いじめと戦っていたあの頃

学生時代、新日本プロレス中継のワールドプロレスリングで見た技でいじめと戦っていた。

闘魂三銃士が全盛期の頃の新日本プロレスを中学生の頃に夢中で見ていた。

曰く付きの戦い 

1999 1.4東京ドーム

橋本真也VS小川直也

プロレスを潰しにかかった様な試合

ここから始まった橋本真也と小川直也の複雑なドラマ。そこに橋本真也側のタッグパートナーとして登場するのが、私が技のヒントにしていた飯塚高史選手だ。

一方、小川直也選手側のパートナーは村上和成選手総合格闘技のグローブを付けてプロレスの中で殴りまくる。ロープエスケープもお構い無しだ。そんな彼を弱らせ、止める事が飯塚選手がタッグの親分橋本選手が勝つ為の重要任務だ。

飯塚選手はプロレス技としてはとても地味なスリーパーを使用していた。地味だか、確かに最も確実に効き、動きを止める。真面目な見た目、だが確かなトレーニングに積んでいることが分かる彼のレスラー像ともとてもマッチしていて試合を終わられるスリーパーとして納得の技だった。


私は高校生になり、一年生の頃は楽しく部活にクラスの生活にと過ごしていた。

だが、二年生のクラス編成になってから空気が変わり出した。

ある日、よくあるやり方、机の教科書が教壇に置かれていた。

教壇まで取りに行ったその時に非常勤講師の方に掛けられた言葉が今も忘れられない

「いじめられる方にも問題があるんだよ」

その言葉により、クラス中が彼は虐められてるんだの認識を持ち、なりよりもいじめられてる事を自分自身に認めさせる十分な言葉だった。

それからは何度となく、似たような事が起きた。

はっきりわかった、彼だ、もしくは彼がやらせている。学校側にも顔が効く親、場を制圧する嫌味で笑いを誘うやり方。その彼に私は愛想笑いなんてしなかった。むしろ冷めて見ていた。それが彼はつまらなかったんだろう。

当時の友達や部活の仲間もクラスメイトだった、しかし助けてはくれなかった。彼らはうまくイジメと付き合っていたのだ。当然かもしれない、自己防衛と言えばそうかもしれない。

だけど私はどうしても嫌な事をしてる人間とうまくやれなかった。

そんな彼と彼の子分、そして私。

修学旅行の部屋割りが決まった。

地獄の時間だった。シーンとした空気の中


ついに彼は私に直接的な暴力を行おうとした。

初めはやらせておいた。

子分が部屋から出ていっても続く

私は今しか無いと思い、プロレス序盤のバックの取り合いの動き、そして

飯塚高史のスリーパーをかける

「もう、やめよ、仲良くは出来ないけど、無駄な時間はやめよや」

私はそれからいじめられる事はなかった。


この話、私の選択は正解だったのか、間違いだったのかは今でもわからない。

だけど、今ある環境だけが全てじゃない。

教室の自分。

部活での自分もある。

プロレスに熱くなった自分もある。



今も続く新日本プロレス。

プロレスラーは生涯プロレスラー

引退された中西学選手の言葉です。

プロレスラー飯塚高史選手の存在に今も感謝しています。

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