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生きているぼくは、もう少し笑顔を増やそう。(舞台感想:AVANCE)

「死を悼む」ということをやるときに、お気持ちをSNSで表明するのが好きじゃありません。

なぜなら、どんなに辛くとも、それをポンっとネットの海に放ったが最後、悼みを「消費」させてしまう気がするから。

心にいついかなる時も穴は空きますが、せめて人の居なくなった穴くらいは手の届く範囲のなかで、埋めていきたい。
ネットとはあらゆる可能性だからこそ、「放つ」と「留める」は用心深く精査していきたいのです。

今日は、友人の死を悼み、いまを生き、舞台に立ち踊っていた人達のことについて書こうと思います。
受付をちょっと手伝って、久しぶりに舞台を見てきました。


ゆきさんを今ぼくが友人と呼べるのは、ゆきさんがぼくのことを、きっと友人として接してくれたからです。当時自分の倍ほどの年齢でしたし、あり得ないくらい、迷惑をかけましたが、ゆきさんのぼくへの対応は朗らかで、上から目線などかけらもありませんでした。
関係性をどう言おう、と思った時、友人、かな、と思えたのはゆきさんがゆきさんだったからです。

パンフレットを読むと、ぼくよりもっと親しかった方々は、ゆきさんの誕生日には毎回集まって祝っているらしい。命日じゃなく誕生日なのが、素敵やなぁと思います。
それで3回忌の日、かつていつもゆきさんの隣に立ち手腕をふるっていたぴろりんさんは、ゆきさんの立ち上げた舞台『Voice Project』をもう一度やろう、踊ろうと決意したそうです。

過去7回行われた『Voice Project』(ぼくは2回参加したことがあります)の中からゆきさん作品のリバイバルを基盤に、新作も少し、それも海の向こうからも届けられていた公演でした。

フライヤーをみてみます。

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鮮やかな(ぼくの写真だと伝わらないけど)黄色のバック。彼女のもつラテン系の底抜けに明るいエネルギーの象徴でしょうか。様々な衣装や稽古着を着た姿をボーダー状に切り合わせ、疾走感、躍動感、タイトルの「前進」の感じ、時の流れ、切なさ、
どんな風に考えてデザインしたのかな、と想像します。身内による身内びいきかもしれないけど、いいデザイン。

正直、この「故人を偲ぶようなコンセプトの舞台」をみて自分がどう感じるか、予想ができませんでした。
しかし、幕があいて数分も過ぎたころ、まず受け取ってありがとうと思えたのは、
生きている人達のエネルギー。

そりゃね。そうだよね。

出演されている方々はだいたい昔一緒に踊っていたひとで、7、8年ぶりに見るわけです。ほとんど歳上の方々で、50代の方もいます。いまも現役でちゃんと仕事で踊られている方々です。

まず、見た目の変わってなさにびっくり。そして、発しているオーラ(踊って見えるその人の特色みたいなもの)の変わってなさにも口あんぐりでした。

こんなこというと怒られそうですが、昔一緒にいたころよりも、さらに身体のあちこちが痛んだり、動ける体をキープするのにも大変な苦労をしているはずです。そしてもちろん、若いころの方が身体はシャープに動くわけです。

舞台上であたためられていく、深くやさしくふくよかな空気をみながら、自分の20歳くらいのころ、ギョンギョンに身体を効かせて、浅はかな踊りをしていた自分を思い出していました。

そして時が過ぎ、何もかも変わってしまったような今のこの世界で、たくさんの変化があったであろうダンサーの皆さまは、あの頃と変わらないオーラを、あの頃よりふくよかであたたかく踊っていらっしゃいました。

何もかも変わっていく世の中で、変わらない何かを表現する彼らは、きっと身体も、心のうちも、変わっているはずです。それでも、あの日一緒にいたあの人を想い、痛み、また悼むために集まり、時間と身体を費やした彼らは。

生み出している。
人間ごときがなんやかやしたところで、1ミリも変わらない何かすごいもの、嬉しいもの、ここちよいものを、空気中に生み出しているように見えたのです。

実際の気持ちや苦労やその時なに考えて踊ってるかや、そんなのはわかりませんよ。
舞台とは、勝手に伝えてきて、勝手に受け取る勝手なコミュニケーションです。
それがいいのです。
半分は自分の鏡であり、精神のバロメーターでもあります。

もっというと舞台の良いところとは、そこそこ厚いぼくのATフィールド(最近序破Qみました)でさえ無効化してすり抜けてくるところです。
そこそこ長く舞台でダンスをやっていたからかもしれません。そこだけ感受性が発達してしまったのかもな。

さらに、最後に3つの新作。
ここまでもすごくよかったけど、この新作たちがまた本当によかった。

これまで立ちのぼらせてきたゆきさんのオモカゲを、一気に具体化するような一作、
なにより彼女の側でずっと一緒に踊っていたVazquezの、信じられないくらい愛と哀悼のこもったビデオ作品、

ここまでで、ぼくは勝手に舞台のやや上空にゆきさんが見えていました。踊りが依り代となって、魂を立ちあがらせてくれていたのです。

極めつけはラストのJonathan Huor作品。
彼の愛が吹き込まれたかのような風船が海を越えてバトンされ、舞台上にもちこまれます。パステルカラーに身を包んだダンサーたちは、アコースティックな『over the rainbow』に乗せて、なんとも愛おしく儚い笑顔で、楽しそうに踊っているのです。

ぼくは、いまいち落としきれていない感情を整理してもらいたがっていたし、もう一度一緒に死を悼む気持ちでこの席に座ったんだと思う。たぶんそう。

だけど、そうだよな。
笑っててほしいだろうなゆきさんは。
Voiceだって、そういう気持ちで始めたんだもんな。

そんな月並みなことだけど、なんていうのかなぁ
直接渡されるのと感覚がちがって、自分のなかでそれが生まれるというか、気付ける。

それがまたいいんだよなぁ。
ありがとうなぁ。ありがとう。

と、3回目くらいの落涙しながらぼうっとなっていました。

風船は、作品のラストと、カーテンコールの2回、空に贈られました。
勝手に受け取れ!て感じですが、ぼくの気持ちも持ってってくれと、その空気に念じました。

勝手なコミュニケーションだからね。

うん。もうちょっと、笑顔を増やして生きていけるように生きていこう。

(いまちょっと少なすぎるわ・・・)

と反省した帰り道でした。


月並みなメッセージ。幸せに生きるためにやるべきことなどだいたいわかっています。
一つは、笑顔でいること。

そんな月並みの強度を高めてくれるのは、いつもだれかの生き様、ですね。

そんな、月食の日。

皆様、お疲れ様でした。ありがとうございました。
お身体ゆっくり休めてください。


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