き出した。

「俺も、そう思っていいのか」

「ほどほどの絡みにしてくれるならな」

 フェレーロは一見優しさのないその返答にシュレイドの気遣いがあることを理解しておどけてみせた。

「それはどうかな~、俺ってば寂しがり屋じゃん? 構ってもらえないとすっげぇ拗ねちゃうかもよぉ」

「なら一生拗ねてろよ」

「ひでぇなぁ、俺とお前の仲じゃねぇか~」

「まだそこまで仲良くはないだろって」

「ひでぇ」

「俺はお前の事を、いや何もかもまだ全然知らないから」

「……」

 これまでにしてきた自分の仲間たちが目の前のシュレイドにしたことを知っているフェレーロは申し訳なさそうに頭を下げた。
 ただ、それをシュレイドに説明する事も出来なかった。
 仲間達もまた、今のフェレーロには無視できない存在であるからだ。
 自分たちが任された仕事を放棄し、感情に任せて自分勝手な行動をしてしまっていた。

 きっと迷惑をかけている事だろう事は容易に想像が出来る。
 けど、今はもう当初の目的を果たすことも、歩みを共にすることもフェレーロには出来そうにない。 
 かといって彼らの目的を害するような行為をしたいわけでもない。
 彼の中では、それとこれとはまた話が別であった。

「……シュレイド、本当にすまなかった」

「だから何のことだよ。謝るならミレディアに言ってくれ」

「俺はお前を……」

「俺が間を取り持つから、一緒にいこう」

 言葉を遮られたフェレーロは大きく頷いた。

「ああ……頼む」

「さ、休もう、フェレーロも疲れてるだろ?」

 想像以上にフェレーロが疲弊していることをシュレイドは部屋に入った段階で気付いていた。オースリー直後の自分が重なるように見えた。

「ああ、そうだな。また明日な。おやすみ」

「おやすみ」

 フェレーロは憑き物が落ちたような表情で小さく笑むとソファーから立ち上がり、テーブルの上に置いてあったおまもりを大事そうに掴んで自分の部屋へと戻っていった。
 

 自分の部屋に戻ったシュレイドは着替えを済ませると剣身が抜けないように留め具で鞘に固定されたばかりの剣を掴んで再び外へと向かった。
 
 一日で沢山の事がありすぎてもう何から考えればいいのか分からない。

 かといってすぐには寝れそうにもない。

 こんな時だからこそ、今迷いの最中にある何かを振り払うように。心の赴くままに無心で剣を振る事にした。

 そう、これしか出来ない。
 幸か不幸か、悩みに直面した時の他の対処方法など彼は知らなかった。

 結局、何が起きたとしても剣がいつも助けてくれた。
 
 気持ちが伝わる訳でも、慰めてくれるわけでもない。

 ただただ、そこにあるのみ。
 
 外へと出て、柄を握り締めて剣を振り上げたままピタリと止まる。

 脱力するように剣を鞘に入ったままで振り下ろして止める。いつもよりもブレが大きい。
 振り切った後も綺麗に制止ができない。
 
 この状態で剣を振る事などこれまで一度もなかったから当然だろう。
 
 剣を振る度に入学してから幾度となく見ていた人影が頭をチラつく。

 彼は一体何度、剣を振ったのだろう。

 ゼアの学園での日々に思いを馳せる。

 騎士になる為に、どんな想いで振り続けたのだろう。

 何を目指して、振り切ったのだろう。

 ただ自由に振る事だけで楽しかった自分の剣は間違っているのか。

 アンヘルに言われた事も同時に重なり合って頭に響いてくる。

 そして、祖父の声までもが記憶の中で蘇る。

『いつか、剣を振る事が辛くなったその時は、何のために剣を振るうのか、そのことだけを考えなさい』

 何のために。
 今の自分が剣を振らなければならない理由。
 その理由だけは今日の出来事で気が付いていた。

『メルティナとミレディアを絶対に死なせたくない』

 振り切った鞘付きの剣がビュンと風を切る音を携えて鳴り響く。

 ゼアの動きを思い出すように、記憶の中にある彼の積み上げた何かを掴み取るように。

 刻まれたゼアの剣舞を自らの動きでなぞる。

 ただただ、ひたすらにシュレイドはそれを模倣し続けた。


つづく

新野創■――――――――――――――――――――――――――――――■

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