作曲の仕事を得た経緯は「逃げ続けた」から
作曲の仕事を得た経緯は「逃げ続けた」からです。しらんけど、きっと当たらずとも遠からず。
僕が「就職」というものを意識しだしたのは、おそらく大学生1~2年の頃だったんじゃないかと記憶しています。周りの友人達は公務員セミナーなんかを受けてみたり、リクナビみたいなのでなんやかんややったり。
※ちなみに、高校→大学進学は、担任の先生に進められるまま地元の公立へ進学(点数的にちょうどよかったから)
就職活動から逃げた
当時、僕はそういう就活というものを全くやってなくて、企業説明会も、エントリーシートもやったことありません。学内で行われていた公務員試験を受ける人向けのセミナーも、親のすすめでお金払って受けてはみたが結果、すぐ行かなくなったし(けっして安くはなかった受講料、音楽なりなんなりに使えばよかった)、就職活動に関するあらゆることから目を背け、挙げ句、学生課からかかってくる電話なども無視していました。
それで何をしていたかというと、バイトして音楽活動やって、学園祭の実行委員やってという感じ。
逃げた先で出会った
いろんなバイトをしたんですが、行く先行く先で音楽の師匠的な人に出会ってDTM(パソコンや機材を使って自宅で一人でやる音楽)を知ったり、学園祭の活動を通じて、地元のYOSAKOI祭りに参加し、そこでイベント関係のお仕事をしている作曲家の方と知り合ったり、という感じ。
でも、逃げ続けたんだけど、なにか戦略的だったり、ど根性で「絶対音楽を仕事にしてやる」という感じではなかったんですよね。逃げている過程で、たまたま目の前に現れた望ましい出来事に対して「音楽やってます」「それ、やります」「それ好きです」といい続けてきた感じ。
強いて言えば、心のどっかに「俺は人とは違うんだ」という根拠のない圧倒的な自信があったのは間違いない。そして、それが砕かれるきっかけがなかったという、圧倒的な幸運。
努力でも才能でもなく「運」
正直、僕が今の仕事を得ることができたのは、そのエリアに、僕の他に「そういう人」がいなかったから。
そういうひと、というのは「ある程度(必要最低限)のクオリティーで音楽が作れる」というのと、「人の注文を聞きながら、要望を叶えてあげられる」人。要するに「仕事」として音楽を作れる人。
なので、たまに人から「どうやったら音楽を仕事にできるのか」と聞かれることがあるけど、再現性がある方法を教えることができません。まぁ、こういうのって向き不向きとか性格の問題なので何にしたってそうなんでしょうけど。
自分が何者か試し続けるしかない
僕が身を以て体験したことから言えるのは、不得意なもの、好きになれないものから逃げるのは悪いことじゃない、ということ。
でも、今、おじさんになって思うのは、それが自分に向いているかどうかを判断するのはすごく難しいことだわ。特に若い頃だとなおさら。だから、運良く数撃ちゃ当たる、だったんだと思う。運が良かったのかどうかはしらんけど(笑)
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