「何者かになりましょう」という圧力

うちは6歳と3歳の子供がいるんですが、子育て論について。

昨日書いた記事に関して、似たようなことを奥さんと話をしたんです。

最近、妻がとあるオンラインサロンに入って、ブログだったりSNSだったり、昔から関心があった国際貢献だったりってのを勉強してまして、すごい楽しそうなんです。

で、そのオンラインサロンのメンバーの中に、高校生インフルエンサーの子がいるらしく、夢は社会起業家で、国内でバンバン講演会なんかやったり、海外にもどんどんでかけていってて、高校卒業したらアフリカに行って起業するんだとのこと。

で、その子はネットやSNSも研究してて、すごい戦略的に使ってるんだとか。そんな話が勉強になった、と妻が興奮混じりに話してくれました。

すごいですよね。当然その子の行動力やらなんやらもすごいし尊敬に値するんですが、もういっこすごいなと、思っているのが、現代の環境です。

例えば、ネットがない頃って、多数派ではない職業だったり生き方だったりを知れる機会って今よりずっと少なかっただろうし、運良くそれを見つけられたとしても「なる方法がわからない」だったり「実際問題としてなれない」って往々にしてあったと思うんです。

さっきの高校生インフルエンサーの子でいうと、ネットがあることで得られる情報の範囲が格段に広がっているし、スマホがあることでそのハードルもかなり低くなっている。で、それだけじゃ知識だけの頭でっかちになっちゃいそうですが、LCCが一般化したことで以前よりも気軽に海外にも行けて実務も積める。SNSがあることで、同じ志を持つ人、先駆者、支援者と簡単に出会える。オンラインで話が聞ける。

「情報/知識」と「距離」のコストが著しく下がったことで「何かを得ようと行動している人」に対して圧倒的に優しい世の中になっているわけですよ。もうほんと、圧倒的に優しい。

で、ネットがない時代の「すごい人」って、僕みたいな一般人からすると、極端な話し、テレビ等のメディアに出てる人って感じだったんですが、そこで取り上げられる内容って「世の中の多数派が興味を持ちやすいジャンル」に結構寄ってたと思うんですよね。

でも、今だと割と人口が少ない分野の発信でも、ハッシュタグつけたり、SNS上でコミュニティー作ったり、その人達にダイレクトに届けることができるインフラが整ってます。

誰もが「何者かになりやすい世の中」だよね、という話を妻と1時間くらいしてまして。ただ、その反面、「何者かにならないといけない」と変な勘違いをさせるような、押し付けてくるような息苦しさもなくはない、と感じたり。

ちょっと長くなったので(1000文字目安で書いてます)、続きはまたそのうち。

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こんな音楽作ってます


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