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関心領域を観て

 

関心領域
ジョナサン・グレイザー監督
マーティン・エイミス原作
105分
イギリス/ポーランド/アメリカ/

 ホロコースト続きです。
もうずっと、なぜこんなことが起きたのか、どうしてこんなことができたのか。理解が全くできなくて、書物や映画をたくさん読んできました。
この映画も知ってからすぐに見に行こうと決めていました。
まだ公開中なのでネタバレはしませんが、とにかく見終わった後しばらく映画館から離れられず、そのあとは気づいたら90分近く、あてもなく歩いていて、それほど落ち着かなくなる映画でした。それも、エンドロールが終わり、時間が経てばたつほど、なんともいえないゆさぶりがじわじわと生まれてくるのです。

 舞台はアウシュヴィッツの壁を境に住む、アウシュヴィッツ収容所の所長ルドルフ・ヘスの自宅。ヘスとその妻ヘドウィグとその子どもたちと訪れる友人たちの、華やかで優雅に暮らす日常。
そこだけ切り取ったら、それは素晴らしい屋敷と庭と生活です。

でも、隣で行われていることは?
ユダヤ人に対する「最終的解決」の話合いの場面など、人間に対する処遇ではなく、なにか”モノ”に対する会議なのか?と思うほど軽々しく貧血を起こしそうになりました。ホロコーストの場面などなにも出さずにこの後味とは…。

本当にまいりました。まいったけど、観てよかった。

 人は自分の関心領域を守るためなら無関心でいられるのか?
ヘドウィグは自分の家庭というより、贅沢を手に入れた環境を守るため、
ヘスは、ナチスに入党し、トップの座を守る、ヒトラーに気に入られる、その環境や地位のみが関心領域なのか? 属するところで決定した命令は命令ではなく、自分の意思に関係ない、ある意味、自分の関心領域外なのか?
また、ある種族は存在する意義などないと教え込まれたら、そこを徹底的に排除することが関心領域なのだろうか・・・・。

観るか観ないか、と言えば観るべき映画。ぜひ観てほしい。
特に若い人たちに。これからを生きていく若い人たちにぜひ。

映画の内容等は公開が終わったら改めて書こうと思います。


ひとのなみだ
内田麟太郎 文
nakaban 絵
童心社

 内田麟太郎氏の新刊は、非戦と平和を願って描いたとあるけれど、絞り出したような思いだった。ドキっとさせられ、わたしには関係ないとは言えなかった。そうはなりたくない、そうはなるかもしれない自分がいるような…

 いま反戦と言ってても、もし日本が戦争になったら、召集と決まったら、
命をかけて否定できるだろうか?
もし目の前で銃口をつきつけられたら、黙って死ぬことができるのだろうか?もし、自分の子どもに銃口が向けられたら、子どもを殺されてもなお、
人を助けたり、子どもや自分の命と引き換えに人を助けられるだろうか。

 戦争の小説を読むたびに、映画を観るたびに、自分だったらどうなるだろう。自分は同じことができるだろうか。
したいと思っても、子どもを盾に取られたら?仲間たちと天秤にかけられたら?

 大きなうねりに巻き込まれる前に、自分がどう考え、どう行動し、どう生きるのかが肝心なのだと思う。

 以前受けたシュタイナーの勉強会で、講師の先生はこう話された。
自分の意思を育てること、自分を確立していくには、一つずつどんな小さなことでもいいから、一つずつ自分で決めていくこと。


朝がきたら窓をあける。カーテンをあける。空を見る。
日常の一つずつの小さな決め事が自分を作り変えていく。

 なにかを書いても上滑りになってしまう気がして、なかなか書けずにいました。観てからもう一カ月以上経つのに。
でも、この『ひとのなみだ』を読んで、書かないと、と思ったのです。

 心から願います。平和な世の中になりますように。
皆が幸せに暮らせますように。この瞬間も爆撃や銃口に恐れず
子どもたちも大人も老人たちも健やかに眠れますように。


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