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05|こだまのつぶやき

令和元年に房総半島を襲った台風の記憶は、ずいぶんと薄く遠くなっていて、こだまのかけあいっこを読むまですっかり忘れていました。土田さん執筆回「02 内側のこだまが、にじみでるとき」の文中にあった「取るに足らない記憶と感覚だ」という言葉を読んで、記憶の箱が開き、思わずXでリポストしたのでした。


そこでのやり取りを機に、土田さんにありがたくも執筆のお声掛けをいただきました。あぁ、そういえばそんなこともあったなと思えるくらいに、幸いにも3日間ほど不便をしたくらいの出来事ですが、少しばかり文字にして思い返してみようと、そういう経緯で執筆いたしました。

わたし自身の話に入る前に、大屋さんの投稿に寄せて。
東日本大震災と台風とでは随分と規模感が違うのですが、はからずも母と子の経験という今回の記事との共通点があり、まさにこれはこだまのかけあいっこだと思う次第です。大屋さんのお母様のお考えとどこまで重なるかはわからないのですが、たとえ他の人と足並みが揃っていなくても、客観性を欠いたように見受けられても、母として子をいかに守るかを貫こうとする姿勢に共感します。
正直なところ、母になるまでこのような考えを自分が持つとは思っていませんでした。まったく自慢になりませんが、わたしは本来ドライで理性的なタイプで、人への情は薄い方です。しかし、子どもは生まれた日からわたしを母にし、この小さな人が大人になるその遠い日までずっと見つめ、支えになり続けられるのは自分しかいないのだと思わせ続けるのです。

令和元年台風と新米母娘

その年、5月に年号が新しくなり、令和初めての夏は猛暑と、線状降水帯なんて目新しい言葉を耳にするようになったころと記憶している。わたしは6月末から産前休暇に入り、大学での激務を離れ久しぶりのゆったりした時間を満喫し、8月には無事に長女を出産することができた。初めての子育ての始まりだった。産院からの退院日は、3000g足らずの腕にすっぽりとおさまってしまうくらい小さな子を、外に出しても大丈夫だろうかと思うほどに暑かった。

家で冷房を効かせ、慣れない育児と回復しきらない産後の体で日々をなんとかやり過ごしていた。そんなとき、巨大な台風が接近するニュースが流れてくる。台風自体には慣れっこだけど、小さな娘と2人きりのときに停電になったらどうしよう。

とうとう台風がやってきて、停電した。日中の明るい時間帯だったので精神的には余裕があったが、しばらくすると暑くて部屋にはいられなくなった。
夫は仕事で不在。自分と娘のお出かけセットを荷造りし、さてどこに避難したものか。

わたしの職場の大学は、付属の大学病院と同じ敷地で高台にあり、災害に強い。2011年の東日本大震災のとき(当時わたしは修士の大学院生だった)も停電はほんの一時で、余震が落ち着くまでみんなで待機していたことがある。そして、救護室にはベッドとソファが用意されている。

そう、わたしは大学に避難することにした。救護室を借りれば、娘を寝かせて授乳をしたりおむつを替えることもできる。自宅から車で10分ほどで大学に到着。事務部の方に承諾を得て、救護室を使わせてもらえることになった。ありがたかった。涼しい個室で、気兼ねなく赤子と居られることに心底ほっとした。

夫と連絡をとり、夕方に迎えにきてもらって、さらに実家に避難することに。ふだんなら車で1時間半もあれば行ける距離を、2時間以上かけて大雨の降りしきるなかでの移動になった。運転手の夫には頭が下がる。

このとき、電気と水道が確実に復旧して、自宅に戻れるタイミングまで3日間ほど実家にいたらしい。というのも、記憶にあまり残っていないのだ。ただ、当時の育児記録を見返すと、日に6、7回の授乳のうち1回は人工乳、残りは母乳のパターンが、3日間だけ母乳ばかりに。睡眠の記録もまちまちになっていた。それ以外に何か記録した形跡はなかった。とにかく、そのときの我が家の被害は、自宅の冷凍庫と冷蔵庫の中身がダメになったという、それくらいの出来事で終わった。

よく生き生かそうとする人が背負うもの

このときのことを思い返すと、「しょうがない」と「責任」が交互に頭の中に去来する。

天災というのは、防ぎようがないものだ(今のところは)。そして、子どもが風邪をひいたり体調を崩すのも、ある程度はしょうがないものだ。医療の発達していなかった昔は子どもの死亡率も高く、わたしは民俗学には詳しくないが、七つまでは神のものと考えられていたというのも頷ける。つまり、災いや病は「しょうがない」こと、人智を超えたものとして扱える割合が多いものなのだと思う。

しかし、今はどうだろう。あらゆることの予測や予防に価値がおかれ、実際にできるようになっていることもあり、身近になって、そのような情報に適切にアクセスして自衛することが求められるようになった。小さな子どもを育てる親ならなおさら、災害に備え、病を予防し、そうなったら最善の策をとれるように日頃から情報収集に余念がない。
もちろん、大切な家族を守るためにできる限り手を尽くすし、それは今も昔も変わらぬ親の努力であろう。ただ、どこかにふと、「災害時の子どものための準備ができていなかったら、あるいは病気にならないように生活を整えられなかったら、はたまた病気になっても仕事場で不都合が出ないように調整できなかったら、親としての責任が果たせていないと思われるのではないか」という、他人軸の責任感が顔をのぞかせているような気がして、なんとも言えない気持ちになる。台風がくるってわかっていたのに何も準備しなかったのか、感染症がはやっているのに予防しなかったのか、と、誰かに責められているような。

わたしは看護師で、病院で働いていたこともあるし、大学で看護学生を教えていたこともあるし、今は大学院で看護学を修めている。看護とは「生命力の消耗を最小にするように、回復過程を整えること」といったナイチンゲールの教えが、頭のどこかにいつも棲みついていて、わたしは看護ができているのか?と、私生活でも自問しているのかもしれない。ナイチンゲール看護理論に傾倒しているわけではないのだが。

本当のところ、誰のために、心をくだき、手を尽くそうとしているのか。

つらつらと書いていたら、思いも寄らないところに辿り着いてしまいました。いずれにせよ、家族や大切な人が無事に生を全うできれば、何よりだとも思うのです。

山﨑由利亜(やまさき ゆりあ)
千葉大学大学院看護学研究科にて令和6年9月に博士課程を修了。認知症ケアと環境に関する研究を展開中。看護師。二児の母。
最近は、某教育テレビを子どもに負けない熱量で楽しんでおり、ヘビーウォッチャー化しています。

こだまのかけあいっこについて
わたしたちがこの企画を立ち上げたのは、何か中心で大きな動きや声ばかりに耳目が集まり、その周辺に取り残されたり、手伝ったり、かき消されかけたり、疲れてしまったりしたことにあります。そして、小さな声とその声の主にただ向き合うこと、聞くこと、書くことの重要性を改めて共有しました。

この、「こだまのかけあいっこ」は、さまざまな役割、立場、向き合い方などから「震災」というキーワードをたよりに集まった人たちが、それぞれの小さな声を書き残し、つないでいく連載企画です。
みなさんがこの小さな声、こだま、人に応答し、そこにひたむきにかけあえる場になり、集まる人たちが安心して自らの存在や生をひらくことができたのなら、この上ない喜びです。

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