外の世界と自分の世界

こういう活動をしていると
各地で社会活動をしていたり、議員さんとして活動されている方と
ご縁をいただくことが多いのですが

最近、ちょっとだけしんどくなっていて

なぜかというと
わたしがこういうことをしている理由は
ただ、自分たちの暮らしがより良くなるためなんです。

大きく、自分と実際に縁してない人のことや
遠く離れた世界の人を救うためでもないんです

わたしの大切な人の暮らしが
少しでも良いものとなるため

だから、医療でなんでもそうですが
良くなるんならなんだっていいんです

縁あった人たちが、今よりも少しでも良くなるなら
そのきっかけやエッセンスを渡せるような
入口の人、コンシェルジュでいたいとおもっています。

そのための、ドラえもんポケットの中身を増やしている感じ

人と会うことも、いろんな場所に行くことも
学ぶことも、遊ぶことも
全部その一環

だからこそ、自分の状態を常に良くしておきたいし
いつも一歩先に踏み出していくこととか
常に新しい自分でいたいとおもっています。

先週あった友人たち
「自分自身が最高のパワースポットで、一番。だからいつもご機嫌でいることが縁あった人たちへの貢献」
って毎日同じ言葉を違う人から聞いて

そうだよなと納得。

わたしの周りは自分で自分の機嫌をとりつつ
見ている世界は自分で決めていることも
自分の人生は自分でしかハンドル握れないことも

ちゃんと知ってて実践している人ばかり

そんなこと恥ずかしくて、おこがましくて言えないよとか
何いっちゃってんの?とか
あるかもしれないけれど

みている世界の主人公も監督もプロデューサーも
ぜーーんぶ自分

そういう気持ちでやってる活動に
あなたはこうすべきとか
他の人から見たら、とか

正直どうでもいい

私たちが声を届けているはずの市政や県政に携わっている人たちから
そういう言葉を聞いたり

自分が不利益になるようなことは
発言しなくていいとか

あなたの意見は間違ってる!と
そうなった背景を共有し合うことなく
一方的に話をされることへの絶望感はあって

わたしや友人、仲間がしている活動に
乗っかってくることはいい

乗っかっていいことがあるなら乗ったらいいと思っている
名前を売るためでも、利用するでもしたらいい

その人がそうなってしまった歴史があるのだろうから

外に課題を見つけて解決していくときに
自分の中のそれと照らし合わせて取り組むか
無視して取り組むかで
結果は変わるだろうし
いつまでも見た目が違うだけで
本質の課題は変わらないまんまだと思っています。

何にでも反対すればいいんじゃない
反対にも賛成にも理由はあるのだろうけど

反対を掲げている人は重箱の隅をつつくように
いろんなことを引っ張ってきて理由をつけるけど

賛成!は理由は一つのことが多いですよね。
ぶれない感じがするから
周りからすると共感しやすいイメージです

わたしも、もっとわかりやすくしていこうと思っています。
こんな人はやだって線引きしたくはないけれど

自分の環境を守るためにも区別することは
今後していくかもしれないなと感じているこの頃です。




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