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書くことは誰にでもできるけれど、評価されるのはその出来映え


東野圭吾さんのインタビューから

2002年9月の記事なので古いですが、
私は文章を書くことについて、
興味津々なのでこれをピックアップ。
このページを読んで、
今の私はここに反応しました。

――実際に小説を書いてみて、どういう感慨をもたれましたか?
東野 : 書くというのはこういうなのかと実感しました。書くことは誰にでもできるけれど、評価されるのはその出来映えなんだなって。

WEB本の雑誌

有名な作家の東野圭吾さん。
昔から、気に入ったものはまねをしたいと
思う方だったようで、マンガや作詞作曲も
まねしてつくっていたそうです。
小説は、気に入った作品『アルキメデス』
を読んで、まねして書いてみたそうです。

このインタビュー記事ではこの辺りを
深堀していないのですが私は思いました。
やっぱり、猿真似だけじゃダメなんだと。

noteの文章でも、何でもそうだけれど
作品が評価されるのは、その出来栄え
出来栄えには、見た目や文のリズム、
想像をかき立てる何かが入っています。

その作品に出会った人が、
それぞれの人生を重ね合わせて、
共感したり、発見したり、
時に先取りで疑似体験をしてみたりと
イメージを使って繋がります。

だから、売れる。広がっていく。
それが、世の中の評価というもの。

評価されることを怖がらない

本当に素晴らしい作品を生み出すには、
スキルを磨き、練磨する必要があります。

私は、持久力がありません。
でもそんな事をいっていたらいつまでも
すてきな文章なんて書けやしません。

特に、WEB媒体で書いていくのなら
読者にわかりやすく、
サクッと目で追えて、
ためになったり、
心を揺らしたり、
そんな要素を
ちりばめていく必要があります。

文字数をスマホでも見られるように
制限したり、時に画像を挟んで
イメージの補足をしてみたり……。
自分の文に向き合って、改善をする。

それを意図的に。
でも、悟られないように。
まさに、忍者のような文章を。

うわぁー!
大変です。
何て挑戦をしようと
私はしているのでしょうか。
人の心を動かす文なんておこがましい。
それができるのは、
本当にその感情を感じた事のある人だけ。
その感情を文にのせる。

それって、めちゃ怖い気がします。
自分の心をはだかにする感じで。
私はこういう思考の人間です!って
公に晒すみたいで。
しかも、読者の見方によっては
歪んで捉えられてしまいます。

私はそんなつもりじゃなかったのに、と。
すれ違いがおこるかもしれません。

それでも……

作家は常に努力し、
向上し続けることで、
自らの作品を評価されるレベルにまで
引き上げるしかないのだと思います。

私は、まだまだ覚悟が足りません。
それはわかっています。
わかっているからこそ、怖い。
評価されなかったときに傷つくのが。

とにかく書き続けてみよう

書くことは誰にでもできるけれど、
評価されるのはその出来映えなんだな。
って言えるぐらいに私は書いていません。

評価されるのが怖くて
逃げているのでしょう。

そんな私でもできる事はいろいろあります。

素敵な作品に出会った時に、
丸々1冊をトレースしてみたり、
自分なりに咀嚼して、
文章を構成してみたり、
作品の人物像を深めてみたり、
エンターテイメント性を追求してみたり、
やれることはまだまだたくさんあります。

決意を新たにすることは簡単です。
そうじゃなくて、行動として落とし込み
自分をどんどん成長させてあげる。
そのための計画を立てる。

私はまねする事よりも、
自分で計画を立てて
自分のために実行することの方が
わくわくします。
だから、少しずつ学んだことを
書き留めて、引き出しを増やします。

その引き出しを時々ながめて
今日は、この力を伸ばしてみようって
毎日わくわくしながら
実行してみようと思います。
その積み重ねが未来の自分への
ギフトになることを信じて。

とにかく、筆を止めないこと。


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